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<東京怪談ノベル(シングル)>


ドラッグ・ドランカー


 豊満な彼女の体に、そのスーツは少し窮屈そうだ。タイトスカートには行動を制限しないためにスリットが設けられているが、大きく開いたスーツの襟刳りからは今にも胸が零れてしまいそう。
 道行き出会う男も女も、そんな水嶋・琴美(みずしま・ことみ)の匂うような艶やかさに目を奪われた。
 ここは特務統合機動課のために作られた特殊な施設であり、出会うのは殆どが同僚のはずだ。だが、出会う者出会う者、皆が琴美を特別な眼差しで見つめる。それは欲情、羨望、そして消えることのない畏怖。
 だが、琴美はそんなことには構いもせずカツカツとヒールの音も鮮やかに、施設の奥まった一室を目指した。
 存外簡素な、だが堅牢な扉をノックしてからくぐると、そこは比較的広めの部屋で、その奥に高級木材で作られているだろう重厚な机が置かれていた。そして、その机に向かう、一人の男。
「やあ、来たね」
 表向き、にこやかにその男、特務統合機動課の司令は琴美を迎えた。だが、その目が笑っていないのはいつものことだ。
「標的は誰ですの?」
 淡々と訊ねた琴美に司令が示したのは、比較的最近になって琴美もいくらか聞くようになった製薬会社の社名だった。
「違法薬物の取引で得た利益で急成長している企業だ。その違法薬物の開発のため、身元のはっきりしない人々を浚っては人体実験を繰り返している。少なくない被験者が亡くなったり、重大な後遺症を負っている。抗議の声を上げようにも、金の力でねじ伏せられるのだ」
 司令はそう言うと、顎の下で組んだ手を広げ、大げさなジェスチャーを示す。
「我々の正義にかけて、この悪逆非道を計画したこの企業の社長を始末しなくてはならない。…やってくれるな?」
 琴美は司令の顔をじっと見つめてから、視線を下に落とし、瞼を閉じた。豊満な胸を支えるように腕を組む。
「ええ、勿論ですわ」


 社長の逗留する屋敷に潜入するのは至極簡単だった。いくつかのダミーの「信頼できる筋」を通しただけで、琴美はまんまとその屋敷のハウスメイドとして派遣されることになったのだった。
 スーツケース一つを持って屋敷に赴いた琴美は、使用人頭と思われる老人に豪奢な屋敷を縫うように案内されて、自室となる小さな部屋に通されていた。
「なかなか、趣味の良い部屋ですわね」
 琴美はそう言ってスーツケースを置くと、部屋の中を見回した。
 部屋にはベッドと小さめのドレッサー、奥に少々の収納とユニットバスが備え付けてある。使用人個人の控え室だけあって小さな部屋だが、イメージは悪くない。先ほどまで案内されていた屋敷の各部屋は成金のオーラが随所からわき出ていて気持ち悪いくらいだったのと比べれば、まるで天国にいるようだ。
 神経を尖らせてもう一回り見渡すが、盗聴器や盗撮器の類もなさそうだと判断した。
(こんな緩い警備で、よく今まで生き残ってこられましたわね…)
 だが、それは琴美としても願ったり叶ったりの状況だ。盗聴器や盗撮器があったとしても、それを処理してしまえば疑われる。琴美に見られる趣味はない。
 そうと決まれば、と部屋に備え付けられていたベッドにキシリと軽い音をたてて座り込むと、琴美は膝に乗せたスーツケースをばくんと開けた。その中には一式のメイド服だけが詰め込まれていた。この琴美持参のメイド服は、この屋敷のメイドたちが支給されるものと同じ外見だが、実は特務のために作られた戦闘用素材のメイド服だ。
 琴美は指でこめかみをとんとんと叩いてから、そのメイド服を広げてみる。
「…はぁ」
 そのため息は呆れの色が濃いものだった。
 そのメイド服は普通の屋敷のハウスメイドたちが着るような代物ではなかった。レースのカチューシャ、純白のぴんとした襟に赤のリボンタイ、バルーン袖と白いエプロンと聞けばそれほど奇異でもない。だが、腰の後ろで可愛らしく結ばれたリボンの下、スカートはたっぷりの生地でふわりと膨らみ、しかもその長さは驚くほど短い。更にガーターベルトとニーソックスに膝まである革の編み上げロングブーツが付属していて、異彩を放っていた。
「まったく、女をなんだと思っているのでしょう」
 そのメイド服は明らかにメイドを見て楽しもうという男の好色の意図が見え見えで、琴美が苛立つのも無理はなかった。
「でも、着ないわけにはいきませんわよね…」
 ふぅと再度深いため息を吐いてから、琴美はすっくと立ち上がると、着ていたスーツをするすると軽い衣擦れの音をさせて脱ぎ始めた。ジャケットを脱ぎ、スカートを落とす。そして最後に残ったシャツをも脱ぎ去る。
 すると豊満な体を隠すものはあとは下着だけしかない。
 下着姿になった琴美はスーツケースからまずガーターベルトを取り出し、フロントホックを引っかけてショーツの上につけると、ベッドに腰掛けて足を組み、ニーソックスを片方ずつ履き始める。太股が半分くらい隠れてしまうくらい長いそれは履きにくく、琴美を手こずらせたが、なんとか履ききり、ガーターベルトのホックでぱちんと留めた。
 それから、ワンピース。後ろファスナー式になっているらしく、腕を上げて折り曲げ、ファスナーを上げきる。
 そこでようやく、カチューシャをちょこんと頭に乗せると、仕上げに編み上げブーツを履いて、丁寧に紐を編み上げた。
 最後に、けんけんとつま先を地面で叩いて靴にしっかり足が入ったことを確認してから、琴美はドレッサーに付いている三面鏡を振り返る。
 そこには男ならば誰もがはっと息を呑むであろう、メイド姿をした琴美が映っていた。元々の匂うような色気と凛とした雰囲気が、メイド服と相まって更に強まっているようにも思えた。
 琴美はくるんとその場でゆっくり一回転する。ふわりとスカートが翻るが、琴美はそれを気にせずに自分を360度眺めた。そしてニーソックスの食い込みを直しながら、幾度か瞬きをした。
 自信は、あった。今まで琴美は傷一つ負うことなく任務を完璧に遂行してきた。今回も、それは変わらないだろう。
「さあ、いきますわよ…」
 琴美はそう呟いて、にこりと微笑んだ。
 鏡の中の琴美も、それを寸分違わず真似ていた。

<了>