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<東京怪談ノベル(シングル)>


魂を紡ぐ旅〜『デス』を通して
 ――最後に目にしたのは何だろう。
「白い……鳥?」
 うっすらと目を開け、ぼんやりと三下・忠雄はつぶやく。そう、たしかに自分はもう生きていないはずなのに。仕事でのオーバーワーク、パワーハラスメント……そんな数多くの出来事に嫌気がさして、彼は鳥が羽ばたくように飛び降りた。そのはずなのだ。
「でも、あなたはまだ完全に死んだわけではないの。ここが地獄であるのは、確かだけど。身体、痛いでしょ」
 可愛らしい少女の声が背後から聞こえた。そこにいたのは、紫と黒の双眸を持つ、美しいストレートヘアの少女。少女――三島・玲奈はミステリアスな微笑を浮かべて佇んでいる。
「君は……それに、僕は……。生きていたくないから、ここにいるのに」
 状況を把握しきっていない忠雄が、少女に問う。すると少女はひらめいたといった表情で、パンと手を叩いた。
「そうだ。もしよかったら、あたしの映画の撮影とか、手伝ってくれる? 死ぬのも楽じゃないって、そんな映画」
「え、えいが?」
 当然映画出演経験などない忠雄がおどおどと尋ねると、玲奈はコクリと頷いた。
「そうよ、タイトルは――『デス』。魂を紡ぐ物語。撮影現場はこの地獄よ」


 鉢特摩(はどま)地獄。玲奈号で最初に案内されたそこには多くの死者が極寒の中、打ち震えながら支え合い吹雪の中を耐えていた。
「ここの刑期は天寿を全うするまで。たとえ身体が朽ちても、すぐに再生して続行される……」
 そんな壮絶な様子を怯えることなく、玲奈はまっすぐに見据えてつぶやく。カメラを回しながら。
 亡者と同じ視点から――ここに来るまでの道すがら、玲奈はそう言って映画の説明をしてくれた。こうやって本物の地獄を見ることによって、リアリティの高い作品を作るのだ、と。
「娑婆、つまりこの地獄の外に出たいから、みんな団結しているの。たとえ生前がどんな人間であったとしてもね」
 やせ細った亡者が、厳しい寒風に吹き飛ばされそうになりながらも必死になっている。それは映画を撮っている彼らにとっても過酷な条件だったが、それにめげること無く玲奈は見つめている。
「玲奈さんは……どうしてそんなになってまで」
「さあ、どうしてかしら? やっぱり、ホンモノを見てもらいたいから、かな」
 彼女はその穿梭異界(イージェ)能力で、この地獄にやってきた生者。その落ち着いた、でも情熱を秘めた声に、忠雄はどきりと胸を高鳴らせた。
「じゃあ、次の場所に行こうか。まだ行き先はたくさんあるんだから」
 
 次にやってきた場所には、子どもが多くいた。
「賽の河原。聞いたことくらいあるでしょう?」
「あ、ああ……」
 浮かばれぬ子どもの魂が数多くさまよう場所。そしてそこには同時に、
「鳩……か? あの鳥は」
「ええ。サラメーヤの鳩と言うわ。冥府の使いの鳩なの」
 その鳩は純白に輝く翼をはためかせ、賽の河原をスイスイと泳ぐように動き回っている。しかし子どもや鳩たちを見張るかのように、屈強な体つきの獄卒鬼もいて、大きな棍棒を振り回しては子どもが積み上げた石を崩し、その場にある卒塔婆などまでもを破壊していく。
「ああっ……」
 子どもたちは涙を浮かべて泣き出した。その様子に、思わず忠雄は駆け寄りたくなる。が、玲奈はそれを押しとどめた。
「そちらも大事だけど、こっちを。見て」
 ふわりと玲奈が指さしたその先には供養のために地蔵菩薩がしつらえた、供物の載せられた小さな台があった。獄卒鬼の棍棒がそこをかすめるが――勇敢にも一羽の母鳩がそれを髪の毛一本ほどの隙を突いて躱し、障害を越えて飛んでいく。その後ろをまだ頼りなげではあるが、子どもの鳩たちもそれに倣うようにして翼を広げ、飛行していく。
「勇気を授けるのは父親の務めとは限りません。サラメーヤの鳩はああやって子どもにエサを与え飛び方を教え、そして希望を導いていくの」
 そう言って解説する玲奈の表情は明るく、希望に満ちている。
「どうして鳩はそこまでするんだろう……」
 忠雄のつぶやきに、玲奈はくすりと笑った。
「生きているから、よ」

