コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


変わらぬ想いがつなげる未来
「ふーむ……」
 仁科雪久は小さく唸り、本であった紙片とその表紙を摘み上げる。
「なんとかなりそう……かな?」
 そう呟き彼はページをあわせはじめる。
 ただ1人、閉店後の古書店内で。

 海原・みなも(うなばら・みなも)は濡れた髪をタオルで拭うと自室へと戻る。
 今日は色々な事があったなと思いながら。流石に竜と化した事は色々、などという言葉では表せない程大変ではあったのだが――とりあえず元には戻れたのでその点は良し。
 しかし勿論その分疲労はする。
 今日は早く休もう。そう思い、彼女は部屋の電気を消し布団へと潜り込む。
 疲労が溶けるように消えていくのを感じ、彼女は安らかな眠りに就く――
 ――はずだった。

 それは、お姫様を連れ去った悪い竜を英雄が退治した物語。
 ドレスを纏った青の髪の少女は周囲を見渡す。まるで映画セットのような石壁の町並み。露天が並び、果物や野菜、腸詰めなどを売り買いする人々で賑わっている。
 だが少女は人混みを避けるように行動している。
 言うまでも無く少女はみなもだ。
 頭上にはティアラを戴き、物語の姫君のよう。
 ……しかし彼女は周囲をひたすらに気にしている。まるで何ものかに追われているかのように。
「どこに行った!?」
「捕まえろ。いや、殺しても構わん!」
 表通りを武器を持った兵士の団体が駆ける。
(「一体どういう事……?」)
 本能的に「危険だ」と察しみなもは人混みを避けて行動していたのだが、か弱い娘1人を探すのに、これだけの男の集団が武装しているとは。しかも異様に殺気立っている。
 ただ一つだけ解る事は、この場にいては危ないという事。
 なんとしてでも逃れなければ命は無い。しかしながらどこに行ったものか、と悩んだ瞬間、鋭い声が響いた。
「いたぞ! 追え!!」
 つい反射で声の方を振り向くと武装集団がこちらに気づいた所だった。
 路地になだれ込んでくる前にみなもは駆け出す。迷宮のような道を右折と左折を繰り返し。
 ドレスを翻し息を切らせつつもくねくねとねじくれる道を駆ける彼女の前に現れたものは、街の外への逃げ道などではなく、更には袋小路などでもなかった。
「なに……これ……?」
 みなもはただ立ち尽くす。
 彼女は呆然としてしまったのも無理は無い。
 石畳も、そして壁も、それどころか空すらも途中でスッパリと切り取られたように途中から白一色に塗りつぶされていたのだから。
 あまりの異質さに驚くも、それでもみなもは逃げねばならない。武装集団の声も段々近づいて来ている。
「……よし」
 みなもは異質さを振り払い、その「白」へと踏み込もうとした。
 だが「白」はそれを許さない。踏み込むどころか、手を伸ばしてもその白い部分から先には何故か進めない。とはいえ壁のようなものがあるという感触でもない。影もでこぼこもなにもなく、ただひたすらに真っ白。
 何とか進もうと足掻く彼女。だがそんな背後に男達は迫ってくる。
「見つけたぞ……! 槍を持て!!」
 鎧を着込んだ人物の声に、みなもは覚悟を決める。
(「相手は人間だし、倒すわけにはいかないけれど……それでもせめて防戦をして隙をつくるくらいなら……」)
「白」を背に、懐から聖水の瓶を取り出し攻撃に備えようとした途端……。
 それまで白かった部分に突如、石畳の道が現れる。壁も、そして青い空も。それどころか遠くには露天が見え、散歩中の猫の姿さえある。
 突如現れた……いや「白」が消えたというべきか。それらに動揺しつつも逃げ道が出来た事を幸いに思いみなもは走る。更にそれを追う集団。
 しかし集団が足を止めるまではさほど時間はかからなかった。
 何故なら、集団の1人が叫び声を上げたからだ。
「なんだあれは!?」
 その動揺した声は他の者達へも伝わり、混乱をまき散らす。
 逃げるのに必死だったみなもはそれまで気づかなかったが、彼女の上方に暗い影が落ちる。
 そこでようやく彼女は顔を上げた。
「…………あ……」
 頭上に影を落としていたものは、1匹のドラゴンだった。深緑の鱗を日光にてらてらと輝かせる巨大な存在。
 青の瞳のドラゴンは、みなもを浚いあげると空へと舞い上がる。
 先ほどまで迷宮のようだと思っていた街はあっという間にミニチュアのように。そして武装した男達の声も、どんどん遠く、小さく。
 ただ一つみなもの耳に入ったものは「姫はあの魔物に殺された事にしろ。どうせ助かりはしない。これで次の君主は――」という武装者の声だった。

