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<東京怪談ノベル(シングル)>


すれ違う想い

 見上げた空は雲が多いが良い天気だった。
 吹く風は心地良く、思わず胸いっぱいに空気を吸い込みたくなる、そんな気分にさせる。
「今日からもう一人じゃないわ」
 自然に零れたその言葉は、彼女の気持ちを如実に表している。
 期待に胸が膨らむ彼女の足取りは非常に軽かった。一歩、また一歩と先に進むに従って上がる心臓の音がはっきりと聞こえてきた。
 彼女が訪ねてきたのは生命再生研究所。彼女の母親が亡くなってすぐ、ここに母親のクローンを作って欲しいと依頼していたのだ。
 そして今日がそのクローンの受け渡し日として約束された日だった。
 プシュ…っと音を立てて開いた自動ドアをくぐってきた彼女の姿をみつけた瞬間バツの悪そうな顔に変わった。
「あ、あぁ、ええっと…確か、藤田あやこさん…でしたよね?」
「はい。そうですけど…」
 渋い表情を崩さない研究員。小首を傾げて研究員を見上げると、その研究員の影から見たこともない少女が顔を覗かせた。
「私、あやこ! お母さん来たヨ!」
 目の前にいるのはどこをどう見ても彼女の良く知る母親ではない。面影のようなものはないこともないが、明らかなコギャルだった。
 困惑する彼女を前に、研究員も戸惑いながら弁解するように言葉を付け足した。
「すいません。預かった写真は、確かに藤田あやこさんの物だったんですが、あやこさんの学生の頃の写真だったようで…」
「……え?」
「一応、後付になるんですが最低限の記憶は植え込んだのですが、あやこさんを母親として教育するのは娘さんご自身で…」
 言葉を濁すようにそう言う研究員に、ただ言葉なく娘は愕然とするしかなかった。

 嫌だとつき返すことも出来ず、娘は母のクローンを自宅へ連れ帰った。
 玄関を開け部屋の中に入ると部屋の中は酷く散らかっていて、荒れ放題になっていた。
 見た目は違えども、母には違いない。そう思った娘の目尻にジワリと涙が滲み出る。
「ずっと独りだったの…。寂しかった…」
 涙ぐんで顔を伏せる娘に、あやこは小首を傾げながらもポンポン、と娘の背中を軽く叩いた。
「もう大丈夫! 私に任せて!」
 娘を部屋にやったあやこは、早速部屋の片付けに取り掛かる。が、その前に昼も近いので食べるものを作ろうとキッチンに向かった。
 洗濯物を拾い集め、近くに置いてあったプラスチックのケースを持って洗濯機へと向かった。そして洗濯物を投げ入れ、先ほど持ってきた粉を振りいれスイッチを押す。
「よし。完璧!」
 得意満面な表情で、掴んで持っていったのはプラスチックケースとは別の容器だった…。

「わぁああぁっ!」
 娘が部屋に戻ってしばらくすると下から奇妙な声が上がってくる。
 慌てて部屋から飛び出すと、キッチンでは凄い事が起きていた。
 明らかに洗濯洗剤の匂いがするたこ焼きが焼きあがり泡まみれになっている。ふと、窓の外を見れば干してあるセーラー服にはベッタリと白い物が付いており、水が滴るほどにビショビショのまま干されてた。
 急いで洗濯物の傍に駆け寄ると、白いものは、水分を吸って粘性の高くなった小麦粉の塊だった…。
「ちょっと!? 何これ! 洗濯洗剤と小麦粉間違えるなんてあんたバカっ!? 信じられない!」
 悲壮な声でそう叫ぶ娘に、あやこはギクリと顔を強張らせ萎縮する。
「ご、ごめん…」
「もういい! 今日はブルマで行くから!」
 そう声を荒らげ家を出て行った娘を、しょぼんと落ち込んだあやこは見送った。
 一階部分を綺麗にし終わり二階の娘の部屋へとやってくる。
 部屋の中もやはり散乱していた。ベッドには継接ぎだらけの枕があり、その枕元には半分破られた写真が写真立てに入れられて立っている。おそらく破られた側には母親が立っていたのだろう。
 あやこはその写真たてを手に取り、じっと見詰めながらぽつりと呟いた。
「何だかあの子、幸せそう。生前前の私ってどんな母親だったのかな…」
 そう言いながら写真盾を元に戻し先ほどの、詫びとして古びた枕を交換する事にした。これであの子が喜んでくれたらいい。そう思ってした事だったはずなのに、娘が帰ってくるや思いもよらない反応が返ってきた。
「何てことしてくれたのっ!? あれはお母さんの遺品だったのよ!」
 声を荒らげる娘を前に、あやこは堪えきれない涙がボロボロと頬を伝い落ち、その場にしゃがみこんでしまった。
「本当にごめんなさい! 私って、どうしてこんなに駄目なの…!」
 しゃくり上げるほどに泣きじゃくるあやこに、娘はそれ以上何もいえなくなってしまった。

