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<東京怪談ノベル(シングル)>


     The Wing Of Recall

 「海原(うなばら)みなも。人魚の末裔。人間。携帯電話の付喪神(つくもがみ)と同化。溶け合った存在。二人のあたし。付喪神の”あたし”……。」
 みなもは自室の机の前に座り、愛用している携帯電話に手を重ねて目を閉じたまま、自分の中に溶け込んでいるもう一人の自分――思わぬ成り行きで「海原みなも」という存在を共有することになった、元は携帯電話の付喪神である”みなも”の存在を確かめるように小さな声で言葉にしながら、それに同調しようと意識を集中させている。
 彼女は今、「人間として」ではなく「付喪神として」人間以上に携帯電話を自在に操り、複雑な情報処理をこなす付喪神の”みなも”にならって、自身も付喪神のように携帯電話を操れるよう練習に励んでいた。
 それを始めて一月ほどたつが、この頃はその成果が伸び悩んでいる。というのも、数字や記号で表された膨大な量のデータを一瞬で処理することに特化した機械と違って、人間の脳はそこまで演算処理に向いていないからであった。様々な思考・思索を可能にする脳は周囲の環境にも敏感に反応するなど、「機械的に」物事を処理するにはあまりにも移り気で、多機能すぎるのだ。
 そのため、みなもは人間である本来の自分の意識を付喪神である”みなも”の方に重ねることで、それを克服しようと試みているところだった。
 みなもの中にあるもう一人の”みなも”をとらえ、細部まで丁寧に読み取り、同調していく。それは広げた本のページに書かれた文字を読み上げ、少しずつその物語の世界に入り込んでいく感覚に似ていた。
 はじめはまるでガラス越しに見ていたような景色が徐々に近くなり、見えない壁も薄れいつしか氷のごとく溶けてなくなると、そこはもう携帯電話の付喪神”みなも”が見ている世界である。すべてがデータとして扱われる電子の劇場だ。
 目に映るものは人間から見れば数字や記号でしかないのに、”みなも”に同調している今では無限の鮮やかな色彩をともなった小さな無数の生物のように見えた。何に似ているとも形容できないそれらは劇場内を駆け回り、飛び跳ね、踊っている。
 しかし、その動きは無秩序に見えてきちんと意味のあるものだった。舞台監督、というよりは指揮者のごとく彼らの中心に立って操っている少女、”みなも”の指示で次々とデータが処理されているのだ。
 極彩色のめまぐるしい場面転換が続く舞台はまばたきよりも速く、思考よりも速く、物語が進んでいく。
 その鮮烈な色に視界を焼かれ、意識に無限色のペンキが流し込まれる錯覚にとらわれた途端、みなもはその場に昏倒した。

 結局、微熱まで出して寝込んでしまったみなもに、付喪神の”みなも”がいささか同情した様子でこう言った。
 『やっぱり人間には「物」である付喪神みたいに機械を操って情報処理を行うのは難しいのかもしれないわね。一瞬で扱えるデータ量が根本的に違いすぎるもの。水を操る人魚の力があるから、それと同じ要領でうまくやれるかと思ったけど……水をデータ化することはできてもデータを水にすることはできないし、データがデータでしかない以上、水のように扱うのは無理なのね、きっと。鳥が魚に空の飛び方を教えているようなものだわ。』
 「水をデータ化って……どうやるんですか?」
 熱でぼんやりとしながら布団に横たわっていたみなもは、”みなも”の言葉に驚いてそう尋ねた。そんな彼女に、簡単よと”みなも”は言う。
 『分析してそれを情報として書き出すだけ。一番単純な水の情報としては「H2O」と言い表すことかしら。これも「水」を示す情報には違いないでしょう。現実世界で手にすくった水をデータにするという意味じゃないの。だからその逆である「データを物理的に水に変換する」ことはできない。何か別のデータを書き換えて水のデータにすることはできるけど、単なるデータを物質界の水にできるわけじゃないわ。そんなことができるのは「魔法」というやつだけね。元は機械から生まれた付喪神であるあたしにはできないわ。』
 「魔法なら人間の分野ですね。」
 『魔法はたとえ話よ。大体あなたは人魚だけど、魔法使いじゃないでしょう。』
 肩をすくめるような口調でみなもの中でそう応じた彼女に、しかしみなもはふいに何かをつかんだような様子で明るい表情を浮かべると、きっぱりと、そしてどこか楽しげに首を振って答えた。
 「いいえ、あたしにもその魔法は使えるような気がしてきました。」
 『どうやって?』
 「想像力で。」
 そう言ってみなもはにっこりと笑ってみせたのだった。

 熱が下がった翌日、みなもがまず試したのは人魚の姿になることである。見た目が変わっても根本的な情報の処理能力や人間としての意識が変わるわけではないのだが、大事なのはそこではなく、人魚の形態なら高い精度で水を操ることが可能だという点であった。
 とはいえ”みなも”の言った通りデータはデータにしかすぎず、水に変えることはできない。変えられるのは人の心、すなわち認識だけである。
 「正確さと速さが機械の特長なら、人間の特長はそれに匹敵する柔軟さです。機械はその分析力と正確さのためにデータをデータとしてしか扱えませんけど、人間の頭はそれをごまかせるんですよ。」
 みなもはそう言うと情報量の最小単位である一ビットを水の粒子と考え、機械の付喪神としてデータをデータのまま読み取るのではなく人間であり人魚である「付喪神モドキ」として、操作を得意とする水に置き換えることを試みたのだった。
 たとえば海の中で潮の流れや温度の変化を感じ取るように、不定形の水を粒子単位で認識するように「感じる」のだ。それは頭で考えて処理しているのではなく、経験や体感による無意識に近い。その「感覚」は本来機械よりもずっと不確実なものでありながら、熟練した技術や経験に裏打ちされた場合、機械の正確さをも上回る。また必ず一定の手順を必要とする機械と違い、一度に処理できる量こそ多くはなくても、手順の省略による時間の短縮も可能なのだ。
 ”みなも”が情報処理中に見ていた極彩色の電子の舞台を、みなもは深い海のような色の水と波の音の舞台で再現してみせる。その表現法は違うが、確かに同じことをこなしていると”みなも”には理解することができた。
 『これが人間の力……。』
 翼を持たない魚が空を飛ぶことなど不可能に思えたのに、なかなかどうして器用にヒレで飛ぶものだ、と彼女は思った。想像の翼というのはあなどれないものだと。

 「それで、お前さんは情報処理もすっかりマスターしてしまったのかい。」
 今後の参考にと、練習の成果を度々尋ねてくる探偵の雨達(うだつ)の問いに、みなもは「それが……。」と言葉を濁してため息をついた。
 「電脳世界だと肉体の感覚がないから、疲労の具合がよく判らなくて……。」
 力を使いすぎてまた意識を失ってしまったのだとみなもが答えると、雨達は「根を詰めすぎるのは良くないぜ。」と苦笑を浮かべる。それに追従するように”みなも”が、
 『そうよ、急ぎすぎて体を壊したら元も子もないんだから。』
 と言ったので、雨達が嬉しそうに「珍しくおれと意見が合ったな、もう一人の嬢ちゃん。」と声をかけると、彼女は澄ました声音でこう答えた。
 『簡単にマスターされてしまったら、教えてるあたしの立場がないというだけよ。』
 「頼りにしてます。」
 とりなすように笑ってみなもが言い、雨達は小さく肩をすくめてみせる。元は機械の”みなも”の方はどうにもかたくなで、確かに人間の柔軟さには及ばないようだ、と彼は思った。もっとも、それは単に”彼女”の性格なのかもしれないが。



     了