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届いた声
聖祭も目前になり、リハーサルも増えた。
各著名人もここに足を運ぶし、伸びしろのある生徒は各有名校から推薦の道もあるので、ここで失敗する訳にはいかないと、自然とリハーサルにも本番さながらの熱が篭もっていた。
「ふう……」
皇茉夕良はようやくリハーサルが終わり、ふらふらしながらヴァイオリンをケースに片付けた。練習なら何時間でもできる所だが、リハーサルは本番と同じように正装をした上で、舞台に上がる所から去る所まで通しでするので、やはり疲れてしまう。いくら慣れているとは言えども、長時間正装でヒールの高い靴を履いていたらやはり疲れてしまう。元の制服姿がまだ邪魔にならない位に軽く思えるから不思議だ。普段着と比べれば随分堅苦しい服とは思うのに。
ヴァイオリンを携えて、茉夕良は教室を後にした。
歩きながら考えるのは、海棠織也の事であった。
前に理事長館でした話を自分の中で何度も何度も反芻していた。
結局の所、彼がしたかったのはのばらを生き返らせる事ではない。
自分を認めてくれる人が欲しかっただけなんだ。彼女を壊して死なせてしまう位、禁術を使ってしまう位に……。
茉夕良が望むのはただ1つである。
これ以上危険な事は止めて欲しい。本当にごくごくシンプルな事だけを胸に歩いていた。
気付けば足は、音楽科塔の最上階に辿り着いていた。窓が広く、ここからだと時計塔もよく見える。
そう言えば……。茉夕良はふと思いを馳せる。
確か、織也と初めて会った場所もここだったような気がする。確か怪盗の見物をするために音楽科塔の1番大きな窓まで見に来ていたのだ。確かあの時は、秋也のふりをしていたはず。
「思えば随分おかしな事になったわね……」
別に後悔をしている訳でもないけれど。
そう思いながら、空がうっすらとサーモンピンク色の雲が浮かぶ様を見ていたら。
カツンカツンと足音が聴こえてくるのに気が付いた。ローズマリーの匂いが漂う。でも今は魔法を使うつもりはないらしく、強制的な眠りが襲ってくる事もなければ、肌が粟立つ事もなかった。茉夕良はびっくりして後ろに振り返る。
「織也……さん?」
「……まだいたの。いい加減しつこいね」
「そうですね」
茉夕良は思わず笑ってしまうが、織也は釈然としないように眉を少しだけ釣り上げるだけだった。
「何で笑うの?」
「いえ。初めて会った時と同じだなと思っただけです」
「そう?」
「はい」
茉夕良が笑うと、織也は「そう」とだけ言って視線を窓に移した。
窓には相変わらずサーモンピンクの雲が浮かぶ空が見え、その空を半分に割るように時計塔が建っていた。
「今日はどうしてここに来たんですか? ここは音楽科ですが」
「別に……兄さんは音楽科だから、俺がここに混ざっていても不自然ではないと思うけれど」
「秋也さんはバレエ科に戻るとおっしゃっていましたが」
「そうなの?」
茉夕良がちらりと織也を見やると、少しだけ織也が目を丸くしているのが見えた。
やっぱりきちんと話をしていなかったんだな。兄弟間の事を思うと少し切ないが、それは自分が関与すべき事ではない気がする。
「前に進むのは難しいですよね」
「えっ?」
「でも4年もの間、自分がどうしたいのか、自分自身と向き合う事は、とてもすごい事だと思います。普通4年も時間があったら、流されるままになってしまうかもしれませんし、1つの事だけを徹底して考えるなんてできませんから。織也さんも、だからずっと悩んだんですよね?」
「……」
織也は探るような鋭い目で茉夕良をじっと見た。
でも茉夕良の身体は、もう強張る事もなければ、心臓が痛み出す事もなかった。
茉夕良は、ゆっくりと自分の思っていた事を口にする。
「でも……苦しいけれど、つらいけれど、ずっと同じ所にはいられませんから。だから私は、やっぱり織也さんには少しでも前に進んでほしいなって、そう思います。それに……」
「?」
「本当にもう……危ない事はしてほしくないんです」
「……。それは、本当に本心で言っている?」
織也は鋭い目のままで、じっと茉夕良を見た。
秋也は黒曜石のような真っ黒な目をしていたが、織也も同じように黒い色をしている。しかしよくよく見てみれば2人とも色がわずかだが違う事に気が付いた。
きっと2人は似過ぎているから、双子の弟だから、ずっとコンプレックスに思っていたんだろうな。本当は2人とも違う人間なのに、似過ぎているから、同じものを求められ続ける事に。
茉夕良がしたのは、ただ頷く事だった。
「私は、織也さんあなたを心配しているんです。誰かに言われたからとか、誰かの何かだからとか、そう言う事は関係ありません」
「…………」
少しだけ織也は目を大きく見開いた。
「……していいと思う? 本当に」
「別に過去がどうとかは私は言いません。私があなたを知ったのは現在ですよ」
織也は一瞬だけ頼りなさそうな表情になったが、すぐに元に戻った。
その時に浮かべたのは、いつか見た笑顔だった。
茉夕良を探るような、甘えるような、不思議な笑顔。その笑顔が恐ろしく感じた事もあったが今は違う。これは秋也のふりをするための顔ではなく、織也自身の本来持つ表情なのだろう。
茉夕良は思わずまた笑った。
「何でまた笑うの?」
「いえ、私もまた勘違いしていたような気がしただけです」
「そう?」
「でも、1つだけ約束してもらっていいですか?」
「できるのなら」
「……どうか、もうのばらさんを眠らせてあげて下さい。普通寝ていた人を無理矢理起こしたら機嫌が悪くなりますから、ちゃんと謝った上で」
「……やっぱり怒っているのかな、のばらは」
「そりゃ怒りますよ。普通は」
「……うん。考えておく」
茉夕良は織也と初めて、まともに話をしたような気がした。
気付けば、窓からの景色はうっすらとラベンダー色を帯び始めていた。
もうすぐ、夜が来る。
<了>
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