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<東京怪談ノベル(シングル)>


変奏の姫君
 海原・みなも(うなばら・みなも)が学校から帰ったのは夕暮れ時の事だった。
 普段より帰宅の時間が遅くなったことに少し慌てつつも、彼女はポストへと手を差し込む。指先に触れた堅い感触に彼女は何らかの荷物が届いている事に気づく。
 引き出したソレの差出人は、彼女の父親。
(「……なんだろ?」)
 父が、彼女を変異させる不可思議な本を送ってきたのは記憶に新しい。
 また同じようなモノだったら――と思いつつみなもは包みを開ける。中から出てきたものは、鎖を纏った一冊の本。「竜に囚われた姫」というタイトルらしい。
 普通ならば、どんな本なのかとワクワクする所なのかもしれない。しかし、彼女は既にこの手の本を読んだ事により自身が別の存在へと変化するという怪異に見舞われている。
 ……そして彼女は好んで厄介事に首を突っ込むような性格ではなかった。
「……即返品」
 ふぅ、とため息をつき極力本に触れないよう気をつけながらみなもは包みへと戻す。
 しかし。
「……あっ!?」
 小さくみなもが悲鳴を上げる。丁寧に扱っていたハズの本は突如鎖がはじけ飛び、あまつさえ本そのものがバラけて本文が綴られた紙が周囲へと舞い散る。
 まるで紙吹雪のように。
 突然の事態に彼女は呆然としていたが……ふと、とある事実に気づいた。
 紙吹雪のようにバラけた紙片は彼女を包むように舞っている。それどころか、紙片は彼女へとまとわりつき、その身に張り付いた。
 そして、はりついた紙は次第にその色合いを白から深緑へと変化させる。素材も紙から、硬質な鱗へと。
 懸命に逃れようともがくも、紙片はそんな彼女を嘲うかのように張り付いては彼女を変異させていく。
 やがて全身を包み込まれた彼女の身体は形状すらも変化していく。
 やわらかな曲線を持っていた肉体は、硬質のごつごつとしたモノへと。
 暫ししてその場からはみなもという、青の長い髪を持つ少女の姿は消えていた。
 代わりに存在していたのは、1匹の竜。
 竜は暫し周囲を見渡し、夜に成り立ての空へと羽ばたく。
 見かけた人々はテレビの撮影の為に準備された何かだろう、という程度の認識なのだろう。それほど視線を集める事もなく、ドラゴンは空の中を泳いでいく。
 その動きに合わせるように一筋の青の髪がさらりと流れた。

 その頃。
 古書肆淡雪店主、仁科雪久はそろそろ店を閉めようかと思いつつのんびり緑茶をすすっている所だった。
 だがコトン、と小さな音がし、何かがポストに入れられた事に気づく。
「……ん?」
 ポストへと向かった彼が見つけたものは……。
「……本、かな……」
 手に取ってみたものは本の1ページ。何処かから脱落したのか。はたまた誰かが切り取りでもしたのか。後者であれば雪久としては許せたものではない。
 それにしても何故こんなものが? と彼はその手元に残された紙片の内容を読む。どうやらドラゴンに関しての物語が書かれているようだが、その断片だけでは全容は伺い知れない。
 途端、雷鳴を思わせる音が宵闇に轟いた。
 雪久は慌てて周囲を見渡す。だが、積乱雲どころか雲は欠片も見あたらず、夜空にはぽっかりと月が浮かんでいる。事故の類にしては周囲は静まりかえっている。
 ならば、今の音は?
