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コッペリア
コッペリウスは人形作りの名人でした。
作った人形は生きているかのよう。
自分の名前からコッペリアと名付け、窓際に座らせてあげました。
彼女の美しさに、窓際を通る人通る人が、思わず見とれてしまうのでした。
でも。
それだけだとコッペリウスは満足しませんでした。
いつからか。
彼女とおしゃべりをしたくなったのです。
彼女の唇から「お父様」と呼んでほしくなったのです。
彼は彼女のために、男を誘き寄せる事にしました。
彼女が人間になる、ただ1つの方法。
男の魂を抜き取って、替わりに彼女に与えるために――。
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「ふう……」
ヴァイオリンをケースに仕舞いながら、皇茉夕良は窓の外を見る。
音楽科塔の自習室から覗くと、今日も聖祭の準備で色とりどりの色んな物が運ばれていくのが見える。
この数日は怪盗騒ぎもなりを潜めている。新聞部に出かけてそれとなく話を聞いてみたが、本当に今は自警団がかっかするような事もなければ、怪盗からの予告状も届いていないらしい。まあ自警団も元々は生徒会メンバーで編成されているので、今は各方面の打ち合わせでそれどころではないのかもしれないが。
「何事もないのならそれに越した事はないんだけどね……」
茉夕良はパチンとケースの留め具を留めつつも、考えるのは先日入った禁書庫の事だった。
今まで理事長が怪盗を使って力の強い物を回収させていたのは、彼が人を生き返らせようとするのを止めるため……って事だったんでしょうけど……。
器って何なのかしら。
「んー……」
1つだけ心当たりがあるとしたら、守宮桜華の存在だった。
彼女の行動は、何故かいつも不可解なのだ。
全部が嘘とも思わないが、本当の事も言っていないと言うか……。
ただ1つ分かるのは。
彼女は幼馴染である海棠兄弟をかばっている所だ。
ちらりと時計を見やると、既に時計の針は6時を過ぎている。バレエ科の練習はもう終わったかしら……。今年も大きな演目をするとか小耳に挟んだけど……。
茉夕良はケースを手に提げると、いそいそと音楽科塔を降り始めた。
今からだったら、バレエ科の練習終了に間に合うかもしれない。そう思いながら。
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バレエ科の練習している体育館地下のダンスフロア前は、ちょうど練習が終了した時刻らしく、レオタード姿の人で溢れていた。少し湿気た空気が流れているのは、ずっとここで練習して汗をかいた結果だろう。
「すみません、守宮桜華さん探しているんですけど、いませんか?」
茉夕良はその場にいた女子生徒に声をかけてみる。
「守宮さん? 守宮さんは向こうで自主練。守宮さんソロパート多いから」
「ああ……ありがとうございます」
茉夕良はぺこりと頭を下げると、そのまま人をかき分けてダンスフロアに向かった。
ダンスフロアには既に人気がなく、ただレオタード姿の桜華がいるだけだった。
CDコンポを付け、ただ踊る。
くるりとターン。ジャンプ。ピルエットで着地。それを笑顔で踊っている。ここには観客は(茉夕良を除いて)いないはずなのに。
そう言えば守宮さんの得意な演目は妖精だったかしら。
動きの1つ1つから人の動きの消えた桜華を見て思う。
音楽が大きく伸びて終わった所で、桜華は礼をした。
パチパチパチパチ
茉夕良は拍手をする。
その拍手でようやく桜華は振り返り、顔を赤らめた。
「ごめんなさい……ずっと集中してたから」
「いえ。エトワールの踊りを堪能できましたから」
「ありがとうございます……」
桜華はフロアの隅に置いてあるペットボトルのお茶を取って、それを一気に飲み干した。
「あの……練習終わった所申し訳ありません。少しだけよろしいですか?」
「はい。何でしょう?」
空のペットボトルを持って桜華は首を傾げた。
茉夕良は頭の中のもやもやをひとまずは遠くに置いておく事にした。
「……あなたの親友の話を聞いて、大丈夫ですか?」
「…………」
桜華はペットボトルと一緒に置いていたタオルで身体中を拭きながら、頷いた。
「人となりを、聞いて大丈夫ですか?」
「……全然叶わないなあって思いました」
「叶わない……ですか?」
「ええ」
桜華は目を細めてそう言う。
その表情は、懐かしむものとは少し違うように思えた。
「私は本当はエトワールになんてなれないんです。私は人より練習するしか能がありませんから。でも彼女は違いました。何て言うんでしょう。飲み込みが全然違ったんです。技術も演技力も、全部吸収して自分のものにしてしまう。彼女が今生きているのなら、エトワールは彼女のものだったでしょうね」
「でも……。バレエは年齢によって変わるので、そうとは言い切れないのでは……。ほら、体型が変わったら踊り方も全部変えないと、潰れてしまうじゃないですか」
茉夕良は昔バレエをしていた事を思い出しながら言ってみるが、それでも桜華は首を振る。
「彼女は年を取れたら、それさえも飲み込んでしまっただろうなって思います。飲み込んでしまう人だったから……」
「えっ……?」
「…………」
桜華はフロアの大きな鏡を見た。
茉夕良も見やるが、そこには桜華と茉夕良しか映っていない。
「……小母様……理事長からは聞きましたか?」
「えっ? どれを、ですか?」
「……やっぱり小母様もそこまではおっしゃってなかったんですね。秋也と織也と、のばらの事です」
茉夕良は桜華の顔をまじまじと見た。
桜華の顔は、今にも泣きだしそうなのをこらえているように見えた。
「2人がのばらを取り合ったんですよ。元々、秋也とのばらが仲良くって、お似合いだねってよく言ってたんです。織也とのばらに何があったのかは知りませんが、ある日を境にぎくしゃくし出したんです」
「…………」
織也さんが、横恋慕した結果、のばらさんが死んでしまった。
のばらさんが死んだ結果、秋也さんは自分の殻に閉じ篭もってしまった。織也さんがのばらさんを生き返らせようとしているのは……。
そうか……好きだからか。
でも……。
桜華をまじまじと見た。
彼女は何も変わっていないように見える。
この幼馴染達の中で、彼女はどんな役回りだったんだろう。
「桜華さん」
「はい?」
「もし、2人が道を踏み外してしまった場合、あなたはどうしますか?」
「手伝います」
「えっ?」
ここだけはっきりと答えるのに、思わず唖然とした。
「私は、のばらに勝てるものは何もないんですよ。あの子は私にとって憧れであり、同時に自分の壁でした。私が唯一勝てるものは、私が今生きている、それだけなんです。
だから、私はのばらの分まで、2人がそれで構わないのなら、手伝います」
「…………」
茉夕良は言葉が詰まったまま、茫然と桜華を見た。
桜華の浮かべた表情の正体が分かった。
彼女にとっても、まだのばらは死んだ人ではないのだ。
まさか……と言う予感が頭をかすめた。
たった1つだけのばらさんに勝てるものとして、自ら器になったんじゃあ……。
彼女の顔をもう1度見る。
桜華は、にこりと笑っていた。
<了>
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