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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Call To Call

 まるで幽霊を探すかのように仕事を探して歩き、まるで幽霊のように怪奇現象の起きる場所へ現れるオカルト専門の探偵・雨達圭司(うだつけいじ)は、携帯電話の着信音に気付いて服のポケットに手を入れた。そこから電話機を引っ張り出す頃には静かになったので、メールの着信だろうと推理する。彼にはその送り主の予想もついていた。
 夜の闇の中で煌々と光を放っている携帯電話の液晶画面を見ると、「新着メール1件」という文字と共に差出人である「海原(うなばら)みなも」の名前が読める。
 迷惑メールか、ごくまれに来る仕事の依頼でなければ、雨達にメールを送ってきてくれる人など彼女くらいのものだ。
 武蔵野近郊にある公立の中高一貫校の中等部に通うみなもは、彼の他愛ない話にも付き合ってくれる良き友人であり、油売りが本業と化しているような探偵に時々仕事までくれる貴重な依頼人でもある。そして、雨達はどちらであろうと彼女からのメールはいつでも大歓迎であったので、迷うことなく送られてきたメールを開いた。
 その内容とは、こうである。

 こんばんは、探偵さん。突然ですが、いいお知らせと悪いお知らせがあります。
 携帯電話にデータ化した意識をコピーし、機械のプログラムと同様の情報処理を「意識」で行う練習をしていたもう一人のあたしが、コンピュータウイルスにやられました。
 幸い、すぐにそのことが発覚したので”あたし”が駆除と復旧作業をしていますが、しばらく時間がかかりそうです。そのため、ウイルスに感染したみなもは今、意識を肉体に戻してあやつることもままなりません。
 これが悪い知らせ。
 そこで、この”あたし”が肉体も操ることになったので、あなたにその補佐をお願いします。
 どうせあなたは暇でしょうから、こちらは時間つぶしになるいい知らせでしょう。
 明日も学校があるので、早速ですがよろしくお願いします。

 これを読んだ雨達はどちらも悪い知らせだと思った。


 現在、海原みなもという少女の中には、元は携帯電話の付喪神(つくもがみ)だったモノがもう一つの人格とも言うべき存在となって溶け込んでおり、本来のみなもと奇妙な共存をしている。両者は意識や肉体を共有しているが、最近はオリジナルであるみなもも携帯電話を介して付喪神のように活動できるよう、電脳空間で練習に励んでいた。
 ウイルスに感染したのはその最中のことである。
 正確に言えばそのウイルスはワームであり、電脳空間下でのみなもの人格と意識となるデータの集合体に単独で侵入し、一部のデータを書き換えて増殖しようと企てた。それに付喪神の”みなも”が気付いてみなもの練習を中止させ、感染したみなもを他の感染ファイルごと隔離したのである。
 対処が早かったので深刻な被害はまぬがれたが、みなもはデータを書き換えられたために電脳空間でとっていた仮想映像も歪められ、部分的に変形していた。南の澄んだ海のように鮮やかで美しかった長い髪は、意思を持った別の生物であるかのような動きを見せる不気味で妖しげなものに変わり、青ざめた顔をおおう両手も腐敗臭でもしそうな毒々しい色合いの珊瑚じみたものになりはてている。
 改竄(かいざん)された人格データからはいつもの優しげな笑顔が失われ、恐怖とも怒りとも困惑や動揺ともとれる感情が強く支配して彼女の思考を妨害していた。
 「あたしは何をしていたっけ? 確か学校が終わったあと、家に帰っていつものように情報処理の練習をしていて……それから何か……何か? データが……触れた途端に何かが……?」
 記憶も書き換わり、その先はみなもにとって思い出すのもおぞましい混沌としたでたらめな情報の渦にのまれ、途切れてしまっている。それにおびえてみなもは一人で震えていた。
 そんな彼女を即席のせまい密室に閉じ込めたもう一人の”みなも”が、あきれと同情まじりの口調で言う。
 「だからウイルスには気を付けてと言っておいたのに。後始末が終わるまではここでがまんしてて」
 「はい……あと、体の方はお願いしますね。学校とか……あなたも……きっと楽しいから……。」
 最後はまるで独り言を呟くような調子になった返答に”みなも”は人間のように小さく息をついた。
 「気にしてくれるのはありがたいけど、今は自分の方が大変なの、判ってる? バックアップデータはちゃんと残ってるから、処理が終わればきちんと直してあげるけどね」
 しかしみなもにはもう聞こえていないのか、小さな部屋の中からの返事はなかった。