 事態を把握しようとする雪久の耳に、聞き慣れない音が飛び込んでくる。
 恐らく何かの羽ばたく音。しかし、その音はただの鳥にしては大きい。
 そして月を遮り雪久を覆う程の影が差し、思わず彼は空を見上げた。
「その存在」は大きかった。
 飛膜をもち風を切り滞空していた。
 硬質の皮膚は月光を反射しキラキラと輝いている。
 ……そして、人間で言うならばこめかみのあたりからは一筋の青の髪がさらりと舞っていた。
「その存在」は暫し宙を旋回したのち、雪久の前へと舞い降りる。
 突如現れたドラゴンの姿に雪久は唖然とした様子だった。確かに普通の人間ならば目前にこのような存在が現れたならば、心底震え上がる事だろう。
 それでも雪久が怯えなかったのは、ドラゴンの穏やかな青の眼の為だ。
 何かを訴えかけるようなその瞳を雪久はじっと見つめる。どうも覚えがあると彼は懸命に記憶をたぐる。
 青の瞳、そして一筋の青の髪。彼の手元に残った紙片――ドラゴンに関する物語が書かれた1ページ。
「……まさか、みなもさん……? みなもさんだね?」
 それらの単語は脳内で絡み合い一つの答えを導き出す。
 断定された言葉にドラゴンは小さく震え、そして唸ってみせる。
 ようやく自分の名を思いだした、とでも言うように。
「という事は、また例の本か……」
 雪久はそう呟きつつドラゴン――みなもを見据える。
「みなも」としての自覚は戻ったようだ。だが姿は変異したままだ。
(「……しかしどうしたものか」)
 彼にしては珍しく雪久は困った様子。だがそれを口には出さない。変異したみなもは自覚は無くとも心のどこかで自分1人では対処仕切れない困難に遭ったと判断した為ここに来たのだろう。姿形、そして認識すら変化してなお、根本の部分は決して揺らいではいなかったのだ。
 そして自己認識が元に戻った今では心中の不安や動揺はかなりのものだろう。それに、解決の手立てが解らない等と零してしまえば、ヘタをすれば彼女の心を折り、元に戻れないのではという更なる不安を抱かせてしまう。
 そんな事になってしまったら、戻せるものも戻せなくなってしまうかも知れない。
 だからこそ頼られた自分が弱音を吐くわけには行かない、と雪久は考える。
 そんな彼の前、みなもがこめかみのあたりを掻こうとする。しかし、彼女の手はいまや鋭いかぎ爪となっており、細かい作業は出来ないのだろう。
 懸命に幾度も繰り返す様子に雪久は彼女が掻こうとする部分へと近寄りじっと観察する。よくよくみれば何か紙のようなものが張り付いたかのような跡がある。
「……これは……」
 雪久は端の部分をそっと摘むと引く。深緑の鱗は白色へと色を変え、更には質感を紙へと戻っていく。勢いのままに手を離すと紙片はひらりと地へと舞い落ちた。そこには細かな文字が書き込まれており紙片が本の断片である事を物語っている。
 それも、矢張りというべきか、雪久のもとに届けられたものと恐らくもとを同じくする本だ。
 雪久はゆっくりと1枚1枚、紙を剥がしていく。
 次第に分厚くごつごつとしていた皮膚は、白く、柔らかく。
 節くれ立っていた関節はも若干ながら曲線を帯びてくる。
 みなもの青く長い髪も現れ、ドラゴンは少女へと姿を変えていく。
 ……そして最後の1枚を雪久は丁寧に剥がす。
 下から現れたのはみなもの、少女らしい笑顔だった。

「どうやら少々面倒な呪物だったようだね」
 雪久の声に、目前に置かれた湯飲みに視線を奪われていたみなもは顔を上げた。
 閉店後の古書肆淡雪店内にて、みなもと雪久はとりあえず状況をまとめる事にした。
 夜風に冷えた身体に温かな緑茶が沁みる。
「しかしこの本はどこから?」
「父から送られてきたのですが……」
 問われてみなもは答える。本を手にした途端に鍵がはじけ飛び、鎖が外れ、そして本が紙片となり舞った事を。そして、それが彼女の身に張り付きあのような変異を起こしたのだという事を。
「……しかし、そうだとしたらおかしいな……」
「何がですか?」
 雪久の言葉の意図が掴めずみなもは問い返す。確かに、読んでもいないのに変異を引き起こしたという点では今までの本とは一線を画する。
「いや、私の手元にこの本と思われる断片が送られてきたんだ」
 ぽん、と雪久がテーブルの上に積まれた紙片を叩く。先ほどはがしたものを全て取っておいたらしい。
「……なんで脱落したページが、仁科さんのお店に……?」
 みなもも首を傾げて見せる。
 だが、偶然にしてはあまりにできすぎている。
 一番考えやすいのはみなもの元へと本を送ってきた父親だろうが、態々雪久の店を調べて断片を送る意味があるだろうか?
