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……そして真実に至る為
「……ブラックドッグ?」
仁科雪久は問われて驚いたように目前の少女を見た。
真摯な表情のその少女は海原・みなも(うなばら・みなも)。
「そういえば、君がこの店にやってきたのも、ブラックドッグ絡みだったね。それで、どうしたんだい?」
いつも通りのったりした調子の雪久に、みなもは少し俯く。
「……実は」
今更ではあるのですけれどと前置きをした上で、彼女は語り出す。
過去にブラックドッグに関わる依頼を受け、そして事件は一応の解決をみた、という事を。
「一応は解決したんだよね?」
「はい……だけれど、あたしにはどうしても納得いかないんです。彼らはもしかしたら何かを伝えたかったんじゃないか、って……」
黒い犬たちは、一体「なにもの」だったのか。そして「何故あの場所に居た」のか?
未だ解らない部分は多い。
「成る程、それを調べていてあの時うちにやってきた……と」
得心がいったという様子の雪久に、みなもは頷き返す。
彼らに――ブラックドッグ達にもう一度会う事は難しいかもしれない。そういった意味合いで正解を得る事は出来ない可能性が高いだろう。
……だが、今なら。
あれだけの書物を読みあさり、知識を得た。
その過程で同種の存在に憑かれ変異すらした。
どれほど物語が誇張され、そして変形させられても、本質は決して変わることはない――それを学んだ今なら。
正解とは言わずとも、彼らに近づくことは出来るかも知れない。
「ですから、考えをまとめるのを手伝って欲しいんです」
「…………ふむ」
真摯な表情で訴えるみなもにお茶を出しつつ雪久は興味深そうな視線を投げかける。
話の先を促すように。
「仁科さんは以前『誰かが概念としてのブラックドッグを大量に作り出し、意図的に本に住まわせたのかも』って言ってましたよね」
みなもはそう口火を切った。
「ああ、そうだね」
雪久の肯定に彼女は話を続ける。
「もしかしたら、あたしが遭遇したブラックドッグ達も『作り出されたブラックドッグ』だったのかも知れません」
彼女が遭遇したブラックドッグは、実体を持っていた。影の中、闇の中から通りかかる人を襲っていたのだ。
「……何故それで作り出されたものだと思ったんだい?」
実体を持っているならば、もしかしたら何処かからやってきたブラックドッグが住み着いただけという可能性も捨てきれないと思うのだけれど? と雪久が問う。
「まず、数が多すぎます。幾ら迷ってきたブラックドッグとはいえ、4匹も一度に現れるものでしょうか?」
作り出されたものが放たれた方が納得しやすい気がします、と彼女。
「それと、仁科さんが手にしたブラックドッグの本。あの本はいつ頃入荷したものですか?」
「……以前も言った通り、叔父から譲ってもらったものだけれど、わりと最近だよ。そうでなければ流石にすぐに思い出す事は難しいからね」
小さく苦笑を含み、雪久は背後に聳える本棚を指す。
雪久の手にした本は、みなもへと渡された。その本は何時の間にか忽然と消え失せてしまっていたが、内容は、ブラックドッグが住んでいた森を追い出され、空腹の中海底――みなもの深層意識――を目指す物語だった。
雪久の見立てによれば、住んでいた森は、恐らく概念としてのブラックドッグ達が作り出された場所。
彼らは何らかの理由により、そこを追われた。
概念としての彼らは何ものかにより物語として紡がれ、はじめて存在できるようになった。
そして彼らは実体を求める。もともと紡がれた物語により定められた設定なのか、あるいは彼らの本能なのか。それは解らない。
だが、他者の深層に根付く事により、彼らは宿主を書き換え、ブラックドッグにしてしまう。
言い換えればそうして実体を得るわけだ。
荒唐無稽だと言われるかもしれない。だが、実際にみなもは書き換えられかけ、ブラックドッグになりかけた。
あまつさえ空腹に苛まれ、目前の雪久を喰らおうとした。
もしも、遭遇したのが雪久でなければ。
ごく普通の他の誰かであったなら。あるいは、変化の際誰も居なかったのならば、みなもは完全にブラックドッグと化していた事だろう。
――本の筋書き通りに。
「偶然にも過ぎると思いませんか?」
雪久のもとにこのタイミングで本がやってきた事、そしてみなもが四辻でブラックドッグと遭遇した事。両方を示唆した言葉に雪久が頷く。
「確かにね。だとしたらあの本と同種のモノがもっと出回っている可能性もある。そして、本に適応した複数の人物が、ブラックドッグ化している可能性も」
本の装丁は確かに古かった。だが、実際作られたのが本当に古いとは限らない。
