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<東京怪談ノベル(シングル)>


音せぬが


 トリックオアトリートの声がアパートに面した小さな通りからも響いている。楽しげに歌うように声を弾ませて、子ども達は仲の良い友だち同士で互いの家を回り歩いているのだろう。トリックオアトリート! またその声が響いて、その後はひとしきりくすくすと笑いあう声がした。
 真言が小さい子どもたった時分にはハロウィンはまだそれほどの知名度を持ってはいなかった。あるいは神社という環境に生まれ落ちた身であるがゆえに、縁が薄かったためでもあるのかもしれない。しかし、いずれにせよ、コンビニなどでも気軽にハロウィンに絡む菓子やグッズを目にするようになったのはこの数年でのことであるはずだ。
 そもそも発祥はケルト文化にあるらしい。ドルイドの祭司たちが行っていた祭りに起源があるようだ。ケルト人の一年の終わりは十月末。この夜には死者の霊が家族を訪ねたり、あるいは精霊や魔女が出てきたりする日だと考えられているらしい。つまりは日本でいうところの盆のようなものか。窓からわずかに覗き見ると、オレンジと黒を主体とした色の服装に身を包んだ子どもたちが一軒の家から飛び出てきて、また別の家に向かい走り去って行った。
 むろん、あの子どもたちが真言が住むこの部屋のドアを叩くことなどないのだし、来客の予定があるわけでもない。考えながら、真言は視線をちらりと持ち上げる。
 空は暮れかけている。夕方5時もまわれば、外はもうずいぶんと暗くなってしまうようになってしまった。気付けば時々見かけていたトンボの姿も見かけなくなってしまった。もう冬はすぐそこなのだ。
 日が沈み、夜が訪れる。まして今日は霊魂たちがこちらの世界を訪れてくる日なのだという。――わずかな期待を持ってしまったのは、これまで幾度か彼女の気配を身近に感じてきたせいだろうか。
 玄関先に置いた、小さなかぼちゃのランタンに目を向ける。電池で光るタイプの安物だ。そのランタンのスイッチを押してぼんやりと眺めた。
 真言の家は神社ではあったが、親は特にイベント事への参加を規制したりもしてこなかったし、友だち同士での様々な行事には声をかけられてもいた。けれど、参加したことはほとんどなかった。それは自制によるものだった。友だちのひとりが悪気なく言った、「おまえんち神社なのにクリスマスとかどうすんの? サンタ来んの?」という言葉が思いがけず響いたせいもあったのだろう。
 実際には、クリスマスの朝になれば枕元にプレゼントが置かれてもいたし、ケーキも出された。なんの規制もない、自由な子ども時代を送れていたはずだったのだ。
 今にして思えば、不器用で可愛げのない性格は、あの頃からもうすでに根付いていたのだろう。小さな苦笑いを浮かべて、真言は小さなため息をついた。
 もしかすると腹をすかせた霊たちが訪れてくるかもしれない。西洋のお盆だというなら、お供えと称したものを作り置くのも良いかもしれない。そう考えて、真言は小さな台所に向かい冷蔵庫を開けた。

 カボチャのプリンと、かぼちゃのパウンドケーキを作るのだ。アクセントとしてナッツ類も買ってきた。もちろん手の込んだものなど作れるはずもないから、材料も作り方も必要最低限に抑えた、ごく簡単なものしか用意できないのだが。

 携帯で調べたレシピを開き、それを見ながら材料の確認をしていく。まずはカボチャのプリンか。
 カラメルソースを作った後、カボチャを切ってレンジで熱を通し、皮をはずして、これに牛乳と砂糖を足してミキサーにかける。ボウルに卵と生クリームをいれて混ぜ合わせたものにカボチャを混ぜ込み、ザルでこしながら、カラメルを流してあった型に流しいれる。これをオーブンで焼くのだ。しかし、ただ焼くのではないという。湯煎焼きをするのだ。これが少し面倒くさい。しかし、前に一度普通に焼いてみたら見事に失敗したのもあって、今回は慎重に作業を進めた。
 プリンがオーブンの中でまわり始めたのを確認した後、今度はパウンドケーキの仕込みに入る。
 プリンを作るときにレンジで熱をとおしたカボチャの残りをつぶす。薄力粉とベーキングパウダーを合わせておく。それからやわらかくしたバターに砂糖をまぜ、卵を割りいれて混ぜる。卵はふたつも使うのだそうだ。なかなかの豪華版だ。これにカボチャをいれて混ぜ、さらに粉も入れて混ぜ合わせる。シナモンをふるい、ナッツ類も混ぜ込んでみる。これを型に流し込めば、あとはオーブンに任せるだけだ。

