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対価の半分は美しいオブジェで
シリューナは自分の店に陳列されている品をぐるりと見渡し、目当ての品が無いことを確認し嘆息した。
「……どれも違うわね」
「お姉様、どうかしました?」
愁いを帯びた表情で溜息を吐いたシリューナに、こてん、と首を傾げて尋ねるのは弟子のティレイラだ。
「捜し物が見つからなくて……仕方ないわ、探しに行きましょう」
何処へ?、と聞かずともシリューナが向かうのがいつもの美術館だと思ったティレイラは、掃除していた手を止め用具を片付け始めた。それを見たシリューナは、あら、と声を上げる。
「ティレも一緒に来てくれるのかしら?」
「もちろんです!」
力強く頷いたティレイラを見たシリューナは、その姿を可愛らしいと思いながらくすりと笑い告げる。
「そうね……その方が良いかもしれないわ」
代金を支払う事になったらティレの力が必要かもしれないし、とシリューナが思っている事など露知らず、赤い瞳を輝かせ師匠と出かけられる事に喜んでいるティレイラはご機嫌だった。
「おや、これはシリューナ様。本日もご観覧くださり、まことにありがとうございます」
恭しく頭を垂れた館長にシリューナは艶やかな笑みで応えた。シリューナの動きに合わせ美しい髪が、さらりと淡く館内を照らす日差しに煌めいた。その美しさにティレイラは知らずに、ほぅ、と小さな溜息を吐く。ティレイラは毎日見慣れてはいるものの、目の前にあるたくさんの美しい彫像などの美術品よりもシリューナは綺麗だと思った。そんなティレイラの視線に気付いてはいたが、シリューナは早速美術館を訪れた理由を館長に話す。
「今日はね、とても強力な魔力を込めても耐えうるものを探しているの」
「そうでございましたか。……シリューナ様はお目が高い方ですし、そうですね……こちらにある品がよろしいかと」
そう言って館長に案内されたのは美術館とは別の小部屋で、その中には数々の美しい装飾品が飾られていた。シリューナはそれらを一つ一つ眺める事で鑑定していく。中には怪しげな雰囲気を放つものがあり、それをティレイラが興味深そうに眺めていたが、ティレイラもまたシリューナと同様に手を出す事はなかった。
「これはとても素敵な品ね」
足を止めシリューナがしばらく眺めていたのは掌ほどの手鏡だった。一見なんの変哲もない手鏡に見えるが、細かい装飾が左右寸分違わず作られており、そこに職人の執念が感じられる。色も何度も塗り重ねられおりその光沢も申し分ない。これならば強力な魔力を込めても耐えてくれるかもしれないと感じたシリューナは迷わずその手鏡に決めた。そして館長との交渉に入る。
「こちらの手鏡にするわ。……対価はおいくら?」
「さすがシリューナ様。そちらをお選びになると思っていたので、実はすでにそれ相応の対価を考えておりました」
館長はシリューナとティレイラの前に一つの小箱を差し出した。
「……手にとっても?」
「はい、こちらの品の鑑定をお願いできますでしょうか」
「分かったわ。鑑定が終わったらそちらの手鏡を戴くわね」
蓋を開けながらシリューナは頷く。
「それではよろしくお願いいたします」
館長は頭を下げるとシリューナとティレイラを小部屋に残し部屋を後にする。終了したら声をかけてください、と言い残して。
館長を笑顔で見送った二人は小箱を覗き込み、その鑑定物の鮮やかな色合いに目を奪われた。
左右に広げられた翼のような形をした髪飾りは、淡い光の中で様々な色を見せる。それは常に色を変化させる。どのような仕組みで色を変化させるのだろうか。二人の興味を引いたその髪飾りだったが、シリューナは瞬時に危険な類のものではないと判断した。魔力が込められているのは確かだが、そこに命の危険は感じられなかった。シリューナは変身作用がある位だろうとあたりを付け、ティレイラに声をかけた。
「ねえティレ。これを付けてみてくれる?」
「ふぇ? 私がこれをですか?」
ティレイラの驚きに見開かれた目は動揺し宙をさまよう。鑑定をして欲しいと言われるものは大抵曰く付きの代物だ。シリューナの突拍子もない振りにも慣れてはいるが、さすがに二つ返事で、いいですよ、と承諾できないティレイラが居る。
