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<PM!ハロウィンノベル>


魂を歌え

 目線の遠く延長上、ぼうぼうと暗闇に浮かび上がる白い影があった。月明かりを反射しているにしては妙な見え方だ。辺りはすっかり闇に閉ざされているというのに、その影だけが克明に鮮明に、視界に張り付いて離れないのだ。
 カナエはその影をちらりとだけ見ると、開けていた目をそっと閉ざした。日付はじきに変わろうというのに、今更祭りに参加する気はない。今宵はハロウィン。だがカナエは菓子をせびるには成長しすぎたし、せびられるには幼すぎた。そしてせびるにもせびられるにも、彼はあまりに進みすぎてしまった。ハロウィンを楽しく過ごす側ではなく、追いやられる側に。
 それなのにあの影は、カナエに菓子をせびるつもりなのだろう。とんだお笑い草だ。
「Trick or Treat?」
 そして彼の予想通り、ハロウィンの決まり文句が投げかけられた。
 近づいてくるときに出るはずの足音も衣擦れの音も、心音さえ聞こえそうなこの夜に響くことがなかった。しかし、その声が聞こえたのはすぐ近くだった。先程見かけた時よりずっと近く。
 しかしカナエに動揺はない。分かっていたことだ、ハロウィンに人ならざる者が町にあふれかえることぐらい。分かっていなくてはならないことだ、カナエには菓子をくれてやる気も、悪戯を受ける気もないことくらい。
「Trick」
 一片の躊躇も見せず、その言葉が発せられた。しかしその言葉があまりに自然だったために、そしてこの祭りの日にはあまりに不自然だったために、影には理解できなかったものか、不思議そうに問い返した。
「……What?」
 カナエの瞼が薄く開かれた。零れ落ちる青い光は清冽でいながら禍々しく、無表情でいながら嘲笑を浮かべていた。
「お菓子が貰えるとでも、思っていたのかい?」
 その手が翻ったかと思うと、ぬらりと光る銃口が影――いや、影と見まごうほどにのっぺりとした白いものに押しつけられた。影のように思われたのは、ハロウィンにつきものの幽霊というやつだ。
 幽霊は驚愕と恐怖で、蛙が潰されたような悲鳴をあげた。
 そうしてぽっと消えたその姿が、数メートル先に再びぽっと現れる。また消え、現れ、消えて、現れて――。
 こんな夜中、今更祭りに参加する気などなかった。だが折角のお誘いを断る理由は何一つないのだ。
「逃がさないよ」
 カナエは滑稽なオバケの面構えを描いた白いシーツを頭からかぶった。
「Trick or Treat?」

■□■

 煌々と月明かりに照らされて、廃墟がいっそ幻想的なまでに存在感を増す。住まう者が随分と昔にいなくなり、それ以来手入れの一つも施されていない。抜けた床、骨組みがむき出しの怪談。そういったものを飛び越えながら歩みを進めると、自然に踊るような足取りになってくる。
 そのステップに気分が高揚したのか、シーツの下でカナエの唇が薄く開いた。
「お菓子を♪ お菓子をおくれ♪ くれなきゃイタズラしちゃうから♪ お前の魂壊しちゃうから♪」
 淡々と、しかし奇妙なリズムをつけて発せられる言葉が、ただ一人しかいない夜闇に反響する。空気に満ちた夜の粒が、ハロウィンの様相に浮ついて、はしゃいでいる。
「ハロウィンに♪ ハロウィンに参加するのに♪ なにも用意してないなんて♪ 馬鹿だね♪ お馬鹿さんだね♪」
 銃をクラッカーのように振り回しながら、カナエは奥へ奥へと進む。そこに何がいるのかは分かっている。そのために来たのだから。
 ギィと音をたてて扉を開ければ、隅に丸まっていたのは先程の幽霊だ。カナエの姿を見つけて、慌ててたように体を伸ばす。また逃げようというのだろう。だがその一瞬のうちに、どこからか部屋の中に霧が入り込み、戸惑う幽霊の逃避口は完全に閉ざされた。これは霧の牢屋、地獄を作り出す霧。幽霊を逃がさないとそう決めた、カナエのとっておき。
 カナエはシーツを被ったまま、その中から腕を出し、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「化け物のくせに菓子が貰えるなんて、本気で思っていたのか?」
 ハロウィンに菓子を回るのは、化け物を追い払うためだ。悪意のない幽霊が、親切な住人に菓子を貰うことはあることはあるかもしれない。だがカナエは『親切な住人』では、ない。
「Trick or Treat……お前がお菓子をくれないなら、僕が代わりに銀の弾をくれてやるよ」
 銃口を幽霊に向け、撃鉄を上げる。その危険な音に聞き覚えでもあったものか、幽霊は恐慌状態に陥りながらまくしたてた。
「What you say!? Stop, please stop! WHAT!? I want just a bit treat!」
「何々ってうるさいんだよ。だから言ってるだろ」
「Freeeeeeee――!!」
「Trick or Treat、って」
 クラッカーよりはるかに賑やかに、火薬がはじけてキラキラと輝いた。
(お菓子をくれないものだから、約束通りに銀の弾をお見舞い)