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<東京怪談ノベル(シングル)>


     The Lifelong Calling

 うっすらと機械的な光を放つ、まるでジャングルジムでできたような迷路の中を、鮮やかな青色をした制服のスカートと長い髪をひるがえしながら一人の少女が駆けている。行くべき道を知りつくしているのか、一度も足を止めることなく走り抜けていく姿は何の障害もない海の中を自在に泳ぐ魚のようだ。
 そんな彼女のあとを怒涛(どとう)のごとく大量の水が追いかけている。それはじりじりと少女との距離を縮めながら迫っていた。
 「嬢ちゃん、こっちだ。」
 ふいに少女の前方に冴えない容貌の中年男が現れ、横道を指で示しながらもう片方の手を彼女に差しのべた。
 少女は足を止め、何度か背後と男の顔を見比べ躊躇(ちゅうちょ)する。
 しかし、やがて意を決したように差し出された手を取った――その次の瞬間。
 『ゲーム・オーバー!』
 声と共に男の姿が消え、空をつかんで地面に膝をついた少女の背後にまったく同じ姿をした別の少女が現れると、もはや数十センチ後ろまで迫りきていた水の壁に腕をつき出した。その細い指に触れた途端、ピーラーにかけられたリンゴの皮のように水がするすると二人の少女を避けて流れ去っていく。その一部は数字や記号に分解され、瞬く間にブロック状に積み上げられると迷路の壁に溶けるようにして消えてしまった。
 『今のは擬似ウイルスよ。あれくらい見極めてくれなくちゃ困るわ、みなも。』
 驚いて膝をついたままの少女――みなもに、もう一人の”みなも”が言って不敵な笑顔を向けた。

