コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


任務遂行


 水嶋琴美が無敗を誇る理由の一つに、彼女の慎重さがあった。幼い頃から才能を見出され、忍びとして爪を研ぎ澄ましてきた彼女ではあるが、決して己の能力を過信しない。カードが足りなければ揃うまで待つ。そうすることで、困難な任務も確実にこなすことができた。
 そしてどうやらカードが揃った。
 メイドとして潜入した屋敷の自室。鏡の前に立ち、琴美は自分の全身をくまなくチェックする。十九歳にしてはやや大人びて、日本人らしからぬグラマラスな体型をしているという以外は、ごく従順なメイドといったところ。けれども美しい顔にたたえられた微笑には、忍びとしての自信が滲んでいる。このメイド、一筋縄ではいくまいと思わせるような。
「抜かりはないわね」
 一人ごちると、スカートの裾を翻して、琴美は部屋を出ていった。編み上げのブーツが屋敷の廊下に高く鳴り響いていた。


 ここ数週間で屋敷の構造は概ね把握していた。重要施設のほとんどが地下に集まっており、雇われのメイド達は出入りを許されていない。地下に青ひげ公紛いの秘密が隠されているのではないかとメイド達は怯えていたが、当たらずとも遠からずといったところだった。というのも、この屋敷の主は悪辣な手段で急成長を遂げた軍事企業の社長だった。悪徳を行う人間が往々にしてそうであるように、この男もまた、自身の悪徳をさも大事な宝物であるかのように隠し守らせていた。
 琴美のターゲットは、この社長を護衛する傭兵組織のリーダー格にある男だ。ターゲットの写真は頭に叩き込んである。いかにも金汚そうな醜悪な顔立ちの中年男性。男は数人の部下を引き連れて地下施設の護衛に当たっていることが多かった。
 地下施設への侵入経路は心得ている。屋敷の北側、裏庭に面した壁に、武器類や資材の搬入に用いると思われる出入口があり、巧妙にカモフラージュされていて外からはそれとわからなかった。
 琴美は屋敷内の警備の目を容易く抜けて裏庭に出ると、地下への出入口を探した。枝が鋭く突き出しており、何度か服を引っかけそうになった。
「予想はしてたけど。やっぱり動きにくいわね」
 琴美はメイド服の胸元をちょっと引っ張って、溜息をつく。いつもの身体にフィットした戦闘服がなつかしかった。
 首尾良く出入口に辿り着くと、琴美はそっと辺りの気配を伺った。あと十五分ほどすると護衛が交代する。その隙をついて滑り込むつもりだった。
 果たして十数分後に交代の人員がやって来た。琴美は機会を逃さなかった。彼女の姿が敵の目に留まるか留まらぬかの速さで手刀を打ち込み、ものの数秒で二人の男を昏倒させた。
「少し眠っていていただきましょう」
 目が覚める頃にはすべて終わって、彼女はこの屋敷から姿を消していることであろうが。
 琴美は細く開いた扉から身を滑り込ませた。扉のすぐ下から急峻な階段が伸びており、階下はほとんど闇に呑み込まれて見えなかった。
 階段を降り切ると、唐突に地下に出る。豪奢だがいささか悪趣味の上階と違って、地下は寒々しかった。白熱灯が無機質な廊下を煌々と照らし出している。琴美は壁の影に身を潜ませ、廊下の様子を伺った。
 足音が、一、二、三人分。――来た。ターゲットだ。
 いずれも屈強そうな男で、リーダーは筋肉質な身体つきをしている。訓練された兵士というより、ならず者の集団といった印象だった。腕に覚えのある荒くれ者ばかりに違いない。その自信を十九歳の小娘に叩き折られる気分は一体どんなものだろうか。琴美の口元に人知れず微笑が浮かんでいた。
 リーダーとその部下達は、見回りのため、突き当たりの部屋に入った。この地下でも特に人間の出入りが少ない部屋。――チャンスだ。
 琴美は素早く廊下を駆け抜けると、扉が閉まる直前に部屋に入り込んだ。部下の一人が琴美の存在に気づくのがそれからワンテンポ後。
「ごきげんよう」琴美は微笑んだ。
 なぜメイドがこんなところに? という当惑の表情。すぐに戦場で培われた勘が、この女は敵だ、と告げた。
「なんだおまえは!?」
 が、危険を察知したときにはもう遅かった。まずは手前の部下をクナイで倒した。すぐにもう一人の男が向かってくる。軽く身を捻って攻撃を交わし、突き出されたナイフをクナイで受け流した。
「しっかり狙って下さい」
 忍相手にそんな攻撃では駄目だ。もっと正確に敵を見定めてもらわなければ――けれどもそんな暇は与えない。二人目の男の足を払い、手刀を首の後ろに打ち込んだ。
これで部下は片付いた。
「おまえは一体――」
 醜悪な顔立ちをしたリーダー格の男は、琴美の出現に狼狽しながらも、本能的に格闘技の構えを取った。
「一応身体を使った戦い方は心得ておいでのようですね」
 琴美の澄ました表情に苛立ち、男が向かってきた。蹴り出された足を軽いステップで避ける。次いで突き出される拳。琴美はさっと身を沈めて攻撃をやり過ごした。
「貴様、何者だ」
「それをお教えする義理は御座いません。ただのメイドではないことだけは確かですわ」
 それにしてもこのメイド服、特殊素材で作られているとはいえ、動きにくいことこの上ない。いつも身につけている戦闘服のようなサポートがないので、動く度に豊満な胸が邪魔をした。
 またも一撃。今度は避けずに受け止めたが、男の拳は重かった。力で競り合っても負ける気はしないけれど、と琴美は思う。さっさと蹴りをつけてしまおう。
 今度は琴美が攻勢に出る。高い蹴りと素早い突き。男は健闘したが、琴美には叶わなかった。
 再三の攻撃を封じられ追い詰められた男は、腰のホルスターから拳銃を取り出した。
「この狭い室内でその武器は、賢い選択とは思えませんけれど」
 男は気色ばんで、琴美に向かって数発続けざまに発砲した。琴美は弾道を見切り、僅かな動作で避けた。銃弾の一つが天井の蛍光灯に当たって弾け飛んだ。室内は一気に薄暗くなる。
「わざわざ私に有利な状況を作って下さらなくてもよろしいのに」
「貴様――忍びか」
「それを知ったところで」琴美は銃口の目と鼻の先でぴたりと立ち止まる。「どうにかできる時間はありませんことよ」
 それは死刑宣告も同然だった。
 引き金にかかった男の指にぐっと力が入るのと、琴美が動き出したのがほぼ同時。
 琴高く足を蹴り上げ、男の手から拳銃を弾き飛ばした。男は無様に尻餅をつく。
 琴美は冷ややかに男を見下ろした。
「もう逃げ場はありません。観念して、今までの悪行を反省なさい」