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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜人に非ざる者〜


 藤田あやこ(ふじた・あやこ)は、足場のない岩ばかりの山の中を軽々と跳躍していた。
 北海道・定山渓。
 この時期は紅葉がきれいで、時間が許せば温泉にもつかりたいところなのだが、今はとりあえずそれどころではない。
 あやこの目の前を、ちょこまかと狐と狸と狼のキメラ・ころり族が走り回る。
「陽動だってのは判ってんのよ。早く観念おし」
 叫ぶあやこの攻撃が次々ところり族に命中し、倒していく。
 数が多いせいで一向に減った気がしないが、しょせん今ここに集っているのは陽動に使われた先兵たちだ。
 たいして強くもないし、正直どうでもいい。
 見た目は激戦なのだが、あやこの一方的な勝利が約束された戦場である。
 その辺に落ちていた大岩のようなものをかかえて走る一団があるが、あれは無視して先に首領を倒すべきだろう。
 あやこの狙いすました一撃は、見事にボスの後頭部に命中する。
 はねるように岩場から転げ落ち、その様を見届けたあやこは、灰色の岩場に足をかけ、腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした。
「こんなのに時間かけてらんないわ」
 大岩をかついだ一団は、あやこの視線のだいぶ先を、すたこらさっさと逃げに走る。
 今から追ったところで、間に合いそうな距離ではない。
 なんだってあんなものを持っているのかよくわからないが、まあ、あのサイズからすると雑魚兵だ。
「ちっ雑魚は深追い無用か」
 吐き捨てて、あやこは岩場を降りて行く。
 やることは多い。長居は無用だ。
 
 
 
 帰りがけに、あやこは「願望」の落成記念式典に出席した。
 場所は十和田湖だ。
 その一帯は今でも、占い師や祈祷師が修行の地として選ぶほどの巨大な霊力が渦巻く場所でもある。
 無論、一般人も、自らの願いをかなえてもらおうと、あらゆる念を持ち込む一大霊場でもあった。
 その中心に巨大な粒子加速器・願望が聳える。
 鍵屋智子が記念講義をするので、それを聴講するという目的もあった。
 壇上では鍵屋がこぶしを振り上げて熱弁をふるっている。
 講義の内容は、虚実直交理論――世界には虚構と現実があり、その各々に真実と嘘の面がある。これを虚と実を縦軸、真と偽を横軸にグラフ化した物が虚実直交座標だ。
 理論上はあらゆる虚構が実体化できその逆も可能だ、というのがその主旨なのだが、聴衆の半分はぽかんとしている。
 鍵屋の理論はたいていそうだ。
 わかる人にはわかるし、わからない人には一生わからない。
 落成式の講義内容が虚実直交理論なのは、「願望」の稼働と関係している。
 元々この施設はあやこのハラホロヒレー彗星研究の成果だ。
 稼働すれば怪異ノ類を全て虚構の彼方に葬れる。
「ちょっと訊きたいんだけど」
 壇上の鍵屋に向かって、あやこは眉をしかめて言った。
「概ね判るけど虚構の嘘って何?」
 熱弁をさえぎられてもたいして気分を害したふうでもない鍵屋は、当然のように言い放った。
「例えばアニメキャラだって嘘つくでしょ」
「成程」
――やっぱり、わかる人にはわかるし、わからない人には永遠にわからない。
 その時、後方にいた人々が悲鳴をあげて四方に逃げ始めた。
「ちょっと、何事?!」
 あやこが人波をかき分け、騒動のど真ん中に躍り出ると、先般倒したはずのころり族の連中がうじゃうじゃと存在していた。
「あんなに倒したのに、まだこんなにいるし…」
 完成したばかりの「願望」を壊されてはたまらない。
 これは人類の「希望」でもあるのだ。
 あやこは機材を守りながらの防戦だった。
 だが、その一方で、ころり族のひとりがもらした一言が胸に突き刺さった。
「良いのか? 小娘エルフ。貴様も消えるのだぞ」
 消える――そうだ、このままでは、自分も消えるのだ。
 心の中が動揺に波立ち、あやこの攻撃の手を格段に緩めてしまった。
 その隙に、ころり族の何匹かがするりとあやこの脇をすり抜けた。
 気付いて振り返った時は遅かった。
 あっという間に「願望」は破壊され、炎を噴き上げる鉄くずと化した。
「ちょっと、何すんのよ!」
 一時の動揺から覚め、狼狽しながらもあやこは、粒子のようなものがある一定の場所に向かって空を流れて行くのに気が付いた。
 そこへ、あやこの部下がこけつまろびつしながらやって来て、仙台観音が壊佛化したとの報告をした。
「どういうこと…?」
 ころり族の目的は施設壊滅ではなかったのだ。
 定山渓から持ち出した准胝観音岩に落雷させ、その力で仙台観音を壊佛に変化させることが目的だったのである。
 続報が届く。
 仙台、サンフランシスコ、アテネ、リスボン――38度線上にある都市で、観音の妖怪「壊佛」が大暴れを始めた。
 あやこは炎上する施設のそばで、地面にくずおれ、泣き出した。
「…どーすんのよコレ」
 鍵屋が壊佛を示してあやこに尋ねた。
 避けられない運命を目の前につきつけられたあやこは、声を上げて号泣しながら、鍵屋に訴える。
「じゃあ私を人間に戻して」
 誰にとっても難題であることを、あやこは願う――燃え盛る鉄くずと同じ名前のものを、胸のうちに秘めながら。

〜END〜