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<東京怪談ノベル(シングル)>


うつろいの白き貴婦人
 ――ある日の事。
 学校から帰った海原・みなもは届けられた荷物を手に少々困っていた。
 送ってきたのは彼女の父。そして中身は一冊の書物、だったのだが……。
「……この本って……」
 小さく呟いてしまう程度にその本は何か胡散臭かった。
 一見可憐な装丁をしてはいるものの、華奢ながらも鎖が巻き付けられており、さらには鍵もかかっている。
(「……仁科さんのお店で見たような……」)
 みなもはため息を吐く。先日、仁科雪久が店主を務める古書店にて不可思議な本に遭遇したのは記憶に新しい。
 彼女が今手にしている本は、細かい装丁こそ違うものの、あまりに似通った雰囲気を持っていた。更に――。
 ぱきん、と小さな音がし、鍵がはずれ鎖がしゃらりと涼やかな音を立ててその場に落ちる。
(「……あたしが持った途端に鍵が外れるし」)
 仁科の書店で手にした本も同じくみなもが手にした途端に鍵が外れた。つまり、この本は恐らくあの時の本と同様の力を持つ可能性が高い。
 あの時、みなもはとても大きな変化に見舞われた。思い出すと身が震える。だが……あの時手にした本は、その後消滅した。謎はあまりに沢山残っている。ヒントとなるものは、みなもが手にしたこの装丁がよく似た本のみ。
「お父さんがくれたものだから、致命的ではないと思うけど……」
 覚悟を決め、ため息を吐きつつみなもは本を手に自室へと戻る。
 ある程度中身を読んでから仁科に意見を聞いてみようと思いつつ。

 ――内容は、シルキーと呼ばれる妖精に関するものだった。
 その妖精は文章や、ゲームなど様々な媒体に登場する。
 妖精自身の歴史はそれなりにあるものの、ゲームにも登場するという事を考えると意外に最近の媒体にも名が出るようだ。
 確かに参考にはなる。なるのだが……ごく普通の本だ。あの時のような変異は起らない。
 ある意味に於いて期待外れな状況に少女はため息を吐き本を閉じる。
 衣装がセーラー服から真っ白なシルクのドレスになっている事にも気づかずに。
 いや、気づいていないわけではない。その服装である事が彼女の中で「あたりまえ」になっていたのだ。
 少女は見慣れたはずの室内をぐるりと見回す。
 そして――何か妙に片付いて居る部屋を散らかしてみたい気持ちになった。

 適度に部屋を散らかした少女は本を片手に都内を歩く。
 シルクのドレス姿……それも目もくらむような艶やかな布地であるにもかかわらず、周囲の人間は誰も彼女を気にしない。勿論彼女自身もごくごく普通に振る舞っている。
 仮にコスプレイヤーだと思うにしても、あまりにしっかりした布地に目を奪われる事は間違い無い。何より華やかさを追求した見た目ではなく、もっと落ち着いた雰囲気なのだ。だがそうであるとしても、この都内の雰囲気からはあまりにも浮いている。
 しかし彼女とすれ違う人物は誰1人としてふり返ることも、それどころか足を止める事も無い。
 歩く度にさらさらと涼やかな衣擦れの音を立て、彼女はアスファルトの上を歩く。
 人々のとコンクリートの林を抜け、少女は目的地へと1人向かう――。
 目的地はとある古書店。妙にほこりっぽかった様子を思い起こし、彼女は思う――片付けなければ、と。

