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<東京怪談ノベル(シングル)>


君と未来を

1.
 しとしとと雨が降っていた。
 昼前になっても、弱いながらいまだに止む気配を見せない。
「はぁ」
 ソファに座り雨を眺めながら、黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)はまたため息をついた。
「そうため息をつくな。幸せが逃げちまうぞ」
 草間興信所所長・草間武彦(くさまたけひこ)はそういうと、新聞の向こうから冥月を見た。
 草間自身、冥月のため息の理由はよくわかっていた。
「早朝から呼び出しておいて、依頼主がドタキャンとは…ため息も出るだろう」
「しょうがないさ。うちは怪奇探偵なんて悪名が広がっちまってるからな。二の足を踏んだんだろう」
 バサッと汚い机の上に新聞を放り出した草間も、ため息をついた。
「…そういえば妹はどうした?」
「あいつは別件で動いてもらってる。まぁ、簡単な案件だから任せて大丈夫だろ」
「…そうか」
 ということは、二人きりか…。
 妙にソワソワした気持ちになる。
 別に今からここで何か用事があるわけでもないので帰宅してもいいのだが、突然出来た二人きりの時間…悪くない。
 傍らにあった週刊誌をさっと手に取ると、冥月は顔を隠した。
 冷静なつもりでいたが、顔が緩んでいる気がして…それを気付かれたくなかった。
 それを知ってか知らずか静かに煙草をくゆらせながら、雑誌に目を通す草間。
 静かな時間が二人の間を流れていく。

「あぁ、そういえば…」
「な、なに?」
 草間が何かを思い出した様に顔を上げた。
「おまえ、誕生日いつだ?」
「…唐突ね」
「いや、ここに占いの記事が…俺は信じないんだけどな、妹が好きでな」
 言い訳じみていた。
「…秘密」
「? なんでだ? あ、もしかして年齢詐称か?」
「馬鹿、なんでそうなる。武彦に詐称して何の得があるの」
 草間の言葉に呆れつつ、冥月はため息をついた。
「確かに。じゃあ、なんだよ?」
 草間に諦めた様子は微塵もなかった。
 冥月は諦めて言った。

「…誕生日を知らないのよ」


2.
「私、捨子だったから…。組織にいた時は仕事と修行ばかり。…兄弟子が決めてくれた日ならあるけどね」
 そういうと、昔の記憶が冥月の頭の中をよぎっていく。
 優しい顔。逞しい腕。
 愛しい人だった…。

「いつだ?」
 草間の声が冥月を現実に引き戻した。
 我に返った冥月はふふっと笑った。
「9月6日。兄弟子は日本人でね。私の姓が日本語で『黒(くろ)』だからだって。酷いわよね」
 まだ思い出して、少し涙が出そうになった。
 と、草間が「…過ぎてるじゃないか」と言った。
「…そうね。ついこの間ね。すっかり忘れてた」
 本当は忘れていなかった。
 あの人がくれた誕生日だったから。
 自嘲するように笑った冥月に、草間は少し怒った顔をした。
「おまえにとって、その日は大事な日だろ。忘れるなよ」
 何で草間が怒るのか、冥月はきょとんとしていた。
 すると、草間は上着を着ると「行くぞ」と短く呟いた。
「え?」
 聞き返す冥月に草間は耳まで真っ赤になって言った。
「誕生日を祝ってやる…行くぞ」
 細い冥月の腕をとると、草間は勢いよく歩き出した。
 もう、こういう時は強引なんだから…。
 冥月の顔もきっと赤くなっていたに違いなかった…。
 
 
3.
 草間が連れてきたのは路地裏にある古びた映画館だった。
「おう、草間さんじゃないか。今日は彼女連れかい?」
 チケット販売所に座っていた年配の男がニヤニヤと笑った。
「ははっ。ところで、今日は客入ってるのかい?」
「いんや、若いやつはこんな映画館なんてこねぇよ」
 すると、草間はなにやら小声でぼそぼそと男と話しこんだ。
「…了解だ。草間さんの頼みなら断れねぇな」
 男は映画館の奥へと消えていった。
「冥月、こっちだ」
 草間が手を引いて映画館へと足を踏み入れた。
 映画館のロビーは何もかもが古く、今時の上映映画のポスターなど貼っていない。
 寂れたそこは、草間の隠れ家なのかもしれなかった。
「もうちょっと待ってろ」
 草間はそういうとロビーにあったボロボロのソファに腰掛けてタバコを取り出した。
「ちょっと、草間さん。ウチは禁煙だよ」
 声が上のほうからした。
 先ほどの男がなにやら大きな荷物を抱えて、草間を睨んでいる。
「映写室だよ。あのじいさんがひとりでやってんだ」
 草間は苦笑いしてタバコをしまった。
「用意できたよ。入って入って」
 少ししてから再び上から声がした。
「武彦、用意って…」
 草間は冥月の肩を抱くと、上映室へと誘った。