 ボウルやミキサーを洗った後、コーヒーをいれて飲みながら、真言はもう一度小さな息を吐いた。子どもたちの声はもうしない。時計を見ればもう二時間近くが過ぎていた。外はもうすっかり暗くなっている。
 プリンはなかなか上手に焼けた。今はもう冷蔵庫の中に入れてある。少しオーブンを休ませた後、今はパウンドケーキを焼いている最中だ。部屋の中には甘いにおいが満ち広がっている。
 玄関先のランタンは小さな光を灯し、ゆらゆらと小さな影を落としていた。

 もしも誰かと一緒に住んでいたりしたら、こうして作った菓子や料理も一緒に食べてくれるのだろうか。感想のひとつぐらいくれるだろうか。考えて、ふと、紅をひいた口許がふわりと笑う姿を思い浮かべた。――彼女は、こういう菓子類を食べたことはあるのだろうか。もしも食べてくれたら、何と言ってくれるだろうか。

 オーブンがパウンドケーキの焼けたのを報せた。竹串をさしてみる。――どうやらちゃんと焼けたらしい。見た目もふんわりとふくらんで、なかなかのものだ。
 カボチャなのだから、コーヒーでなく日本茶でも合うかもしれない。いや、コーヒーもきっと喜んで飲んでくれるのではないだろうか。そんなことを考えながら、真言はカップをもうひとつ用意して、そこにコーヒーを注ぎいれた。
 ケーキを切る。ほくほくとした湯気がたちのぼり、部屋の中には再び甘いにおいが満ち広がった。目を細めながら、切ったケーキを皿にのせてフォークを添える。それとコーヒーカップを両手で持って、玄関の、ランタンの横にそっと置いた。
 来るはずはない。けれど、もしかしたら。
 淡い期待をわずかにもって、真言はそっと目を伏せた。

 空気がゆらゆらと揺れている。
“お菓子をくれなきゃいたずらするぞ”
 通りを走りまわっていた子どもたちの笑い声が頭のどこかで小さく揺れる。
 今日はこっちへ来れる日なんだろ? 祈るようにそう浮かべながら、伏せていた目をゆっくりと持ち上げた。
 目の前には小さなランタンと、芳しいかおりをのぼらせるコーヒーと、あたたかな焼きたてのケーキが並んでいるだけだった。
 自嘲気味に頬をゆるめ、同時に肩の力を抜いた。そのときだ。
 
“くれなんし”
 ふわりと声が耳に触れて、同時に誰かが背中から手をまわしてきたような感覚を覚えた。
 驚きに目を見張り、ゆっくりと肩越しに後ろを見る。
 紅をさした口許が笑みを浮かべていた。その口許がもう一度ゆっくりと動く。
“その菓子、くれなんし”
 けれど、その口許がその言葉を編み終えるよりも先に、真言は彼女の身体に両手を回しこんでいた。

 仮にこれが夢であったのだとしても。
 抱きしめた彼女がわずかに驚きの顔を見せた後、ゆっくりと笑みを作っていくのがわかった。
 
 




ご発注まことにありがとうございました。
お届けが大変に遅れてしまい、むしろハロウィン当日になってしまいました。本当に申し訳ありません。
お待たせしましたぶん、少しでもお楽しみいただければと思います。

タイトルは玉葉集より、永福門院の詠んだ作品からちょうだいしております。

音せぬがうれしきをりもありけるよ頼みさだめて後の夕暮