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鏡合わせ
その日は、月も見えない曇り空だった。
確か初めて彼と出会ったあの夜も、こんな空だった気がする。
美術館のトイレで閉館時刻をやり過ごした皇茉夕良は、窓ガラスの空を仰ぎながらそう思った。
さあ、急ごう。
所々に立ち並ぶモニュメントに身を潜めながら、茉夕良は目的のホールへと走った。
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ダンスフロアの件の翌朝、茉夕良はカフェで今朝発売の新聞やスポーツ誌を並べていた。
学園新聞は恐らく怪盗ロットバルトが学園外で行っている犯行までは取り扱わないだろう。
怪盗ロットバルトの名前を流し読みで探す。
予告状でもいい。何か、彼の足取りを掴めるものは……。
新聞をめくり、それがテーブルに置かれた水の入ったコップにページが入ってしまった。
「あっ……」
慌てて新聞をコップから助け出そうとして、そこで1つの小さな広告を見つけた。
【展覧会のお知らせ
故・○○展を行います。
惜しまれて亡くなった○○の世界を貴方に
××美術館】
それは聖学園よりやや離れた場所にある、小さな美術館だった。
…………。
茉夕良は他の新聞を漁り始めた。
確か、今まで見たロットバルトの犯行現場には、この美術館は入ってなかったような気がする……。
そして、茉夕良の予感は最後のスポーツ新聞をめくった所で、的中する。
『怪盗の新たな予告状!?
この1月街を騒がしている怪盗ロットバルトの新たな予告状が発見された。
今回予告状が送られてきたのは、××美術館だ。
【13時を時計盤が示す時、『涙の女』をいただく。
邪魔をしたら夢の中を彷徨う事になるだろう。
怪盗ロットバルト】
怪盗ロットバルトを名乗る強盗の例は既に20件を超え、警察も行方を追っているが、未だに犯人逮捕には踏み込めていない。
また、この予告状が送られた犯行時に警備員が昏睡状態になるケースを見受けられるため、美術館関係者から不安な声が上がっている』
大きな見出しに、今までの美術館の盗難品の名前と、倒れた女性警備員の家族の声がいかにもこれが大きな事件であるかとアピールしているかのようだった(普通の新聞が大きめに取り扱わないのは、あまりにも事件にファンタジー性が強いせいなのだろう)。
茉夕良は展示会の日付を確認した。
明日からだ。だとしたら、今晩前の展示会の展示品と入れ替えが行われるはず……。
「お待たせしました」
考え込み始めた所で、モーニングがテーブルに届いたので慌てて新聞をどけた。
とにかく。今晩、美術館に行ってみよう。
彼と、話がしたい。
今日のモーニングのホットサンドを頬張りながら、茉夕良は今晩の事に考えを張り巡らせ始めた。
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警備員の警戒を潜り抜け(自分がプロだからと言うおごりなのか、怪盗ロットバルトの事を分かっていないからなのか、自警団よりすれ違いかける人が少ない事が気にかかったが)、展示会場にまで辿り着いた。
今日までの展示品が運び出されていくのを、モニュメントに隠れてじっと見ている。
「届きましたー」
「早く運んで。一体ガセだったのかね、あれは」
「迷惑ですよね。愉快犯なんて」
作業員達がそろそろと額縁に収められた絵を運んでいく。
展示品が入れ替えられ、空っぽになっていた会場に、ぽっと月見草が咲いたような印象を受けた。
茉夕良が息を呑んでその絵を眺めた。
その絵は、青い背景に黄味がかった色で描かれた女性の姿が描かれていた。
あれが予告状に書かれていた『涙の女』だろうか。
「しかしもうすぐ作業終わるけど、警備の人達とか来ないですし警報とか鳴らないですね」
「うん。やっぱりあれはガセだったのかねえ」
そう作業員達が話していて、気付いた。
そう言えば、さっきから警備員が少ない気がしていたけど……。
茉夕良はポケットからルーペを取り出してみた。
「あっ……」
既にルーペは魔法陣が浮かび上がり、魔法無効化を行っていたのだ。
一体どこから?
茉夕良は辺りをきょろきょろと見回した。
展示会場には作業員達しかおらず、警備員の姿は見当たらない。
関係者入り口は開けっ放しになっていて、茉夕良は普通に見学者コースから走ってきたが、警備員はスルーできる位にしか会わなかった。
警備員達の中に、混ざっている……?
「作業お疲れ様です」
「あっ、お疲れ様です」
「お疲れ様ですー」
と、急に警備員が現れた。
茉夕良は照明に反射してこちらに気付かれないよう手で隠しながら、そっとルーペを警備員の方に向けてみた。
ルーペの魔法陣がぽっと光り、慌てて手で光を塞いだ。
やっぱり。
あれだ。あれがロットバルト……織也さんだ。
「一体何だったんでしょうねえ、今日の予告状は」
「いたずらはやめて欲しいですよね」
「本当――――茶番はこれくらいにしておかないと」
「えっ?」
途端にどさどさっと倒れていった。
ローズマリーの匂いがプンと漂う。
警備員の服は落ち、替わりに悪魔の姿が現れる。
「で、君は一体何の用?」
「――っ!!」
彼は、茉夕良の隠れていたモニュメントをじっと見ていたのだ。
茉夕良は自分の胸に手を当てる。
大丈夫、心臓は痛まない。
茉夕良はそろり、とモニュメントから姿を現した。
「織也さん」
「この姿でその名を呼ぶな」
「……ごめんなさい。なら、怪盗ロットバルト。あなたに質問があります」
「何? 俺は何も用はないが」
口調は険しいものになっているが、茉夕良は自分の勘を信じた。
「あなたが何で強盗を繰り返すのか、ずっと調べていました。ロットバルト……あなたは、のばらさんを生き返らせるために、そんな事をするんじゃないんですか?」
「……そこまで調べたんだ」
「ごめんなさい。調べを進める内に、分かってしまいました。
調べていく内に、あなたを行おうとしている術が、とてもまずいものだと言う事も知りました。のばらさんを生き返らせようとするのに、肉体を提供しようとしている人が、いるんじゃないですか?」
「……そうだね」
「どうして……どうしてそこまでして、のばらさんを生き返らせようとするんですか? 昔の事を掘り返しても、その先に幸せな結末があるとは、私にはとても思えません。あなたも、彼女もどうしてそこまでするんですか?」
「……。少し調べたからっていい気にならないでくれる?」
「――!」
一層、冷えた声が響いた。
「俺は、彼女じゃないと駄目なんだよ? 兄さんは、全てを持っていた。同じ顔なのに、同じ親なのに、どうしてここまで扱いが違うのさ。彼女を苦しめてしまったかもしれないけど、俺はこの選択に後悔はしていない。
兄さんは勝手に引き籠っていればいいさ。俺はのばらを手に入れる」
「それって……あなたは一体どれだけ過去を引き摺れば気が済むんですか! 既に彼は前に向かっています! なのにあなたって言う人は……!」
「そろそろ時間切れみたいだね」
どうして彼が長い間しゃべっていたか、気が付いた。
彼は理事長の甥。彼女の魔法の有効時間も、知っていたんだ……。
ローズマリーの濃い匂いが、眠気を誘った。
「お休み。まあこれは独り言。叔母上が何であんな小娘をオディールにするのか知らないけど、オディールはよくないよね。あれはいくら頑張っても、オデットになんて。本物になんてなれないんだからさ。俺は、叔母上を嘲るために、この恰好をしている」
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目が覚めた時、茉夕良は美術館の前に倒れていた。
<了>
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