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【怪奇! 深夜のラーメン屋にて】
●オープニング
「突然お呼び立てして申し訳ありません」
佐久間・慎次郎はセールスマンらしくそう言って、黒・冥月の対いに腰を下ろした。
彼が指定したのは小さな駅舎を臨むこぢんまりとした喫茶店である。
「最近、物価がすごく高いじゃないですか。おかげで販売成績も上がらなくて……」
気弱に笑う佐久間の言葉を遮って、冥月は用件を言うよう促した。
それを見たのは、夜も更けたころだったと佐久間は語った。
ここ数日の販売成績の悪さについて上司からこってり絞られたのち、彼は社の近くにある駅の前を歩いていた。そうしたら――
「俺、見ちゃったんです。そこの駅の下にあるラーメン屋さんの中。包丁とかまな板とかが宙を飛んで、ラーメンを作っていたんですよ」
厚さ五センチ以内のものであれば何でも透視してしまう佐久間である。しかし、状況対処力は――生来の運の悪さも手伝って――ゼロに等しい。
「お願いします。俺と一緒にあのラーメン屋さんの中を調査してもらえませんか? お礼が必要なら、給料の範囲内でなら、何とかしますから。どうでしょうか。お願いできませんか? 俺、このままじゃ怖くて夜も眠れません!」
ほとんど涙目になって佐久間は冥月に訴えた。
●
怪奇物専門探偵と化しつつある草間から依頼された仕事は、例によって面倒かつ退屈そうなものだった。冗談のような眼の幅涙を涙腺から流しながら佐久間はお願いします、お願いします、と馬鹿のように頭を下げている。
「まあ、仕事なら請け負うが……」
そのあまりの格好悪さと行き過ぎた構図――下手をするとこちらが佐久間をいじめているように見える。まったく笑えないことに――に黒・冥月はぼそりとつぶやいた。とたんに佐久間はがばっと顔を上げて、女神でも見つけたかのように冥月を見つめる。
「本当ですかッ! ありがとうございますありがとうございます!」
「……それで、その幽霊? がラーメンを作っていて何か実害でも?」
「だって、怖いじゃありませんか!」
佐久間は拳を握りしめてまたぶわっと涙した。なんとも感情の振れ幅の大きい男である。
「幽霊がいたならそれはそれで納得しますよ」
「……するのか」
「でも、誰も、何もいなかったんです! それなのに包丁やまな板やレンゲがくるくるって店の中を飛び交ってて、それで俺どうしようどうしようって。もし見たことがわかったら殺されちゃうんじゃないかって!」
ついでに想像力が豊かすぎる性質らしい。
冥月はひとつ首を振り「この東京には色々な存在が棲んでいる」と、佐久間に語りかけた。
実際、“仕事”の関係上さまざまな妖異に遭遇したことのある彼女である。ラーメン好きな妖怪の仕業かもしれないし、何らかの未練を残した店主の霊がラーメンを作っている可能性もあると考えていた。問答無用の殺戮を行っていた暗殺者時代ならいざ知れず、廃業した今となっては必要のない死をもたらすことは本意ではなかった。
「まずは悪さをするやつかどうか確かめる、被害があるようなら排除する、それでいいか?」
子供に言い含めるような冥月の言葉に佐久間は己が身の上でも思い出したのかはっと顔をあげ、それからぶんぶんと首を縦に振った。
●
佐久間の言う時刻になるまで喫茶店で粘ってから、冥月は重い腰をあげた。実際に目にするかぎり、無害な類の怪異であることは明白である。彼女は喫茶店の筋向いにあるラーメン屋を一日中観察していたのだった。もちろん佐久間は嫌がったが当事者がいなくては話にならない。トイレに立つふりをして何度も逃亡を図ろうとした臆病なのか肝の据わっているのかわからない男――冥月相手に逃亡を企てようなど無謀以外の何ものでもない――を席に影でしばりつけて、観察した結果は以下のとおりである。
実害なし。ラーメン屋は本当に普通に営業していて、今まで見たところでは何の問題も見当たらなかった。入っていく客と出ていく客の帳尻もあっているし、その顔ぶれが変わるでもない。なにか怪我を負って出てくるものもなければ、喧嘩ひとつ起こるでもない。
「行くぞ」
影から抜け出そうとして、七転八倒すらできないまま脂汗だけを垂れ流している佐久間に声をかけると冥月は影の操作をやめて颯爽と喫茶店を後にした。もちろん、嫌だ帰るとわめき続ける佐久間を引きずって。
