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<東京怪談ノベル(シングル)>


【アメージンググレイス】


 その日、草間興信所にはのどかな時間が流れていた。
 ぱらりぱらりと雑誌をめくる音、ニュースレポーターの控えめな声、そしてときおり煙草に着火する音。
 そんな光景が発生している原因は、ひとえに本日入る予定であった仕事がキャンセルになったことにある。いつも依頼人の困りきった声や草間の絶叫、ドスンバタンという殴打の音が響きわたる草間興信所にあって、これは特に珍しい現象であると言えた。
 黒・冥月は緊張で汗ばんだ手のひらを雑誌のつるつるとした紙にすべらせながら、しかし、表情はいつものポーカーフェイスでソファに座っていた。妙にドキドキと胸が落ち着かないのは少なくとも“東京スイーツ一番星”とかいう特集の載ったどうでもいい雑誌のせいではあるまい。こののんびりとしたうららかな、午睡の安らかさにも似た空気のせいだとしか冥月には思えなかった。
 ぱらり、とまた雑誌をめくる。それに答えるように雑誌の向こう、対面のソファのほうからぷかりと煙が浮かんでバラバラになって空中へ溶けていった。その様をつぶさに観察してから、こっそりと冥月は雑誌を少し傾けた。のんべんだらりとソファにひっくり返る草間・武彦の姿がそこにある。
 アメージンググレイス、そんな詩の一節が頭の中をよぎって冥月はくすりと笑みこぼした。


「そういえば、お前の誕生日っていつなんだ?」
 草間が突然そんなことを言い出して、冥月は目を瞬いた。いつの間にか時間が飛んでいる。
 気付けば雑誌はほとんど最後のページまで繰り終わっていた。
「突然、なに?」
「いや。お前の誕生日、いつなんだろうと思って」
 草間を観察する間に手が勝手に雑誌のページを繰ってしまっていたものらしい。思わず赤面した冥月はそれを隠すために雑誌を掲げ、それで草間が突然そんなことを言い出した理由を理解した。“今月の占い”と冠されたページには十二星座のマークとこまごまとした文字が躍っている。
「……秘密」
「なんでだよ」
 ページに隠された冥月の顔が複雑な色になったのに気付かず、草間は言葉を重ねた。
「秘密ったら秘密。別にいいじゃない、そんなもの」
「そんなもの呼ばわりなら、それこそいいじゃないか。教えろよ」
「だって……いいのよ、別に」
「気になるな、その“だって”」
 雑誌を少し下げてみると、思いがけず真剣な目の草間と目が合った。そんな目をされてはこっちがわがままを言っているような気分になる。ため息をついて冥月は重い唇を開いた。
「本当の生れた日は知らないの。私、捨子だったから。組織にいた時は仕事と修行ばかりで……兄弟子が決めてくれた日ならあるけどね」
 兄弟子、その言葉を口にした時だけぽっと心の奥に火がともったような気がする。
「前口上はいい。いつなんだ」
 なぜか不機嫌な口調になった草間に気づくことなく、冥月は微笑した。
「9月6日。私の姓が『黒』だからだって。酷いわよね」
 “そのとき”の兄弟子の言いぐさを思い出してさらに笑みこぼし、そんな自分に気づいてさっと笑みを引きこめる。そんな冥月を草間は睨むようにして見つめていたが、煙草を持った掌で首筋を撫でると雑誌の山の下敷きになっていた卓上カレンダーを引っぱり出した。
「過ぎてるな」
「確認するまでもないでしょう」
 日付はもう九月の中旬だ。その意味をこめて冥月は軽く言ったのだが、草間はそれこそが不愉快だとでもいうように眉間にしわを寄せると、立ち上がって冥月に手を伸べた。
「行くぞ、冥月」
「突然どうしたのよ、草間」
「いいから行くんだ――おいで、冥月」
 突然和らいだ言葉に瞬く間もなく、手のひらがのびた。
「もう、こういう時は強引なんだから……」
 手のひらを重ねながら文句を言ってみたが、草間はフンと鼻で笑って冥月を外へといざなった。


 興信所近くのカフェテリアに入るなり、草間は「彼女が誕生日なんだ」と言って勝手に店の中央にある丸い大きなテーブルに腰かけた。所在無く立ち尽くし、草間に目で示されるままに冥月が席についた途端に店の照明が落ちる。店員のひとりが黒子のように入口に走ってOPENになっていた看板をCLOSEDにひっくり返した。ハッピーバースデーを歌いながら店の奥からケーキを捧げ持った店長とおぼしき男性が現れ、やがて店全体を巻き込んだ大合唱がはじまった。
 狐につままれたような気分で草間を見れば、彼もまたハッピーバースデーを誰よりも大きな声で歌っている。どこかしらやけくそ気味な感じがするその歌はどの歌声よりも冥月の胸に響いた。
「どういうことなのかしら」
 運ばれてきたケーキが八等分にカットされ、そのうち一切れずつが草間と冥月の皿に乗せられてから、冥月は草間に詰め寄った。草間は何も言わず、ただ煙草をふかして笑っているばかりである。
 むっとしてケーキを口に運ぶと、粉砂糖の冷たさが舌を刺激し、即座にふんわりとした甘さを冥月に伝えた。思わずフォークを咥えたまま笑顔になる冥月に草間が得意げな顔をする。
「なに。昔、その手の現象を解決したことがあってな。それ以来の上得意なのさ、俺は」
「どうせくだらない仕事だったんだろう」
「そのくだらないことがこうやって実を結ぶんだ。情けは人のためならずって言うだろ」
 だから少しは見逃せよ、などとうそぶきながら草間もケーキを口に運び、その上品な甘さに頬を緩める。
「来年は9月6日に祝ってやるさ。だから今年はこれで勘弁しろよ」
 とんでもないと冥月はあわてて首を振り、自分でその必死さに気づくと赤面した。
「でも……来年だけなの?」
 下を向いて口走った言葉に自分で驚くが、放ってしまったものは取り戻せない。
 おそらくは驚いているのだろう、草間が絶句したような間が周囲を居心地悪く包みこみ、冥月はそんなことを口にした自分を心中でなじった。せっかく草間が祝ってくれているのに、不満を口にしてしまうなんて。自分はなんて浅ましくて、なんてちっぽけなんだろう。
 楽しい気分が端から弾けて消えていこうとしたとき、暖かな掌が冥月の頭を包みこんだ。
「来年も、再来年も祝ってやるさ」
「本当!?」
 現金に顔を上げた冥月に草間は子供相手にするように頷き――それがちょっぴり不満でもあったので――冥月は草間のくたびれた襟首をひっつかむとそれに隠すようにしてキスを落とした。リップのあとが赤くついた口端を押さえて草間が一気にうろたえる。
「約束破ったら、怖いんだからね」
 怖いことを言ったつもりの言葉は、出すはしから楽しげな音になって二人のあいだを飛び交った。クソ、と草間が呟いてやけくそのように唇を冥月の唇に押しつける。冥月は喉で笑おうとし、周囲を囲む店員の存在に気づくと草間の襟を両方立ててついたて代わりにした。


<おわり>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

NPC
【草間・武彦 / 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、黒様。ご依頼ありがとうございます。
いつの間にか誕生日を迎えられていたようで、
本当におめでとうございます!
拙作でお祝いになっているかだけが不安ですが、
そこは草間のサービスで許してやっていただけると嬉しいです。
またのご利用お待ちしております。