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<東京怪談ノベル(シングル)>


【想いのいろは】


 草間から、たまには飯でも食わないか、との連絡が入ったのは夏も終わりにさしかかるある日のことだった。指定の場所は誰でも知っているだろうが誰もが入ることをためらうであろう高級料亭。予約が絶えないというその店にどういうつてで予約を入れたのかは知れないが――ついでにあの貧乏探偵が支払いをどうする気なのかも知れないが――黒・冥月は高揚した気分で服を選び、靴を合わせてその場所へ向かった。
 そのふわふわとした気分は今も続いている。小さな座敷に草間と二人、廊下ではてんぷらを揚げるいい音が響いている。小さいなりに調えられている床の間にも、そこに掛けられた掛け軸にも品があり、冥月は自分でも気づかないほどゆるみきった顔で草間と相対していた。
 すす、と引き戸が開いて丁寧な所作の料理人が揚げたてのてんぷらをテーブルに置いた。そのてんぷらを自分と冥月のあいだに引き寄せた草間も、いつものけだるい態度はどこへやら、どこか落ち着かないそぶりを見せている。
(きっと私といることで緊張してるのね)
 そんな感想をするりと頭の中で吐き出しながら、その危うさに気づかないほど冥月はゆるみきっていた。
 揚げたてのてんぷらはさくさくと歯ざわりが良く、軽い塩気がだしのきいた出汁巻きたまごともよく合う。ずず、と音をたててお吸い物をすする草間の行儀の悪さはさておき、そのときまでたしかに冥月は浮かれていた。
「ところで冥月」
「なに?」
「この近くにラーメン屋がある。そこの怪異を解決する気はないか?」
 まったくくそ真面目な、色気も洒落っ気もさっぱりない草間の言葉を聞くそのときまでは。


 いっそのこと目の前の料理をその辺の安い定食屋の料理のように掻きこんでやろうか、とさえ冥月は思った。しかし、そんなことは大人げないし、そもそも料理人や食材に失礼である。それで、いったん箸を止め、ちょうど真下にあった茄子のてんぷらに突き通すことで勘弁してやることにした。
「あのな、少しは仕事を選べ」
 びくりと草間が肩を揺らしたが、これは見なかったことにする。
「怪奇誘引体質は仕方ないとしてもだ、幾ら金がないからって下らない仕事を請けてどうする」
「くだらなくはない。誰もいないラーメン屋でだな、包丁やまな板が飛び交ってラーメンを作ってるんだ」
「包丁やまな板がラーメンを作って何が悪い。当然のことだろう」
 聞く耳持たず茄子を頬張ると甘い夏の匂いが口の中に満ちた。
「だいたい、そのどこが問題なんだ。何の害にもならないじゃないか」
「確かに人を傷つけたとは聞いていないが……」
 それ見ろ、と茄子を飲みこんだ冥月は冷たく草間を見下した。多少行儀が悪くなっている気が自分でもしているが、これも気にしないことにする。
 変なところにこだわるくせに、変なところでプライドがないのは草間の悪いところだと冥月は思っていた。人助けが趣味ならそれもよかろう。だが、そうでないくせにそんな事件にばかり首を突っこんで、挙句の果てに金がないと泣きつくのが草間の常である。一種の変態ではないかとすら疑ってしまう行動のちぐはぐさだ。だいたい――
(少しは格好好い態度見せてよね)
 そう思った直後、冥月は我に返って自分の言葉を訂正した。そんなことは微塵も思っていない。いないはずだ。いないはずだが、しかし――。
 目の前の草間を窺えば、彼はどこか悄然として焼き魚をちまちまとつついていた。その様子は、なんとなくこちらが大人げもなくいじめているような気分になる。料理人が障子の向こうでよかった、と冥月は内心で胸を撫で下ろした。もしこの様を見られていたなら、きっと自分が悪者にされたに違いない。
 いや、それは違う、悪者はあくまでも格好のつかない草間で自分は――ああ、これはさっき自分で否定したんだった。

「だいたいだ、私はあの高額な報酬で引く手数多だったんだぞ」
 あの高額な、とはもちろん暗殺者時代の報酬の話である。草間もその辺は理解しているので、こくんと頷いてそれに答えた。
「そんな私にラーメン屋の怪異を調べろというのか。なんだ、そのラーメン屋では死人でも出ているのか? それとも食中毒患者か?」
「いや、依頼人がひどく怖がっていてな」
 ほらまた悪い病気だ、と冥月は首を振る。
「そんな理由で私を使うのか。私を使いたいならもっと困難な依頼を持ってこい」
 以上、話終わり、と打ち切る勢いで箸を使っていると、草間がポツリとつぶやいた。
「お前だからなんだけどな」
 熱心に箸を使っているふりをして盗み見た草間は相変わらず魚をつついていた。つつきすぎて魚の塩釜焼が魚の焼死体になっているのはさておいて、ともかく草間の様子は悄然として悲しげであった。
「お前だから、こんな依頼を頼んでるんだがな」
 思わず仕方ないと言いかけて、待て待てと冥月は踏みとどまった。この手には何度か引っかかったような気がする。気がするが、しかし――
「お前が理解してくれないなら――」
 皆まで言わせずに、冥月は湯呑を手に取るとそれを草間も驚く勢いで一気に呷った。
 ガツン、と湯呑をテーブルに置いた衝撃で、草間が軽く飛び上がる。彼が目の前に掲げた両手は「待て、話せばわかる」と言っていた。
「貴方だけなんだからね」
 きっと草間を睨み据えて冥月は繰り返した。
「貴方だけなんだからね。こんな些細な事件をタダ同然で私にやらせるのなんて」
 睨み据えた瞳に反して口元が緩んでいたが、冥月はそれを何度目かのなかったことにして、そして改めて自分の言葉を反芻して真っ赤になった。冥月の言葉の威力は草間の表情が一番物語っていた。その真っ赤に染まった顔を見て、ようやく溜飲の下りた思いで冥月は紫蘇のてんぷらに箸を伸ばし、それを持ち上げるのに必死で真っ赤になったのだという芝居を打った。


<おわり>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

NPC
【草間・武彦 / 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、黒様。ご依頼ありがとうございます。
高級な料亭は私も行ったことがありません。
今回の黒様と草間がうらやましいです。
それでは、お楽しみいただければ幸いです。