 そんなある日、下校時刻に娘の下駄箱の前に佇む一人の後輩がいた。
 それに気付いた娘が不思議そうに近づいていくと、その後輩の手には「ぉねぇさまぇ」と書かれた手紙が握られている。
 もしや告白なのでは。そう思った娘は嬉しくなって声をかけようと口を開いた。
「あ、いたいた!」
 目の前の後輩でも自分でもない別のところから響いてきた声に、娘の伸ばされた手がはたっと止まる。後輩はビクッと身を強張らせ、真っ赤な顔をしてそそくさとその場を立ち去ってしまった。
 それに対し、娘は言いようのない憤激の思いに駆られたのは言うまでもない。
「最っっ低!!」
 自分でもビックリするほど大きな声で怒鳴り散らすと娘はその場から駆け出して行ってしまった。
 翌日、休みだと言うこともあり自室で不貞寝している娘の元に、あやこはやってくる。だが、娘はあやこに背を向けたまま振り返りもしない。
「…朝よ」
 そう力なく一言声をかけ、あやこは娘の部屋を立ち去った。
 あやこが立ち去った事を確認した娘はゆっくりと起き上がり、力なく後ろを振り返りあやこが立ち去ったドアを見詰める。
「…驚いた。あいつ、声だけは母親なんだ…」
 複雑な思いでそう一言ボソリと呟いた。

 二人の複雑に絡み合う感情は、唐突に起きた。
 あやこは母親像を探る為に、娘の部屋に入りアルバムなどを見てみようと思ったのだが、娘に見つかってしまったのである。
「昔の母親像を探そうと思ったの? 無駄よ全部焼いたわ! 母は死んだの!」
 日頃の耐えられない思いを全てぶちまけるかのように声を荒らげているの娘の歯止めは効きそうもない。
 あやこは娘のその発言に何か言おうと口を開くが、二の句を告げる前に予想外のセリフが投げつけられた。
「お前なんか死んじゃえっ!!」
 そのセリフを聴いた瞬間、自分でも思うより先に手が動いていた。
 あやこは大きく手を振り上げ、思い切り娘の頬を打ち抜いていたのだ。
「何てこと言うの! 私は、少しでもあなたのお母さんらしく…」

「何よっ! いつだってそうよ。母さんはすぐ怒るし…っ!」
 あやこの言葉を遮り、ぶたれた頬を押さえて涙目になりながらそう叫んだ娘はそこではっと言葉を呑んだ。

 無茶苦茶するものの家に戻ってきてからのあやこは毎日毎日自分の為にせっせと働いて、悪戦苦闘していた。その姿を知らないわけじゃない娘は、反発しながらもいつしか心の中ではあやこを母親として認識し始めていたという事にこの時になってようやく気が付いたのだ。
 目の前で同じように涙を溜めているあやこを見ていると、先ほどまでの憤りはどこへ行ったのか大人しくなってしまう。
「……ごめん…。母さん…」
 娘はぽつりと呟くような声でそう言うと、あやこはハッとした表情をしながらも、目尻の涙を拭いにっこりと笑うのだった。