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<東京怪談ノベル(シングル)>


Adherence


 人は、生きるために様々な方法を用いている。
 例えば植物を栽培し、動物を飼育する。それは人が生きるために他のものを育て、そしてそれらを食料とするためである。
 その名目のもと動植物はその日が来るまで人に生かされ、そして人もそれを丹精を込めて育てている。
 未来は決まっている。が、それまではある意味で理想の共存関係であるとも言える。人の加護がなければ、彼らは世界の中で平穏無事に生きられるかどうかも分からないのだから。

 ただ、それにも限界がある。地球には人間が増えすぎ、その食糧事情も限界に近づいていた。
 どうすればいいのか。単純に生産性を増やすには手間がかかりすぎ、数を増やそうにもそのコストは嵩む。兎に角、人類は多くが気付かないところでその解決方法を求められた。
 そんな彼らが、その「答え」に行き着いたのはある意味必然であったのかもしれない。
 人間が増えすぎたのなら、その人間を使えばいいのだ。



 数ヶ月前、日本である事件が起きた。
 成人女性の連続失踪事件。その事件自体は犯人グループの逮捕という結果で表面的には決着を見た。しかしその裏で、その事件の真相が動き続けていることはほとんどの人間が知らない。警察も、司法も、そして当事者でさえも。
 この事件がとある実験のために行われた。そしてその実験は一定の成果をあげ、実験は正式なプロジェクトとして発足することになった。当然秘密裏にではあるが。
 それは即ち、人間を家畜とする実験。特殊な「服」を着せることにより人間を家畜とすることで、それにかかる様々なコスト削減や食糧危機問題、その他諸々に関することを代用出来ないか調べる実験であった。
 「牧場」における実験によって利点と問題点、そして結果とそれに伴う将来的な予測が立てられた。そして実験は新しい局面を迎えた。

 問題点とは解決点でもある。将来的に有望なこのプロジェクトに全てを賭け、研究者たちはその解決へと全力を注いだ。
 まず人員はやはり人権的な問題もあるため、(秘密裏にではあるが)希望者を募ること。
 次に「家畜化」した際の問題、即ち被験者の情動的な問題。以前は人の意識のまま家畜化したことにより、その変化に人の意識から感情の動きと言うものを奪い去ってしまった。これに関しては「服」のプログラムを全面的に変更、色々な意味で便利な人の意識はそのままに、動物的な思考を刷り込ませることによって解決した。またこれにより、以前は無理があった動物へのメタモルフォーゼもずっと自然なものとなった。
 それはまさに人間を動物そのものへと変化させるもので、彼らはより精密な動物人間を生み出せるようになっていった。
 結果としてこの実験は最初に比べれば随分と人道的なものとなり、そしてまた負担と言う意味でも軽いものとなった。最早誰かを浚う必要もなく、給料を払うだけで何の問題もなくなった。これなら将来的なコストももっと削減でき、もっと実験を進めればより完璧な「家畜」を生み出すまでに至るだろう。
 一定の結果と明るい将来性は、彼らに精神的な余裕を与える。これからはきっと穏やかに事が進むことだろう。最早事件が起こるはずもない。



 しかし、人という生物は自分の生み出したものに執着を持つ生物でもある。
 そして、それに囚われた者が確かにいた。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 彼らが実験に用いた「服」は、実際の所本来の服とは少し違う。それは魔法によって作り出されたもので、ある一定の条件化により特定のものへと変化する言わば魔法生物である。
 そしてそのオリジナルたる「生きている服」は、とある少女と共に理想的な共存関係を築いていた。そしてそのオリジナルを持つ少女が海原みなもである。
 出会った当初こそ色々とあった両者ではあったが、今ではすっかりお互いに必要とする存在となっていた。そんなみなもは、例の一連の事件にも関わっている。
 最終的には解放されたみなもだったが、その時の体験は強烈な印象として彼女の中に残っている。だからこそだろう、余計に彼との関係をよく考えるのは。

 その日、みなもはその体を「彼」で作り上げた制服で包み、のんびりとした昼下がりを過ごしていた。
 小さなテラスに置かれたテーブルの上にはティーカップに注がれたアールグレイとスコーン。既に日は高いが、夏場のそれとは違って湿度が低く吹く風も心地がいい。
 数ヶ月前の出来事がまるで嘘のよう。あれから二人は何事もなく平凡な日々を謳歌していた。
「気持ちいいですね……」
 呟いて目を閉じ風と日光を感じる。そこにあるのは自然の香りとゆるやかな時の流れ。
 数ヶ月前の事件で当事者だったみなもはその後のリハビリの甲斐もあり今は元通りとなっているが、暫くは自身がなんであったかすら忘れていた。その頃の記憶もある今、ただこうやって平々凡々と日々を送れることはみなもにとって何よりも幸福だった。
 このまま何もなければいいのに。そんな淡い希望は、しかし叶うことは無かった。