●
「往生際の悪い!」
いい加減イライラが頂点に達していた冥月は叫ぶと同時に暖簾を下ろしたラーメン屋の扉を開け放ち、佐久間をその中へ蹴倒した。
――いらっしゃい。
金物同士をこすり合わせたかのような奇妙な不協和音がそれに答えた。堂々と店に入った冥月は店内を見渡し、なるほど、とひとつ息を吐いた。幽霊らしき影はなく、店員や店長らしき影もない。外観どおりなんの変哲もないラーメン屋だった。狭い厨房に飴色のカウンター、窮屈に並べられた赤いスツールが並んでいる点に関しては。
ただし、その中で麺棒や肉切り包丁やフライ返しが宙を舞っているそのさまはホラー以外の何ものでもない。だが、殺意は感じない、と彼女は腰を抜かしている佐久間を引きずって席につかせると、自身も赤いスツールに腰かけた。
「ラーメン。2つだ」
――はいよ。
やはり金属と、今度は木製の何かがこすりあわされたかのような音がそれに答えた。音を発しているのは包丁やまな板やその他もろもろの調理器具たちである。
「ところで」
と、冥月は佐久間を顎で示しながら切り出した。
「気味悪がる奴も出てきている。姿があるなら出て来い」
――出てるよ。
と、金属たちが返す。同時に一斉に調理器具たちがその場で宙返りをした。ひいっと恐怖の声をあげる佐久間とは対照的に、冥月はその様を楽しそうだな、と分析した。
●
毎日あんまり嬉しそうにおいらたちを使ってくれるからさ、と包丁は語った。
冥月はラーメンをすすりながらその話に耳を傾ける。隣の佐久間は割り箸も割らずに硬直したままであった。
――なんだかおいらたちにも嬉しいのが移っちゃってさ。
今度の台詞は麺棒である。器物百年を経れば付喪神と化すというが、深い情を注がれた器物は百年を待たずに付喪神と化すことがあるという。そう言われてみれば、なるほど、どの調理器具もいい色に使いこまれてまた丁寧に手入れがなされていた。
――お客さん、おかしいね。
――ちっともおいらたちを怖がらない。
「本当に怖いのはお前たちみたいな輩じゃないからな」
付け合せのキムチまで美味しくいただいて冥月は手を合わせた。佐久間はまだ隣で固まっている。
――だったらまたおいでよ。
――おいらたち、店主さんみたいにお客を相手にしたいのさ。
――おいらたち、ご恩返しがしたいのさ。
ガチャガチャと調理器具たちが上下に振られて、どうやらいっせいに同意を示しているらしいことに冥月は笑った。なんとも人間味のある付喪神たちである。
「なかなか美味かったぞ」
――店主さんのラーメンはもっとおいしいよ。
――おいらたち、もっと研究してご恩返しするんだ。
支払いの金を置いた冥月にトングとおたまが答えてくるりと笑った。
●
「ほ……ほんとうに、ありがとうございました……」
息も絶え絶えに佐久間は頭を下げた。結局佐久間はラーメンを食することなく冥月に腕を引かれるまま店を出てきてしまった。彼が蚤の心臓の持ち主であることを付喪神たちに教えたほうが良かったろうかと冥月は少し悩んだ。あのぶんではずいぶんがっかりしたことであろう。
がっかり、という言葉と楽しげな付喪神たちの様が心に浮かんで冥月は少し笑った。
「あの、報酬なんですけれど……」
佐久間がスーツの内ポケットに手を伸ばすのを冥月は制して、
「別にいい。そのかわり何かあればまた興信所を頼ってやってくれ。いつも金欠で困ってるやつだからな」
そっぽうを向きながらの言葉に佐久間はようやく笑みを浮かべてはい、と答えた。
幸か不幸か、冥月の頬が赤くなっていることに気づくことはなく。
<おわり>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
NPC
【佐久間・慎次郎 / 男性 / 24歳 / 超能力会社員】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、黒様。
とんでもなく臆病な佐久間ととんでもなく人間臭い付喪神たちの
お相手お疲れ様でした(笑)
またのご依頼をお待ちしております。
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