 都内某所。
 ビルの一階には本が大量に詰まった古書店がある。
 古書店には相変わらずひとけは無く、店主の仁科雪久がのんびりとお茶を啜っている所だ。
「…………おや?」
 雪久は軽やかに店内へと入ってきた少女の姿に少し訝しげな顔をしてみせた。
 だが彼のそんな表情に動揺したのは少女の方だ。前回やってきたときは、また機会があったら立ち寄るようにと言ってたが、訝しげな視線を向けられると悪い事でもしているのではないかという気持ちにもなる。
「こんにちは」
 居心地悪くなりつつも彼女は挨拶をする。そんな彼女に雪久は無遠慮な視線を投げつける。
 シルクのドレスを纏ってはいるものの、見覚えのある青い髪、そして僅かにそれより濃い色をした瞳。しげしげと眺めた上で、雪久はこう問うた。
「みなもさん……だよね?」
「はい……」
 何故こんな発言を? と思いつつ彼女は改めて問う。
「あの、あたし何か変ですか?」
「変というか……ちょっと来てくれるかな」
 雪久に導かれ、彼女は鏡台の前へ。
 写っていたのは確かに自分自身の姿。
「仁科さん……?」
 態々鏡台の前へと連れてこられた理由も分からず少女は雪久へと困惑を示す。
「……みなもさん、よく思いだしてもらっていいかな? 君はいつからその服装をしているんだい?」
「あ……」
 漸くみなもは認識する。鏡の中の自分は。いや、今この場に存在する自分はいつからこのシルクのドレスを着ていたのだろう、と。
 それを認識すると同時に、彼女の纏っていたドレスは次第に光沢を失い、普段通りのセーラー服へと姿を変えていく。丈は足元につくほどの長さから、膝丈程度に。
 更に先ほどまでの、この古書店を片付けたい、という思いが熱がさめるように引いていく。先ほど本を読んでいた時の変化とは逆にもとあった姿へと戻っていく。
「うーん……何か記憶や認識を操作する魔法でもかかっていたのかな?」
 そう仁科は独りごち、そしてみなもへと問いかける。
「気分は悪くないかな? 頭が痛かったりはしないかい?」
「いえ、大丈夫です」
 みなもの気丈な答えを聞き、仁科は笑顔でこう告げた。
「どうやら何かあったようだね。向こうで話を聞こうか」と。