 ふと、影がみなもを遮る。その気配に気付いたみなもの瞳には、随分と長く、そしてまともに手入れもされていない黒髪の女性が写っていた。
「こんにちは」
 声は女性としては低め、そしてそこに秘められた雰囲気を察してみなもの全身が粟立った。
「――――」
 しかし気付いた時にはもう遅い。およそ人には発音出来そうにない言葉が聞こえた瞬間、みなもには自身の全てが闇に落ちていくように感じられた。
 みなもの瞳から光が消えた。頼りなく立ち上がり近寄ってきたみなもの体を受け止め、女性は小さく笑った。
「お帰りなさい」
 そう、満面の笑顔で。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 「生きている服」を生み出した魔法使いは不満を溜め込んでいた。
 以前はあれほど熱心に自身の元へ訪れていた研究者たちの足もすっかりなくなり、彼女が協力した研究は既に彼女なしに進行している。
 最初は自分の作ったものが認められたのだと喜んだ。そのおかげで多額の資金が舞い込んできたりもした。しかし今はどうだ、最早彼女は必要とすらされていない。
 自身が提供したはずの技術も既に数段階先へ進んでいるし、そこに彼女が付け入る隙間などあるはずがない。そのうち、極秘裏に進むプロジェクトへの立入すら禁止されてしまった。
 面白くなかった。全くなにもかもが面白くなかった。
 自分はもっと賞賛されるべきなのだ、それなのにこの扱いはなんだ?
 そんな鬱憤が溜まるにつれ、彼女はあるものを思い出した。

 そういえば、今進行しているプロジェクトは最初に作り出した「服」を元にしたものだ。そしてその機能は限定的で、機能的な部分だけを言えばオリジナルには遠く及ばない。
 オリジナルは一度研究素材として実験に使われた後解放されたと聞いている。しかしこれだけの素材である、今後またあのプロジェクトに使われてもおかしくはないだろう。そうすればまたあの研究は先へと進むだろうし、今度こそオリジナルが解放されるかどうかは分からない。それは彼女にとって甚だ遺憾だ。
 彼女からすれば、既に手を離れた出来損ないの量産品はどうでもいい。しかしオリジナルは話が別だ。
 そもそもあの「服」は彼女の生涯において最高傑作だと言っても過言ではない。そのため彼女がそれに抱く愛着も一入というものだ。
 ならばどうすればいいか。答えは簡単だった。

 自分が手に入れ、もう二度とやつらの手に渡さなければいい。

 魔法使いの行動は早かった。幸いオリジナルを持つ少女の所在は取引先の女から聞いていたし、今ではすっかり日常生活に戻っているとも。
 彼女からすれば、オリジナルのプログラム変更など実に容易い。魔法生物の性質が強いオリジナルは、自身の魔法によってこそ真の機能を扱えるのだから。
 そうして女はいとも簡単にオリジナルと、それを宿す少女を手に入れることが出来たのだった。



 みなもごと「服」を連れ帰った魔法使いは、これからどうしようかと心を躍らせていた。やはり最高の作品であるし、それをそのまま放置するというのも味気ない。
「何がいいかしら……やっぱり家畜かしら? 他の世界の生物もいいわよね」
 色々な生物の姿に思いを馳せ、彼女が最終的に思い浮かべたのは山羊だった。元々山羊は見た目も好きで、鳴き声も可愛らしいし乳を搾ることも出来る。愛でながら飼うには丁度よい素材と考えたのだった。それが偶々以前みなもが巻き込まれた事件の時になった姿であるとは魔法使いが知る由もないが。
 それは兎も角として、魔法使いの行動はやはり早かった。オリジナルを設計し生み出した魔法使いである、その制御の仕方も完璧であった。
 手早く山羊の生態情報などを調べ上げ、それら全てを「服」の中にプログラミングしていく。一から手探りで制御方法を調べ上げたみなもと比べるまでもなくその手順は鮮やかだった。また以前の事件の情報が服の中に残っていたのも手早く済んだ原因の一つであろう。
「さぁ変わりなさい」
 魔法使いの言葉と共に、「服」が動きはじめた。
 その速さは以前とは比べ物にもならない。精密な設計図と命令がみなもの体を組み替えていく。最早どこそこの関節が、とか内臓が、とかそんなことは瑣末な問題であった。それは「服を着せる」という枠を超え、みなも自身の体を山羊そのものへと変質させていくものだった。毛が伸び、関節は増やすのではなく組み替えられ、頭も構造自体が変化した。
 そうして出来上がったのは、まさに山羊そのものの生物。何も知らなければ、一見してみなもであると理解することすら困難だろう。唯一山羊の頭の辺りの毛がみなもの水色のそれと同じだったが、共通点などそれくらいのものだ。
 そしてこの状態で、魔法使いはさらなる完璧を求めてみなもの心を「服」でプロテクトした。言わばみなもの意識は完全に眠らせ、山羊としての「服」の意識を前面に押し出した。こうすることで、主人である魔法使いに逆らえない「服」が逃げられないようにしたのだった。
「ふふっ、可愛い」
 ゆっくりと立ち上がった山羊を見て、魔法使いは心から満足したように笑うのだった。