 ドラゴンはみなもを掴んだまま空を行く。空や、眼下の光景は時折先ほどのように白く欠けた部分も見受けられたが、修復されたのか青空に戻っていくところもある。
『無事でしたか?』
 穏やかな声でドラゴンがみなもへと問いかける。
「ええ、大丈夫です。あの……あたし……」
『危害を加えるつもりはありません。ただ、この場に居ては危険だと思い助けに来たまでの話です』
 言われてみれば、ドラゴンはみなもを緩く、しかし落とさない程度に掴んでいる。潰さないようにという配慮なのだろう。
 ――そこでふとみなもは思い出す。ドラゴンは……彼女はみなもの友人の1人だったと。名前は思い出す事が出来ないが、時折城を抜け出しては彼女のもとへと出かけていたのだ。
 そんなみなもを彼女はいつも喜んで迎えてくれた。
 だが、それは2人だけの秘密。決して誰にも知られないよう配慮はしていたハズなのだが……。
『あの人間達は、私を殺しにくる事でしょう。その前に貴女を安全な場所へと逃がします』
「そんな! あたしだけじゃなく、一緒に逃げましょう」
 みなもはドラゴンの手のなかで声を上げる。だが彼女は答えない。ドラゴンは山岳地帯にあった洞窟へと降りる。
 洞窟の中からは聞き覚えのある声がした。
「……残念ながら、これは定められた事なんだ」
 1冊の本を抱えた1人の男が中から姿を現わす。茶髪に金の目。時代にそぐわない眼鏡をかけ、服装もあきらかに異なる人物。
「……仁科、さん……?」
 酷く悲しげな調子の彼は脇に抱えた本を軽く叩く。
「みなもさん、これに見覚えあるよね?」
 それは、先日父からみなもの元へと送られてきた本――竜に囚われた姫。
 彼女の前で無数の紙片と化した、あの本。
「ここに書かれた物語は『お姫様を連れ去った悪い竜を英雄が退治した物語』だと思われていたんだ。だけれど実際は……」
「もしかして、あたしが今体験した事は、この本の?」
 みなもの問いに雪久が頷く。
「実際は『権力に流された人々が、次の継承権を持つ姫を殺し、全てを竜のせいにする事で民衆の心を掴んだ物語』……それを歪めたものだ」
「そんな……一体誰が? それに、何故歪める必要が?」
 自身の命を狙われた、という事よりも、自身を救ってくれたドラゴンが悪役扱いされる事が気にかかるのだろう。食ってかかるような勢いでみなもは問いかける。雪久が作者なわけではない。見当違いの八つ当たりだと解っていても、どうしても問わずに居られなかった。
 みなも自身、次第に気づいてはきている。恐らくみなもがドラゴンを気にするのは「そのような設定だから」だ。そうであってもあの心細い思いから救ってくれたドラゴンに親しみを覚えるのは、決して「設定だから」の一言で済まされるようなものだとは思えない。
 雪久は目を伏せ気味にし、みなもから視線を逸らす。まるで彼女が眩しすぎるとでもいうかのように。
「恐らくこの竜、そして英雄、姫は作者の生きた時代に存在した何ものかのメタファーなんだろうね。そのままであれば、権力者にねじ曲げられる程の……」
「じゃあ、恐らく今はその権力者はいないわけですよね? この本を書き換えれば……!」
「駄目だ!」
 厳しい一声にみなもの身が竦む。雪久がここまで大きな声を出すのははじめて見たかもしれない。彼女の様子に雪久も即座に「大きな声を出して済まない」と詫び、こう続けた。
「どのような内容であれ、これは作者が『そのように書いた』もの。それを他者の手で改変するのは決して良い事ではないはずだよ」
「でも……!!」
 雪久の言い分はみなもには決して正しくは思えなかった。
 何故権力者に物語がねじ曲げられる事は許されても、他者が作者の意図に沿って直すのは許されないのだろう、と。
「意図に沿うつもりでも、これは我々が後から解釈した結果に過ぎない……確実とは言い難いし、作者の手によるものでは無いからね」
 彼の言葉は追従を一切受け付けない断定といっても良いものだった。しかしながら雪久自身も厳しいと思ったのだろう。補足をするようにこう告げた。
「それでも何とかもとの物語を残しておけたのは、恐らく作者の願いだろうね」
「……願い、ですか?」
 やはり受け取りがたく渋々ながらもみなもが鸚鵡返しに問い返す。
「どれだけ意図的に歪曲されようとも、本質は決して変えさせない……という願いだよ」
 読む人が読めば、きちんと根本部分は読み取れる。いつか誰かが気づいてくれればいい。そんな願いが込められた作品。
「君は、そんな作者の願いを受け取ったんだ。だからこの世界に来る事が出来た」
 雪久の声にみなもの頬をするりと水滴が滑る。視界がぼやけ、拭っても拭ってもこぼれ落ち続ける涙。
 雪久はハンカチを渡し、気遣うように彼女のあいた方の手をそっと掴む。
「さて、帰ろう……彼女にお礼をしてから」
「はい」
 涙を拭い、みなもはドラゴンへと向き直る。
「助けてくれてありがとうございました。あの、あたし……たとえ設定でも、あなたと会えたこと、忘れません」
 ぺこり、と頭を下げる彼女にドラゴンは小さく笑んだ。
『私も貴女と会えて嬉しかったし、楽しかったです……これが恐らく最後のお別れになってしまいますが貴女と話せた事は、私にとって宝といっても良い程大切な事でした』
 再びみなもの頬を涙が伝う。堪えても零れるこの感情だけは、決して物語に作られたものではないと彼女は確信する。
 その言葉を最後に、みなもは雪久に連れられ現実の世界へと戻る。後ろ髪を引かれる思いを断ち切って。