装丁くらいならば、いくらでも偽装は可能だろう。尤も、それはとても金のかかる話ではあるのだが。
「……しかし一つ気になる点もあるね」
雪久が一口茶を啜る。緊張しきった空気を緩めようとするかのように。
「確かに君がブラックドッグとなったのは、本の筋書き通りだ。だけれども、そうだとしたら私に出会う事も折り込み済みだったのかな」
「…………!」
みなもが息を呑む。
「私でなければ……というと少々自意識が過ぎるかもしれないけれど、怪異に慣れて居ない人物であれば、あの時、ブラックドッグになる君を止める事は出来なかっただろうね。恐らく食いちぎられて終わりだ」
仁科の予測によれば、あの本の内容であるブラックドッグ化の術式は最後に誰かを食い殺す事により完全なモノとなる。
その為の飢餓感であり、獣としての本能を呼び覚ます為に。
ここまでの仮説が正しいならば他のブラックドッグ達は、誰かを食い殺す事によりブラックドッグと化している。そして人を襲うことをおぼえた、と考えられるだろう。
そうでなかったならば、飢餓感を癒すために、そして実体が無くとも存在しやすい霊的な場所を求めてあの四辻に現れたのかもしれない。
目前ののほほんとした雪久をあの時殺していたら……と思うと、みなもの中に恐怖感が芽生える。
「じゃあ、仁科さんを殺す事が、あの本では決められていたって事ですか?」
震える声で問いかけると、雪久は小さく首を振って見せた。
「それもあるかもしれないけれど、もう一つ考えられる事があるような気がするよ」
動揺の為か、みなもの思考はそこから先には進めない。ぐらぐらと頭のなかが揺れる感覚の中、彼女は雪久の言葉を待つ。
「……その本を作った誰かが、君に私を殺させないようにする事で、ブラックドッグを作り出す計画に気づいて欲しくてやった、という可能性だね」
あの「竜に囚われた姫君」に隠された、作者の真意のように。
確かにあの時雪久でなければ、いとも簡単に彼女は目前の相手を食い殺した事だろう。
「でも、それじゃいくら何でも、もしも、あたしが仁科さんを……」
「あの時も言ったように、これでも丈夫な方だからね」
怯えたようなみなもに雪久は微笑みかける。だがその笑顔は逆にみなもの中の不安を呼び覚ます。
暫しの沈黙の後、みなもは再び口を開いた。
「という事は、仁科さんの存在も計画に織り込まれている……っていう事ですか」
「計画、というか本を作った作者の意図の中という事だろうね。つまり、この計画を遂行しているのは1人ではないだろう」
簡単な理由だ。1人であるならば、態々みなもを仁科と引き合わせた上でブラックドッグ化させる意味が無いからだ。
複数の人物が居て、そして、その中の1人が計画に反対し、しかし表だってその反対を主張出来ない状況であれば、回りくどい方法ではあるものの、計画の存在を外に知らせることが出来る。
実際にみなもと雪久は推論の上とはいえここまでたどり着いたのだから。
そしてもう一つ、みなもには気に掛かる事があった。
「ブラックドッグ達は、一体どこに行ったんでしょう……」
みなもの中に引っかかっていた疑問の一端は、それだ。
あの時追い払った犬たちは、何処かへと姿を消した。一体どこに行ったのか?
そして、元となった人達は元に戻れないのだろうか?
その問いに対しては雪久から意外な言葉が返ってきた。
「それは、私より君の方がよくわかるんじゃないかな?」
「え……?」
「君は一時とはいえ、彼らと同じ存在になった。君の深層には未だそれらが残っている。考えて見てくれるかな? 恐らく答えにたどり着ける」
雪久の言葉にみなもは目を閉じる。自身がブラックドッグと化したあの僅かな時間を思い出す為に。
あの時の事ははっきりとは思い出せない。だが、あの時駆られた衝動は。
飢餓感を満たしたらどうするつもりだったか?
「……森を……」
みなもが小さく呟く。
そして蒼の双眸を開き、続ける。
「彼らが作り出されたという森を目指したんじゃないかなと思います」
森の場所は、恐らくどこかの研究所。時間はかかるかもしれないが、ゆっくり思いだしていけば、きっと具体的な場所も解るに違い無い。
答えを聞いた雪久は更に問う。
「……それで、君はどうする? 正解を確かめにいくのかな」
ブラックドッグ達の作り出された森へ。
それは作者の意図の外なのだろうか? それとも内側なのだろうか?
だがそんな事よりもブラックドッグ達が元々は人であったなら救いたい。
あの時のみなもと同じようにもしかしたら完全にブラックドッグと化していないのかも知れないし、人に戻せる可能性も零では無いはず。
みなもは真剣な表情で雪久の眼を見つめ返す。蒼の双眸に決意を込めて。
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