 古書店の隅にて、みなもと雪久の2人は顔をあわせる。2人の前では雪久が持ってきた緑茶が陽光を受けて煌めいている。
 みなもは持ってきた本を仁科の前に差し出し、中身の概要を説明していた。
「シルキーの本か……それにしても、先日の本と同じ種類にしては随分と新しいね」
 すい、と雪久が本に手を触れる。
「仁科さん、大丈夫ですか?」
 みなもは心配そうに彼の様子を見守る。もしも雪久に変化が起ったら、どう戻したものか、と。
「……ああ、どうやら私にはこの本は効果を及ぼさないみたいだからね」
 にこりと笑う彼に、みなもは一瞬ドレス姿になった雪久を想像し、頭をぶんぶんと振りその想像図を追いだした。
 一方本を手にした雪久は、表情が険しいものへと変える。言うなれば、古書店店主としての顔に。
「ええ、お父さんから送られてきた本なんですけど……」
「お父上から?」
 ふむ、と唸り眼鏡を押し上げる雪久。
「やはり作られた年代が違いすぎる……中の書体も、内容の方向性も違うし、文体も違うみたいだね……という事は……」
「ブラックドッグの本を作った人物とは、別の方が作った……という事ですか?」
 みなもの問いを雪久が首肯する。
「それに、この本自体には記憶や認識を操作する魔法はかかっていないみたいだね……恐らく、本の内容によるものだったんだろうとは思うけれど」
「内容……」
 一通り読んだ内容を脳内で思いだし、みなもは答えを出す。
「シルキー絡み、って事ですか?」
「多分」
 こくりと頷く雪久。
 彼の告げる所によれば、シルキーは顔は見覚えがあるにも関わらず、名前は思い出せない……というような事がある妖精でもあるという。つまり、ある意味において認識阻害のようなものが働いていたのだろう、と。
 みなもも本の内容にそういった事が書かれていたなと思い出す。そして、ふと一つ引っかかった。本の中に書かれていたシルキーの内容は、様々な媒体による分化が細かに書かれていた。
 ――ならば、何故その中の『どれか一つ』に特定した変化をしなかったのだろう?
「ところで仁科さん、一つ聞きたいんですが……シルキーの本ってここにもありますか?」
「ああ、勿論何冊かあるけれど……読むかい?」
 雪久の問いかけにみなもは首を振る。
「いえ、大体の内容は解りますか? どれくらいこの本に書かれている内容と共通点があるのかなって思って」
 そう言い、テーブルの上に乗った本を指す。彼女が持ち込んだ、例の本を。
 仁科は椅子へと体重を預け暫く天井を見上げていたが、少ししてこう答えた。
「私の知る所だと、大凡共通しているのは『シルクの服を着た存在で、部屋が片付いて居ると散らかしたくなったり、逆に散らかっていると片付けたり』という感じかな。また、多少ながら認識を阻害し自らの存在が『あたりまえのもの』のように見せるみたいだ。他にもあるけれど、要約するとこんな所だと思うよ。尤も、細部は異なっていたりもするけれどね」
 彼の言葉を聞いたみなもは大きく頷く。それは彼女の中で一つの考えがまとまった証拠でもあった。
「という事は、あたしが変異したシルキーは、その『大凡共通している部分』のシルキーって事ですよね」
「……そうだね」
 未だ意図が掴みきれないといった様子だが、雪久は頷く。
「もしかしたら……なんですが」
 思い切った様子でみなもは告げる。
「この本には様々な媒体におけるシルキーについての事が書かれていますが、あたしが変異したのは『大凡の部分で共通する』シルキーでした。もしもこの本の内容が、どれか一種のシルキーのみだったら、あたしの姿はその『どれか一種の』シルキーだったと思うんです」
 つまり。
「もしかして、君が変異したシルキーは、本来あるべき情報が多少削られている……という話かな? 本に載っている様々なシルキーの中で、共通する部分のみが強調され、そして細部が削り落とされている……と」
 ようやく話が飲み込めたのか雪久が提じ、みなもが強く頷いた。
 大概の噂話がそうであるように、話題は人から人へと伝えられ、その口に上がる度にディテールが僅かながら変化する。
 都市伝説や伝承の類もそうだ。伝えられる度に情報は少しずつ形を変えていく。
 時には一部を強調され、そして時には一部を削られ。
 何せ、書物にしても正確無比に原文を残せるようになったのはごく最近の事だ。以前は手書きで残された為様々な写本が生まれた。
 だが、活版印刷が出来てからであっても、本を作る上で書き手の主観というものは入ってくる。それにより情報は変異する。
 人から人へと膾炙するうちに、本来の情報は姿を変えていく。
「……もしかしたら、ブラックドッグもそんな存在だったのかもしれませんね」
 ぽつり、とみなもは思いだしたように告げる。もしかしたら父がこの本を送ってくることで伝えたかったのはそれだったのではないだろうか。
「しかし、それはそれで考えようによっては危険かもしれないね」
「……え?」
 雪久が急に険しい声を出した事によりみなもは虚を突かれた。
「君の、この手の本からの狙われ具合……というのかな? それはかなりのものだ。もしかしたら君自身という『情報』が大きく書き換えられてしまうかもしれない……もしも完全に書き換えられてしまったら、戻すのは難しいだろうね」
 写本から原本を探し出すのが難しいように、それは本来のみなもを知る人物が居なければ不可能。それすらも、場合によってはその人物の主観による『みなものイメージ』が反映されてしまう事があるかも知れない。
 だからこそ雪久はみなも自身に変化を気づかせたり、みなも自身に、自分自身の存在を思い起こさせるという方法を使って元に戻してきたのだろう。
 改めて彼の言葉の意味を悟りみなもはふるりと震えた。一方雪久は申し訳なさそうに肩を竦める。
「少し脅かし過ぎたようだね。申し訳ない……とはいえ、もしまたこんな本に遭遇して困ったら、私も出来る限り協力するから」
 そんな会話をする2人をオレンジ色をした西日が染める。ふと、みなもは家を散らかしてきてしまった事を思い出す。正直急いで片付けないと今晩は眠る場所も無いかも知れない。
「えっと、すみません。急用を思い出しました。ちょっと片付けないと!」
 失礼します、とぱたぱたと駆け出すみなも。
「また何かあったらいつでも来て下さい。お待ちしていますよ」
 店の入り口まで出てきて雪久はみなもを見送る。
 日が沈み、後にやってくる朝が、前の朝とは違うように、情報もまたゆっくりではあるが移ろい変化していく。それにより新たな存在が生まれる事もあるのかもしれない。
 どこかでそんな新たな存在に出会う事もあるのかもしれない――そんな予感を抱えつつみなもは帰路につく。
 だがそれ以上に今考えなければならない事は、散らかした部屋をどう片付けるかだった。