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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒練絹(kuroneriginu)


 ひたひたと聞こえてきたのは足音ではなく、雨音だった。
 まどろみから少しずつ意識が戻ってくる。
 ここへ来て、どれぐらいの時間が過ぎただろう。
 
 父が所有する別荘には、身の回りの世話を任された数人が出入りするだけ。
 ベッドから身を起こすと、視界まで入る髪が睫毛を遮って小さな溜息が出た。そうすると部屋へ靄が漂うかの錯覚をおぼえる。
 白い髪も青い目も突然変異で、親や周囲から奇異の目で見られ続けてきた。その上、細くて華奢な身体、女みたいな顔をしているのだ。
 
 僕は自分が好きではないし、きっとこんな姿も厭われる原因……なのだろう。
 
 一週間に二度来る給仕が作り置く食べ物を温め、味気ない食事をひとりきりで済ませた後、読書で長い時間を潰して眠る。誰からも必要とされない繰り返しの毎日。
 給仕係は決してこちらを見ようとも聞こうともしない。自分の仕事を済ませて足早く離れていく。

 僕がこうして生きている意味など何処にあると言うのか。

 先ほどまで窓硝子を叩いていた雨が止むと、綺麗な夕焼けが戻ってきた。
 一つ幸いであるのは、周りが自然で囲まれて、多少の安らぎを分けてくれること。
 散歩など習慣にしていなかったが、今日は着の身着のままで部屋から出た。
 雨で洗われた空気は澄んでいて、体の隅々まで浄化してくれるようだ。
 別荘から離れてはならないと分かっていたが、散策の道を進み行く。濡れた落ち葉を踏む音と木々の葉擦れが合わされば、足取りも軽やかで果てしなく歩けそうだった。

「ごきげんよう。お急ぎですの?」
 顎を上げると、黒馬に乗った婦人が前を横切る途中だった。
「こんばんは。……僕、急いでいましたか?」
「何処へ行くおつもり?」
 婦人の顔は帽子から垂らされたベールでよく見えない。古典的なドレスは喪服、なのだろうか。
「いいえ。行く場所はありません」
 そう答えて、自嘲の笑みが漏れた。本当に居場所がなかったからだ。
「あなたは夕暮れに遠乗りですか?」
「雨が止んだので、主人の墓へ参ります」
 見れば、婦人は片手で白い花束を抱いている。
 百合の甘く湿った香りは、冷えた空気まで浸透し、瞬きの速度で拡散していく。

 ここは私有地だ。墓などあっただろうか?

 場所を尋ねようかと一歩近づけば、両目を漆黒の眼帯で覆った馬が嘶(いなな)いた。
 婦人は慌てるようすもなく、愛馬の首へ軽く手を置き、さら、と撫でる。
「ご主人が居なくなって寂しいですか?」
 初対面で失礼なことを聞いてしまったが、婦人はベールの下で微笑したようだ。
「寂しいのはあなたでは? 随分と仄暗い眼をしていらっしゃるわね」
「…………」
「わたくし、もう行かないと」
「あの、待ってください。僕は羽月・悠斗(はづき・ゆうと)と申します」
 相手が誰であるか知らず名乗るなど、“呪い師”としてあってはならなかったが、そうしなければ、彼女がすぐにでも消えてしまうと思った。
「では、ユウト。来た道を戻りなさい。あなたの道は、他をお探しなさいませ」
 婦人のベールが靡(なび)いて一瞬だけ表情を見ることができた。
 編まれた黒髪が白く優しげな顔(かんばせ)を縁取り、瞼は静謐(せいひつ)に閉ざされていた。

◇◇◇◇◇

 我に返れば道は途切れ、崖の淵でひとり立っていた。
 あと一歩踏み出せば、いとも容易く落ちていただろう。
 枯れかけた草の上、馬の蹄鉄の跡が赤い錆びと血の香りで残されている。
 それはあたかも意志を持って引かれた、ボーダーライン(境界線)のようで……。
 夕刻にはそのラインが曖昧になると言う。

 誰か僕を見付けて触れてほしい。

 そんな気持ちが“彼女”を呼んだのかもしれない。


=Fin=