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<東京怪談ノベル(シングル)>


その言葉を囁いて

 抱きしめて…キスをして…
 温もりの全てを共有して、あなたを感じていたい…

 目を覚ますと、すぐ近くに草間武彦の顔があった。
 吐息がかかるほどの距離で、黒冥月(ヘイ・ミンユェ)は幸せな朝を迎えた。
 日は既にずいぶん高いところにあるようだ。
「っ!?」
 驚きのあまり、思わず声を立てるところだったが、大きく息をして声を飲み込んだ。
 あぁ、そうか。
 私、昨日は熱に浮かされていて…武彦が看病してくれて…それから…。
 それから…?
 冥月は草間の腕の中で1人、赤面した。
 草間はそんなことにお構いなく、寝息を立てている。
 つんつんっと突付いてみたが、起きる気配はない。
 むしろ完全に熟睡しているようだった。
 …何が気配に敏感よ。全然起きないじゃない…。
 そんな草間の寝顔を見て、すこしだけ冷静になってきた。
 草間の腕の中で、冥月は目を瞑って考える。
 病み上がりで不意をつかれたとはいえ、思わず流されてしまった。
 どうせならこんな場所じゃなくて、もっと綺麗なところで、もっと綺麗な私でいたかった。
 …でも、気持ちは軽くなった気がした。
 それは、多分気持ちを通じ合える、そんな間柄になれたからで…。
 ふと、冥月は我に返った。
 私、何を言った? そんな間柄? どんな間柄だというんだ?
 私は何も伝えてないし言われてない。なんの思いも伝えてないのに。
 頭に冷水をかぶった気がした。
 …何浮かれてるんだ私は。
 武彦にとったら、ただその場の感情で動いただけなのかもしれない。
 だけど、私は…せめて言うべき事を言わないと…。
 …でも改めて言えるだろうか?
 冥月は草間の顔を見た。
 スヤスヤと眠る草間の顔は、どことなく無防備で心を許している様に見える。
 また頬が熱くなるのを感じる。
 私の前だからこんな顔を見せるの?
 こんな、寝顔見ただけで赤くなってしまう私に…言える?
 そうだ。シャワーでも浴びて冷静になろう。
 そう思ったら、なんだかいてもたってもいられなくなってきた。
 新しいシャツに着替えて寝汗だけも流して、すっきりしたかった。
 そーっと草間の腕枕からすり抜けると、冥月は着替えとバスタオルを持って風呂場に向かった。

 風呂場には古めかしいタイプのシャワーがついている。
 洗い場は狭く、脱衣所もない。
 そもそも風呂場があることを忘れていた。
 それくらい使っていない場所だった。
 冷たいタイルの感触を足で踏みしめ、キュッと蛇口を捻る。
 最初の冷たい水が肌をさす様に痛い。
 段々と温かくなっていく水に、フーッと息をついた。
 なんだか現実に引き戻された気がした。
 だけど、シャワーの熱さとは別の熱いものが、心を満たしていった。
 大丈夫。きっと大丈夫。
 私はどんな結末でも受け入れる。
 だけど…だけど…。
 迷う心がそれでも湧いて出て、冥月は流れ落ちるお湯をずっと見ていた。

「…おい。ふやけるまでシャワー浴びる気か?」
「っ!?」
 声に振り返ると、いつの間にか草間が扉を開けてこちらを見ていた。
 はだけたワイシャツをラフに着こなして、草間は少し心配そうな顔だった。
「…あ…あ…」
 声にならない声をだして、冥月は扉の取っ手に掛けてあったバスタオルを手繰り寄せた。
 バスタオルで体を隠したものの、羞恥心で声が裏返った。
「な、なんで!?」
「病み上がりの人間が目覚めたら隣にいなくて、ずーっと風呂に篭ってるなんて気になるだろうが」
「だからって、だからって! 開けなくてもいいじゃない!」
「倒れてるかと思ったんだよ」
 めんどくさそうに草間はちっと舌打ちした。
「…」
「悪かったよ。俺が悪かった。だから泣きそうな顔するなよ」
 扉を閉めて出て行こうとした草間に、冥月は頭が真っ白になった。
 そして、そのまま草間の背中から抱き締めた。
「!? おい!」
「黙って…お願い…話を聞いて欲しいの」
 バスタオルがはらりと落ちていったが、冥月は気にもとめなかった。

「私…ね…」
 ためらいが言葉を濁させる。
 どうしたら思いは伝えられるだろう?
 草間は微動だにせず、冥月の言葉を待っていた。
 草間の背中は温かくて、冥月の抱きついた場所が少し濡れていた。
「私は…武彦が…」
 そこまで言うと、ふいに草間が冥月の手から離れた。
「たけひ…こ…?」
 冥月が呆然と立ちすくむ中、草間はワイシャツを脱いで冥月に着せた。
「そんな格好じゃ風邪がぶり返すぞ」
 そう言うが早いか、草間は冥月を思い切り抱きしめた。
 一瞬、何が起こったのか冥月はわからずにいた。
 息も出来ぬほどの強い抱擁に、めまいを起こしそうになった。
「俺も話しておきたいことがあった。一回しか言わないからな。ちゃんと聞けよ」
 草間はそうして冥月の耳元で囁いた。

「好きだ」

 草間は低い声で、冥月に確かにそう言った。
 泣き出したいような、笑顔で答えたいような…そんな複雑な心境で、冥月の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「私も…私も好き」
 ゆっくりと背中に手を回して、草間の顔を真正面に見た。
 草間は少し微笑んで、こつんと額と額をくっつけた。
「泣くなって言っただろ?」
「…武彦が泣かせたんじゃない」
「悪かったよ」
 草間はそういって涙の軌跡に沿って頬にキスをした。
「ふふっ…くすぐったい…」
 笑った冥月の唇に、草間の唇が重なった。

「好きだよ、武彦」
 冥月がもう一度声に出すと、草間は「一回しか言わないって言っただろ?」と意地悪く優しく笑った。