 「名前、海原(うなばら)みなも。職業、付喪神(つくもがみ)モドキ。レベル、3……って、何ですかこれ?」
 頭の上に表示されているロールプレイング・ゲームのステータスのようなものを読み上げ、みなもは首をかしげる。それを真似るように反対側に首を傾けながら「レベル100の付喪神”みなも”」が『数値化した方が判りやすいでしょ?』と答えた。彼女はみなもに同化している携帯電話の付喪神である。紆余曲折を経て二人は海原みなもという一人の少女として現実世界に存在し肉体を共有しているが、今はその器を離れ電脳世界にやって来ていた。それというのも、人間であるみなもが付喪神である”みなも”の操る携帯電話から見る世界――電脳世界に慣れるためである。
 元は携帯電話の付喪神である”みなも”は今でも電子回路やプログラムのレベルで携帯電話を自在に操ることができ、機械の世界に慣れ親しんでいるが、人間のみなもの方はそうもいかない。もしも付喪神の”みなも”がそばにいない時に何かあったとして、彼女に頼りきりでいたために何もできないということになっては困る、というのが今回の「付喪神の練習」を始めた理由だった。
 現在、人間のみなもは人格をデータ化してコピーし、それを携帯電話にインストールすることで付喪神モドキになっているのである。
 『プログラム通りに作業をこなす――迷路を抜けるのはいい線行ってたけど、データの識別は甘いわね。ウイルスは一見何の問題もない存在に見えるけど、実際に動かしたらとんでもないことになったりするんだから気を付けてくれなくちゃ。きちんとウイルスのリストを渡したでしょう?』
 「あんな膨大な量、人間のあたしにはさばききれませんよ。慣れればもうちょっとうまくできるとは思いますけど……ウイルスと言っても何だかあたしにはまだピンと来なくて、よく判らないんです。とんでもないことって、たとえばどんなことになるんですか?」
 先ほど知り合いの探偵の姿で現れたウイルスのことを思い出し、確かに見慣れた姿だとだまされてしまうなと考えながらみなもはそう尋ねた。それに”みなも”は目を細め、どこか脅すような陰のある笑みを浮かべてみせる。
 『人間がお化けだとか幽霊だとかそういったものを怖がるように機械はウイルスを怖がるのよ。それにつかまったら自分が自分でなくなるから。』
 「自分が自分でなくなる?」
 『そう。指示してもいないのにプログラムが起動して予期しない動作をしたり……そうね、腕が勝手に動いて、曲がらない方に無理やり曲げられる感じに近いかしら。あるいは外にもらしてはいけない大事な秘密を勝手にしゃべりだしてしまったりね。その情報を、知らない誰かが悪意を持って乱用するの。自分の知らないうちにデータが、記憶が改ざんされてゆがめられていったり……どんどん自分ではなくなるのにそのことにさえ気付けないのよ。そしていつの間にか壊れて動けなくなって、捨てられる。その時になって初めて自分が狂っていることに気付くの。』
 それは人間がかかる病気に近いからウイルスと言うのかもしれないが、むしろお化けの類に近い印象があるのだと”みなも”は言った。ウイルスというのは、人が生み出した悪意がプログラムという形のない形と破壊的な力を持って電脳世界をさまよう亡霊なのだ。
 『普通の携帯電話ならウイルスのことはあまり気にしなくていいんだけどね。元々、通話機能が中心の一般的な携帯電話向けのウイルスなんてほとんど存在しないもの。だけどあたしたちはこうやって意思を持って自ら情報を扱うことができるから、その分自衛もしっかりしないといけないわ。』
 「そうですね。あたしも壊れたくはありません。」
 そう言って真剣な面持ちで頷くみなもを見て、”みなも”は彼女が携帯電話に憑(つ)いた今の状況を通じ携帯電話である”みなも”も自分自身のことのように感じていることを嬉しく思った。
 しかしそれを口には出さず――きっとその感情は共有している器を通して何となく伝わっただろうと思われたので――『でも、いきなりウイルスの検知をさせたのは急ぎすぎたかもね。』と言い、もっとデータの扱いに慣れる練習をしようと提案した。
 『あたしたちは人魚の力で水を操れるでしょう。それと同じ感覚でやればいいの。さっきの水もデータの集まりよ。コツさえつかめばきっと簡単だと思うわ。』
 ”みなも”はそう言って実際にやってみるのが一番だとばかりに再び迷路の中に水を流し込み、やってくる情報の波を本物の水を操るようにさばいてみせた。人間には普通解読不可能な英数字や記号一つ一つが水の粒子となって流れている。”みなも”はそれを読み取り、情報の取捨選択をして必要なものを瞬時に整理し圧縮してはメモリの中に蓄積していく。
 『これはメール、これはアドレスデータ、こっちはスケジュール、またメール、もう一つメール……ほら、やってみて。』
 みなもは頷いて”みなも”を手本に情報処理を始めるが、やり方がつかめても彼女の速度に到底及ばないどころか、そのあまりにもの情報量にめまいさえ感じ始めた。
 「これは人間の『思考』と機械の合理的な演算能力の違いなのかしら。」
 情報の海に今にもおぼれそうになりながら、みなもはそんなことを思ったのだった。

 「それで、練習の成果はあったのかい?」
 「はい、少しですけど基本的なコツは判ったような気がします。レベル20くらいにはなれたみたいですよ。」
 電脳世界で付喪神の練習をしたという話を聞いて詳細を知りたがった探偵の雨達(うだつ)――こちらは”みなも”が見せた擬似ウイルスではなく、正真正銘の本物だ――に、みなもはその内容をかいつまんで説明した。それを最後まで黙って聞いていた雨達は、やがて「付喪神もデジタルの時代か。」と興味深そうに呟く。
 「俺も一応オカルト専門を名乗っている探偵だし、今後そっちの方面での怪奇現象も増えるかもしれないから、そういった経験談を聞けるのはありがたいよ。情報があれば事前に対処ができるし、備えがあればできることも変わってくるからな。無駄も減らせる――これも合理化ってやつかね。」
 そう言って肩をすくめる雨達に、くすりと笑ってみなもがこう応じた。
 『合理化を謳って機械化していく人間と、人工知能や人型の器を持って人間に近づいていく機械……そのうち両者に境界なんてなくなるかもしれないわ。』
 少し口調の変わったみなもの言葉に驚いて雨達が目を丸くする。そんな彼に無邪気な青い瞳を向けて、「まだ先のことかもしれませんけど。」と、一足先に人間と機械の境界を飛び越えた二人で一人のみなもが同時に微笑んだ。



     了