 そして最初に目に入ったのはみなれた少々埃っぽい古書店。次に眠る前に来ていた服装。この格好で自室の外、というのは少々照れくさいものの、そこは雪久が上着を貸してくれた。
 古書店に戻って改めて雪久の手にしていた本をまじまじと見ると、やはりそれは先日の本――竜に囚われた姫、を修復したものだった。雪久が手作業で直したらしい。
 作中を迷っている間、真っ白な部分に遭遇したのは雪久がまだなおしきれていなかった部分だったのだろう。
「もしも……」
 改めて本へと視線を落とし、みなもは一つの決意をする。
「うん?」
 温かいお茶を用意しようとしていた雪久は、彼女の声に振り向く。
「もしも、あたしがあの物語の続きを自分で考えて書くなら……作者に胸を張って見せられるお話が考えられたら、その時は……」
 心に引っかかったままなのは、ドラゴンの事。物語の中のみなもを庇ってこれから死を迎える彼女。
「あのドラゴンを出してあげれば良いさ。彼女の生きていた物語として」
 雪久はみなもの想いを肯定する。
 物語の多様性は認められる。だから生きた証を紡いであげれば良い、と。
 定められ変えることの出来ない物語はあまりに悲しい。
 だが、新たな物語を生み出すことは出来る。それがみなもにとって唯一の希望だった。