 次にふたりが訪れた場所は、それまでになく美しかった。玲奈の解説によると、他化自在天だという。欲界と呼ばれる世界の最上位だ。
 子どもを抱えた幸せそうな男女がいる。こぼれんばかりの笑顔を浮かべて、子どもを抱きしめていた。それを見て、忠雄は思わず目を細める。
「ここはまるで天国だね」
「そうね、そう呼ぶ人もいるでしょう。けれど、決してそれだけではない」
 その言葉に合わせるかのように、ふっと影が生まれる。背後からの影はゆっくりと形を作り、やがてそれは夫婦を引き裂く大きな手となった。しかし、夫婦は子どもを抱えたまま離れようとはしない。がっちりと手を取り合い、そして黒い手――あれも神の享楽であるのだという――の誘惑とも思える行動から必死にこらえている。
「苛烈な戦いだけど、夫婦たちは信頼しあい、一丸となって変化から家庭を護るの……」
「そうか。家族だものな」
 玲奈のつぶやきに、忠雄は小さく頷く。その瞳の奥には小さな光が灯りはじめていた。

 摩亨陀羅山、そう紹介された場所は不思議な世界だった。神猴ハヌマンと羅刹がお互いを倒し喰らおうとする修羅の世界。世界を縦横無尽に駆け回る二つの存在は、ただお互いのみしか目に入っていないようにも見える。しかも神のなせる技か、その身をどんどんと巨大化させてお互いに張り合っているのだ。
「……でも、大きいからといって強いとは限らない」
 と、ハヌマンはきゅうっと身体を縮ませて、風の神と言われるだけの素早さで羅刹の口内に入った。そしてしばらくすると、羅刹が身を捩り始めたのだ。おそらく胃を噛むか何かで攻撃したのだ。
「機転が利くのね、ハヌマンは」
 玲奈がそんな感想を漏らす。忠雄は、というと――そのすべてに心を打たれていた。
「なんだろう、この感覚は……」
 取材行程は七億由旬。ちなみに一由旬とはおよそ七キロ強である。
 時空を超えた、普遍的な世界を玲奈と共に観察し、撮影し、世界のすべてにある人外の存在を網膜というカメラに焼き付けた。
 それはつらい旅でもあった。
 しかし、何かを得る旅でもあった。
 じ、っとまっすぐに世界を見据える。その顔は様々な表情に受けとれたが、何よりも感動にあふれていた。仏の唱える全宇宙、三千世界を見て、何かに悟ったのだから。
 その眼は、透き通るように美しかった。そしてゆっくりと深呼吸をして、目を伏せる。


 と、忠雄は再び目を開けた。
 周囲では大きな歓声と、そして鳴り止まぬ拍手。
 今は映画――玲奈の監督作品『デス〜魂を紡ぐ物語』の試写会だ。
 死を乗り越え、そして今ここにいる。監督兼出演である玲奈の挨拶を終えて、主演の忠雄にマイクが向けられた。
「この作品では死後の世界を旅していますが、三下さんは死後の世界などについて、今はどう思ってらっしゃいますか?」
 女性記者の問いかけ。その問いに、彼は胸をはってこたえることができる。
「まずは全力で生き抜くこと、そして希望を失わないことが大事なのです。人生はすなわち、魂を紡ぐ旅そのものなのですから」
 そう応じる彼の顔は、それまでになく晴れやかであった――。