「えぇそうよ。大丈夫、命の危険はないから安心して」
「えっ、でも何か副作用とか……」
「私がなんとかしてあげるから、ティレは笑顔でこれを付けてみてくれればいいの。だってこの髪飾り、ティレにとっても似合うわよ」
オロオロとするティレイラの言葉を遮るようにシリューナは言葉を紡ぐ。そしてその中に込められた『似合う』という言葉にティレイラはまんまと騙され、こくり、と頷いた。
「分かりました! 私、付けてみます」
そう宣言したティレイラは大切なものを扱うように指先で持ち上げると、もう片方の手でゆっくりと髪を一束すくい上げ髪飾りでとめた。
ティレイラの黒髪にその鮮やかな髪飾りはよく映える。キラキラと輝く髪飾りだったが、それはだんだんと輝きを増し、ついにはティレイラの体全体を覆うような強烈な光を放ち始めた。
「お姉様、私の体が……!」
光に包まれたティレイラはたまらず声を上げる。しかしシリューナがそこに手をさしのべる事はなかった。危険がないと分かっていた為、止める必要性を感じなかったからだ。そして光が去るとシリューナの目の前には変わり果てた姿のティレイラが現れる。
「まぁ、ティレったらとても素敵な姿になったわね。髪飾りとても似合うわ」
「そ、そんなあ……お姉様、私こんな姿じゃお仕事出来ません」
ティレイラは自分の姿を眺め嘆くと、瞳に涙を浮かべシリューナを見つめる。今のティレイラの姿はギリシア神話に出てくる女面鳥身さながらだ。腕は鳥の翼に変化し、下半身も鳥のそれだ。女性らしくなめらかな曲線を描いた上半身は太く逞しい鷲のようなかぎ爪のある足へと繋がっている。しかし伝承とは違い、老婆などではなくとても可愛らしい顔立ちで。それにより愛嬌のある姿に見えてしまう。困惑して翼をはためかせているのもシリューナの目にはポイントが高く見えた。
「本当に可愛らしいわ」
うっとりとシリューナがその姿を鑑賞していると、本格的にべそをかき始めたティレイラはシリューナへと助けを求める。
「お姉様ぁ、私、ちゃんとお仕事したいです」
「私もティレイラと仕事するのは好きよ」
でも髪飾りを外せば元の姿に戻れるのだしもう少しこのままで、と胸の内でシリューナは呟く。そしてあやすようにティレイラに告げた。
「それじゃあこちらにいらっしゃい」
治してあげるわ、とシリューナが言えば感極まった様子でティレイラが翼を広げシリューナの元へと駆けてくる。その瞬間、ティレイラの時間が止まった。それはティレイラが心の中で、やっぱり、と思うのと同時だった。
シリューナのいつもの悪い癖が出たのだ。最高に可愛く美しい造形美のオブジェを愛でる趣味。
「そうそう、このポーズがたまらないわ。そしてこの感触」
石像となったティレイラの顔から体、そして足に触れシリューナは笑みを深める。
大きく開かれた翼は羽の一本一本までが美しく、駆ける姿で止まったティレイラは今にも空へと羽ばたいていきそうな躍動感に満ちていた。
「本当にティレは最高だわ。私の理想そのもの」
何度も飽くことなくティレイラに触れ、その姿を堪能する。
シリューナはそれから夜が明けるまでその姿を堪能すると、ようやく館長へと声をかけた。
「あの髪飾りの鑑定は終わったわ」
「それはありがとうございます。シリューナ様の見立てと聞けばすぐに買い手が付くことでしょう」
「ふふっ。でもね、こちらをすぐに元に戻してはせっかくの芸術作品が誰の目にも触れない事になってしまって悲しいの。……少しの間、こちらの手鏡の代金の一部として美術館に飾っていただけないかしら?」
何度も触れて楽しんだハーピーと化したティレイラの体を撫でながらシリューナが言うと、館長は嬉しそうに微笑んだ。
「えぇ、喜んで飾らせて頂きますとも。きっとたくさんのお客様の目を楽しませてくれる事でしょう」
お姉様と一緒に帰りますー、という石像のティレイラの悲痛な心の叫びは、残念ながら二人へ届くことはなく無駄に終わる。
「そうだと嬉しいわ。この手鏡もこのティレも本当に素敵ね」
上機嫌のまま軽やかな足取りで去って行くシリューナの姿を、翼を広げたティレイラの石像がとても追いかけたそうにしているように見えたのは、館長の気のせいではなかったに違いない。
■FIN■
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