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Candy Dust
「有り難う御座いました!!」
軽快なレジスターの音色に次いで、先程までホールを賑わせていた団体客とドアベルとの重奏へ耳を傾けながら恭しくお辞儀をしていた久美子はしなやかに半身を起こすと慣れた手付きでディッシュクロスの乗ったトレーを掬い、無人となったテーブルを清掃するべく踵を返した。
ホールを横切りながらもさり気なく確認した、アンティークを髣髴とさせる掛け時計の針は二十一時四十五分を回っている。
量と質を兼ねる食事を求めて勢いを増した客足もそろそろ緩やかな流れへ変化する頃合いだ。
「補充は無し。忘れ物も……OKね」
綺麗に平らげられた食器を大皿から小皿へとタワーの様に積み重ねては、カスターの裏面まで隈なく汚れを拭き取り消耗品や紛失物のチェックをこなしていく。
それは見る者が感嘆の吐息を漏らす程で、ホールのチームワークは良好であったが未着手のテーブルもあと一卓を残すばかりと言う所で久美子の双眸が呆気に瞬かれた。
(臭……い! 何よ、これっ!?)
パルメザンチーズで固められた残飯。
水浸しの灰皿からは煙草の吸い殻が絶妙なバランスを保って、虚しく浮き沈みを繰り返している。
大方、会話に華が咲き昂ぶるテンションへ任せて悪戯を求めた指先が眼前に広がる食べ残しへと向いてしまったのだろう。
現に先程、久美子が見送った団体客の顔触れは合コンにおける黄金比。加えて入店した時の初々しさとは打って変わって、仲睦まじく腕を組む男女の姿が脳裏へ過ぎり様々な意味で吐きかけた深い溜め息を発破代わりに呑み込むと、久美子は凛と背筋を伸ばした。
「仕方ないわ。テーブル周りはあたしが処理するから、食器の片付けだけお願い出来る?」
「はい、分かりましたっ!!」
以心伝心と言うべきか、まるで久美子の胸中へ賛同したかの如く力強い敬礼を返して重量を増したトレーを下げるひょうきんな後輩の背を苦笑混じりに見送れば、対峙すべきはウェイトレスの宿敵。しつこくこびり付いた油汚れを徹底的に落としていく。
「うきゃあ!!」
「えっ?」
ソファまで広がった染みを始末して、額に薄っすらと滲んだ汗を制服の袖で拭いながら久美子が顔を上げた瞬間、甲高い声音がホールへ響き背凭れを隔てた真っ正面に身を乗り出している赤ん坊と視線が交わった。
同時にこれでもかと言わんばかりに鼻先へと突き出された柔らかそうな拳からは、ウサギやパンダを模した、色とりどりのキャンディが所狭しと顔を覗かせている。
「!! 済みませんっ、この子ったら!」
間もなく母親と思しき女性が我が子の挙動に気付き、慌てて赤ん坊の身体を引き寄せようと試みるが何処にそんな力が秘められているのか小さな身体で背凭れの隙間へ縋り付き、思い通りに事が進まない現状がもどかしくてか仕舞いにはどんぐり眼に涙を溜めてぐずり始めてしまった。
「いいえ、有り難う御座います」
勤務中に飲食物を口には出来ないが、それでも赤ん坊からキャンディを受け取れば先程まで真っ赤に膨らんでいた頬が一転して天使の様な笑顔に戻る。
まだ目の離せない年頃とは言え何とも心の癒される姿に、眉尻を下げた儘の母親と顔を見合わせて微笑むも久美子は時刻が既に引き継ぎを要する頃合いと気付けばキャンディを制服のポケットへ忍ばせ、親子に感謝を込めたお辞儀を贈ってホールを後にした。
既にパントリーへ控えていた遅番のスタッフに手短且つ的確な指示を済ませ、タイムカードを押す間の談笑を交えた挨拶の後に裏口から外へ出た久美子は出しなにトレンチコートの胸元へ移しておいたキャンディを取り出し、なんとはなしに頭上へ掲げる。
月光に照らされた包装にはオレンジとパープルの装飾が施され、丸みを帯びた字体で一言、英文が印刷されていた。
Happy Halloween!!
「もう、そんな季節なのね」
ウェイトレスと言う職業柄、季節のイベントには聡い方だと多少なり自負を持つ久美子であったが子供の為に催される節が強いハロウィンに一回り、二回りも幼い筈の赤ん坊から手渡されたキャンディに自然と童心が擽られる。
(明日は皆に、かぼちゃのプディングでも差し入れしようかしら?)
自らの企てたささやかなサプライズに胸を躍らせ、襟元のファーを引き寄せながら見上げた星空はまるでキャンディを散りばめた様に綺麗だった。
FIN
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