 それとも別の何ものかの意図が絡んでいるのだろうか?
 正直解らない所だ。
 そして、解らないといえば。
「……お父様は一体何を考えているんだろうね……?」
 雪久はそう呟いた。
 態々娘を危険に合わせる意味はあるのだろうか? と。
 暫くの間みなもは逡巡しつつもこう告げた。
「多分何かを伝えたかったんだと思うのですが……もしかしたら悪ふざけなのかも知れません」 
「悪ふざけとは……随分とお茶目なお父さんをお持ちですね……」
 軽く苦笑する雪久。
「それにしても、お手数おかけしてすみません」
 剥がすの大変でしたよね、と話を切り替えるようにみなもが告げると雪久はにこりと笑みを返す。
「そうだね……なんか服を脱がすみたいで少し緊張したかな」
 彼の発言にみなもは顔を真っ赤になって黙り込む。さしもの雪久も悪いと思ったのだろう。小さく詫びて見せた。
「はは、ごめん。しかし……無事でよかった。君自身という本質は変わらなくて済んで」
 その彼の言葉はみなもの中でぴたりと当てはまった。姿勢を正し小さく咳払いをすると彼女は改めて雪久に考えを伝える。
「お父さんが伝えたかったのは、それかも知れません」
 みなもの言葉に雪久が驚いたように目を見開いた。
「何の事だい……?」
 返された言にみなもはゆっくりと頷く。己の中の考えを咀嚼するように。
「色々な物語が、様々な人の間で伝達される間に様々な内容が付け足され、書き加えられても、本質の部分は変わらない、っていう事です。あたしが、あれほど紙片によって書き換えられそうになっても、本質はあたしであり続けたように」
 物語にも主題があり、変奏がある。どれだけ変奏の為に装飾されようとも、主題が変わることは無い。
 雪久もゆっくりと頷き返す。
「あるいは幾多の写本、異本、そして流布本と呼ばれるものが存在しても、根本部分は変わらないように……か」
 どれほどの異説が現れようとも、それらから定本と呼ばれる、恐らく原典に近いと思われるものが復元される事だってあるのだ。
「しかし、気をつけた方が良いだろうね。君という原本は一冊限り。そこに書き加えられたり、書き換えられた場合君が再現出来るかは私でも確約は出来ない。それに君はまだまだ成長途中だから、どんな影響が出るとも言い切れない」
 雪久に視線は彼にしては厳しいものだ。だがそれに対しみなもはにっこりと笑う。
「……大丈夫だって信じてます。あたしの本質は変わらないし、変えさせませんから」
 恐らく雪久が思っている以上に、この少女は強いのだろう。
「みなもさんは強いね」
 ごくごく小さく雪久は呟く。あれだけ怖い思いをしただろうに、という意味も込めて。恐らく雪久が彼女の立場であったならば、堪えることは出来なかっただろう。しかしみなもはそれを乗り越えた上で、本質は変えさせないと言い切った。
 それを強さと言わず何と言うだろう?
 だが彼の呟きは丁度お茶を飲んでいたみなもの耳には入らなかった。
「……何か言いましたか?」
「いや、なにも」
 不思議そうな彼女の視線に雪久は小さく首を振る。
「それよりもう少しお茶を飲まないかい? お茶菓子もまだまだあるから食べるといい」
「……あ、でも、夜にあんまり食べると太るって……」
 差し出された急須と茶菓子にみなもは髪をかき上げつつ少しだけ困った顔を見せる。このあたりは年頃の女の子、という感じだろうか。
「なに、まだまだ成長期だよね? 大丈夫だよ」
 笑いながら雪久はみなもの湯飲みへと茶を注ぐ。
 2人の話題は本についてのものから、次第に日常の事へと移り変わっていく。
 あたかも物語が変奏され、展開していくかのように。