 魔法使いと山羊の生活は実にのんびりとしていて、魔法使いは大いに満足していた。
 乳を搾り、一緒に散歩し、毛並みを整えてやった。時には共に眠ることさえあった。
 山羊は魔法使いに従順であったし、魔法使いもそんな山羊へ愛情を注いでいた。それはまるで恋人同士で、生涯の伴侶というものを持たない彼女にとってはまさに恋愛にも等しかった。
 しかし、そんな蜜月も長くは続かなかった。
 魔法使いは知らなかったのだ。以前の事件以来、みなもも重要人物だと見做されていることを。



 最初に気付いたのは、一連の事件にも関与しみなもと親しい碧摩蓮であった。
 みなもが数日店にこない程度ならば特に問題はない。そんなことはよくあることだから。しかし、学校にも通わず家にも帰っていないと知ったら?
 以前の事件もあって、蓮の意識は殊更敏感になっていた。こんなたった数ヶ月の間にまた似たようなことがあれば、すぐさま疑い調べだしてもおかしくはないだろう。
 蓮がまず連絡を取ったのは例の組織だった。そしてその連絡は彼らにとっても寝耳に水であり、すぐさま組織からも動きがあった。
 これだけの大掛かりな実験を秘密裏に行える組織である。その捜査能力が高くてもおかしくはないだろう。
 そうして、みなもが失踪してからわずか一週間。たったそれだけの時間で、魔法使いとみなもの所在が特定された。

「なんなのあんたたち!?」
 組織と蓮がその屋敷に踏み込んだとき、魔法使いは何時ものようにたっぷりと日を浴びた山羊の毛を漉き、その腹に甘えるように頭を預けているところだった。山羊に夢中となるあまり侵入者に対する警戒もすっかり忘れていたのだろう、その姿はあまりに無防備だった。
「なんなの、はこっちの台詞さ。あんたこそ何やってんのさ」
 その声に、魔法使いは恐る恐る顔を向けた。そこには何時か取引をした変わり者の女の顔がある。
「やりすぎだ。幾らあんたでも『一般人』を攫っていいわけがないだろ」
「う、うるさいわね、そんなの関係ないわよ!」
「あるんだよ、それが」
 ヒステリックに叫ぶ魔法使いに、蓮は紫煙を吐き出しながら冷静に返す。
「そいつはあたしにとっても大切なもんだ。返して貰うよ」
 蓮が煙草を投げ捨てた瞬間、魔法使いを激しい衝撃が襲った。
 あまりの衝撃に、魔法使いの意識が一瞬で落ちる。その一瞬、魔法使いは理解した。自分が楽しんでいたその時間に、彼らが何かしらを仕掛けたのだと。
「残念だよ、あんたはいい商売相手だと思ってたんだがね」





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「こうやってあんたを起こすのは一体何度目かね」
「……蓮、さん……?」
 みなもが目を開けると、そこには何時もの様に笑みを浮かべる蓮の姿があった。ベッドから体を起こすと、眩しい日の光に思わず目を少し細める。
「おはようみなも」
「おはよう、ございます……」

 一連の事件の記憶を一切持っておらず混乱しきりのみなもに、蓮が一つずつ説明していく。
 今回は服を作った魔法使いがそれに執着し、歪んだ愛情を抱くあまり暴走してしまったこと。
 みなもが変身させられている間、みなもの精神は眠っていたので全く何も覚えていないだろうということ。
 変身を解くのには苦労したが、そこは例の研究機関の尽力もあってどうにか元に戻せたこと。
 そして魔法使いは一切の力を奪われ、そして研究機関にその身を預けられたとのこと。

「確かに、紅茶を飲んだ後から何も覚えていません……」
「まっ、それもしょうがないさ」
 今回のことに関してはみなもに一切非もなく、言ってしまえばただ不幸なだけだった。勿論それだけで済まされるものでもないが、何も覚えておらず、またこうして元に戻れたみなもからすればだから何、と思ってしまっても仕方のないことだった。
 今一状況を飲みこめず相変わらず考え込むみなもに、蓮は安心したように一つ笑った。
「ホント今回はついてなかったね。そういえば前にテストがあるとか言ってたけど、あれから10日経っちゃったけど大丈夫かい?」
「……あーっ!?」
 意地悪そうな蓮の笑みに、みなもはただ絶句するしかなかった。10日もあれば十分な勉強も出来ただろうが、最早テストまで時間はない。事件のことなどすっかり頭から外し、みなもはどうしようかと頭を抱えるのだった。
「どんな重大な事件でも、喉元を過ぎちまえば人は他のことに夢中になって忘れるもんだ」
 蓮の呟きは、頭を抱えるみなもの耳には届かなかった。





 その日、研究機関のラボに新しい『動物』が運び込まれた。それは山羊だった。
 完全なプログラミングにより本物の山羊と寸分違わぬそれは、それから家畜として正を謳歌することだろう。
 件の魔法使いの行方は、あの事件以来分からなくなっている。きっと誰もが興味もないし、忘れているのだろう。
 山羊は機嫌が良さそうに小さく鳴いた。人間の時からお気に入りの毛並みに太陽の光を蓄えて。





<END>