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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜血にまみれた人形のごとく〜

「こんな、ところで…!」
 白鳥瑞科(しらとり・みずか)は、完全に闇の底に沈む前に、自分の意識をその強靭な意志の力で取り戻した。
 ここで倒れてはいけない。
 これは任務であり、まだ自分には休むことは許されないのだ。
 たとえ組織の情報収集が不完全だったとしても、それを責める立場にはない。
 自分はただ戦って、敵を倒すしか道はなかった。
 瑞科はよろめきながらも立ち上がった。
 細く白い手は泥にまみれ、乱暴に壁についたせいでまた新たに血がにじんだ。
 何度も壁や地面に打ち付けられ、たたきのめされた身体は、どこもかしこも悲鳴をあげている。
 いくら戦闘服に守られていても、それを上回る強力な力まで軽減してくれるわけではない。
 あふれた敵の力は、ひとつずつ瑞科の身体を壊して行く。
 今さらささいな傷のひとつやふたつ増えたところで、気になりはしなかった。
 口の中が土でざらつき、不快そうに瑞科は真っ赤な唇をゆがめた。
 この敵を侮ってしまったのは、自分の未熟さゆえだ。
 組織の中では戦闘回数も勝利の数もずば抜けて多い瑞科だが、それでも未知の敵は存在する。
「勝ち…ますわ…」
 ふらりと一歩、足を前に踏み出しながら、瑞科は自分に言い聞かせるようにそう言った。
「絶対に…わたくしが…勝つのです…それ以外には…許しませんわ…」
 唇からこぼれるのは、苛立ちと屈辱に満ちた憤怒の声だ。
 こんな無様な姿をさらしてしまった自分への憤りが、その端麗な顔を炎色に彩る。
 眉はひそめられ、頬は怒りに引きつっていた。
 敵はそんな瑞科を見て、猛り狂ったように吠えているだけだ。
 まるで侮辱されているかのような錯覚に陥る。
 瑞科は力の入らない足を叱咤して、壁から手を離した。
「…いざ参りますわ」
 小さく宣言して、彼女は地を蹴るように全速力で走り出した。
 
 
 
 筋肉が盛り上がり、血管の浮いた醜い腕が前方からつき出される。
「うぐっ…!」
 喉をつかまれ、瑞科は苦しそうなうめき声をあげた。
 右手は必死に相手の丸太のような腕を振り払おうとするが、左手はぶらんと肩からぶら下がったままだった。
 何度目かの攻撃の後、左手は二の腕のところから骨を折られてしまった。
 右足のすねにもひびが入ったようだ。
 ひきずって走るたびに、痛みが全身を貫く。
 肋骨も折れ、肺に刺さっているのか、息をするたびに、ひゅーっと空気が漏れるような音がした。
「ぐはっ!!」
 大きく後ろに振られ、そのままの勢いで壁にたたきつけられる。
 左の頬骨が砕ける音が耳元でした。
 振り乱したままの髪は泥で固まってしまい、ここに来た時のような艶はいっさい失われていた。
 むきだしの肌はどこも傷と血と土にやられ、前衛芸術の絵のようになってしまっている。
 逆に、着て来た戦闘服は、計算されて破かれているかのように、かえって瑞科の細く美しい肢体をあでやかにさらけだしていた。
 だが、残念ながら、その繊細な美を鑑賞できる心を持ったモノはこの場にはいない。
 殺戮と剛力と狂気にまみれた人外のモノだけが、瑞科をもてあそび、切り刻んでいるのだった。
 ザザザッと砂が鳴り、瑞科の身体が地面に乱暴に投げ出された。
 またしても無数につく細かい傷に、もう瑞科は気を払うこともできなかった。
「ひっ……!」
 喉が引きつけたかのような音を出す。
 瑞科は髪をつかまれ、そのまま固い地面を引きずられた。
「う、あ…あっ…」
 裂ける肌とさらに漂う鉄のにおいに、瑞科の意識はもうろうとし始めた。
 どんどんと戦う気力も奪われていく。
 任務遂行が不可能な状態に転がり落ちて行くのを感じながら、瑞科は人外のモノの狂った笑いと激しい痛みに、再び意識を手放そうとしていた。

〜END〜