 元々は携帯電話という機械から生まれた付喪神である”みなも”にとって、一度に複数の作業をこなすのはさほど難しいことではない。携帯電話に「憑いた」状態であった付喪神モドキのみなもに侵入したウイルスを駆除し、壊れたデータを修復しながら、みなも本人の意識がない状態の肉体を動かすということも理論上では充分可能なはずである。
 実際、ただ動かすという点においては何ら問題はなかった。普通の人間にしても、単純に息をして栄養と休息を取り生きていくだけなら簡単である。
 それにもかかわらず人の多くが悩みを抱え、詩人や芸術家が生を讃美し嘆くのは、それ以外の要素が人間の営みを彩っているからに他ならない。そのことに”みなも”が気付いたのは退屈な午前の授業が終わったあとの昼休みのことだった。
 動作を一部制限した状態で携帯電話の通信機能を使って雨達のパソコンや電話と連携を取り、学校での行動のフォローを受けていた”みなも”は、午前中の授業だけで学校の窮屈さというものを嫌と言うほど思い知らされたのである。
 「数学とか物理とか歴史とか、答えが決まっているものはそれを知ってさえいれば簡単だけど、国語はだめね。感情を込めて読めだとか、解釈はどうだとかいうのはよく判らないわ」
 文章の意味は書いてあるのだから読めば良い。それを、無駄に強弱をつけたり間を置いて読み上げたりする必要がどこにあるのか彼女には判らなかったのである。また人間の感情の仕組みなどは判っていても、彼女自身、ただ書かれた文章の内容だけで共感を得られるほど想像力や共感できるほどの経験があるわけではなかった。そのため、解釈などと言われても書かれている以上の、あるいはそれ以外の発想は現状ではできなかったのだ。
 「答えの決まっている科目にしても、他の生徒が間違えるのを全部指摘したら変な顔で見られちゃうし、先生の不十分な説明を補足したら何故か怒られるし。休憩時間だって、何をしてもいいって言うのに実はしちゃいけないことの方が多いんだから疲れちゃう。」
 『疲れるのはこっちも同じだよ。あの理科室にあった実験器具、おれが止めていなかったら勝手にいじっていたのかと思うと……。』
 そう言って電話口でため息をつく雨達の重々しい声がする。”みなも”自身は携帯電話での内部処理も現在進行形で行っているため、電話機を耳に当てなくとも直接雨達の音声を認識できていた。端から見れば独り言を言っているようにしか見えないが、幸い彼女の逃げ込んだ屋上には他に誰もいなかったので、愚痴も遠慮なくこぼせるというものだ。
 「だってあの装置、接続を間違えていたんだもの。」
 『ああいうのは生徒が先生の許可なく触ってはいけないものなんだよ。プログラムにだって管理権限はあるだろう。』
 「そういうものははじめからそう設定されてるから聞かなくても判るけど、人間は違うじゃない。全力とか完璧にやるのもだめみたいだし、よく判らないわ。」
 『ずっと全力だったりずっと完璧だと、肉体のある人間は疲れてしまうから適当に手を抜いた方がいいんだよ。あと、時には周りの人を立てるのも礼儀ってものさ。』
 雨達のそんな答えに”みなも”はうなり声をあげた。
 「だめだわ、これ以上は処理能力をオーバーしそう。午後の授業はさぼっていい? 手を抜いていいと言ったんだからいいわよね?」
 『さぼっていいという意味じゃないぞ。その気持ちはよく判るが、それを味わいながら放課後を待ち望むのも学生の楽しみの一つだよ。』
 それを聞いた”みなも”は首をかしげ、そういうものかしら、と呟く。それから、
 「でもさぼったら、きっとあっちのあたしが困るわね。」
 と言ってあきらめたように小さく肩を落とした。
 『できる限りおれもフォローはするから。』
 「期待しないで待ってるわ。」
 なぐさめるように言った雨達に取り付く島もない口調で答え、”みなも”は教室へ戻ろうと階段を下り始める。そして廊下に出たところで物理の授業をしていた教師とはちあわせ、こう言われたのだった。
 「ああ、海原さん。さっきは実験器具のことを教えてくれてありがとう。次の授業で使おうと思っていたところだったから、その前に判ったので助かったよ。」
 「え……いえ、どういたしまして。」
 驚きながらそう答えた”みなも”の耳に、『やっぱりお前さんは、嬢ちゃんと似ているところもあるなあ。』と言う、どこか楽しげな雨達の声がした。



     了