 二人が席に座ると、映画が始まった。
 冥月と草間のためだけの上映だった。
 からからと回るフィルムの音。
 白黒映画で時々コマがとんだりもした。
 内容は、少女が少年と恋に落ち周囲に反対されながらも大人になった二人が大きな聖堂のステンドグラスの前で結婚の約束をする、という物語だった。

 見ている間、冥月は少女と自分を重ね合わせていた。
 そして、少年があの人に見えて切なくなった。
 いつの間にか、涙が溢れていた。
 草間は黙って映画を見ていた。


4.
「どうだった?」
 映画館を出ると、雨はすっかり止んでいた。
 二人は傘を持って表通りに向かって歩き出した。
「…うん。よかった。白黒なのに、すごく綺麗だった」
「だろ。あれは音楽もいい映画だ」
 満足げに草間は頷いた…と思ったら、慌てて声を潜めた。
「他のヤツには言うなよ? 俺があんなの見るって知ったら何言われるかわからんからな」
 どうやらその口ぶりから、上映映画を選んだのが草間本人だと窺い知れた。
 冥月はふふっと声をだして笑った。
「言わない。大丈夫よ」
 
「おねーさんたち、ちょっと寄ってかなーい?」
 不意に声を掛けられた。
 それは、道路に店を広げた露天商だった。
「何売ってんだ?」
 草間は興味を惹かれたらしく、露天の前にしゃがみこんだ。
「お守りっす。どっすか? 彼女にこれとか」
 露天商はキラキラと輝く石のついた指輪を指差した。
 値段がそう高くないことからみて、おそらくガラス玉だろう。
「…これは?」
 草間が何かを指差した。
「あー、ミサンガっすね。何か願い事あるんすか?」
 そういえば昔はやっていたような気がする。
「これ、くれ。あぁ、一本でいいよ」
「ありーっす」
 草間は黒と白で編みこまれたミサンガを1本購入した。
「どうするの? それ」
 露天商を背に草間興信所に帰る道すがら、冥月は聞いた。
 すると、草間は先ほど買ったミサンガの入った袋をくいっと冥月の前に突き出した。
「やるよ。誕生日プレゼントだ」
「…私に?」
「安物は嫌か?」
「そ、そんなことない!」
 ブンブンと頭を振った。
 草間興信所に丁度着いた時だった。


5.
「ミサンガは願いを思い浮かべながら付けると、切れた時に願いがかなうんだとさ」
 そう言って草間は「つけてやるよ」とミサンガを袋から取り出した。
「ほら、つけるぞ。ちゃんと考えろよ?」
 そう急かされ、冥月は慌てて祈った。
 私の願いは…。
「よし。お前の願い、叶うといいな」
 草間がそう言ってミサンガを結び終え顔を上げた。
 途端、プチと小さな音がした。
「!? えぇぇぇええぇえ!?」
 足元を見た冥月と草間は驚いた。

 今つけたばかりのミサンガが落ちているではないか。 

「や、安物は安物か…」
 草間ががっくりと頭を垂れる。
「…そんなことないよ」
 冥月は微笑んで落ちたミサンガを見つめた。
 ミサンガは結び目とは別のところで確かに切れていた。
「お詫びといっちゃなんだが、今からケーキでも買いに…」
 草間が気を取り直してそう言おうとしたが、その続きは冥月によって遮られた。

 唇が触れるか触れないかの軽いキス。

「お礼。私の願い、届きそうだから」
「…」
「じゃあ、今日はこれで帰るわ」
「お、おい。お前の願いって…?」
 草間が引き止めたが、冥月は振り返らずに手を振った。


 ― 私の願いは…貴方が私の前から消えてしまわないこと ―