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<東京怪談ノベル(シングル)>


赤い悪魔の報償


今や世の中は空前の工場見学ブームだ。普段何気なく手にしている商品が完成していく過程を見るのは、誰にとっても心躍るものだろう。
そしてそれは、亜人間メイドサーバントである三島玲奈にとっても同じようだった。彼女は好奇心に瞳を爛々と輝かせながら、顔をガラスにべったりと付けている。

「これが八色唐辛子の秘密なのね」

次々と粉砕機に飛び込む、鮮やかな唐辛子達。鮮麗な赤色は目にも賑々しい。奥には圧砕を待つ唐辛子の山脈が続いている。その刺激的な香りはガラスを越え、玲奈の鼻腔を絶えず刺してくるのだった。

「はい。ここで数十トンの唐辛子を一息に粉砕するのがポイントなんです。これは業界最大手である弊社だからこそできる技法で――」
「あっ! すいません、静かにしてもらえます?」
「……は?」

案内係の声を遮りながら、玲奈の興味は既に他へと移っていた。彼女の視線が新たに捉えていたのは、櫓の上に真剣な面持ちで立っている男性。彼は端正な顔で匙を操り、次々と流れ出す粉末唐辛子を味見している。仕事に打ち込む男の凛々しさといったら!

「あの人、超イケメンじゃない! 顔もいい上に、舌も一流だなんてっ。彼の天才的な味覚が、この会社を支えているのね……素敵」
「唐辛子より男子かよ……」

玲奈は毒づく案内係の声にもお構いなしだ。彼女はひたすら熱視線を試食係へと注ぎ続けている。すると、その甲斐あってか、男がふと彼女の方へ顔を向けた。

「はっ、こっち向いた! きゃー!」

喜び勇んで、玲奈はがむしゃらに両手を振る。遥か遠く、櫓の上の男もそれを見たようだった。彼はマスクの下の表情を一瞬緩め、匙を持った片手を挙げた――。

そこで、事件は起こった。

「う、うわあ!」

玲奈の見ている目の前で突如、櫓の足場が崩れ落ちたのだ。男は為す術もなく転落し、あっという間に唐辛子の海へと飲み込まれていった。振られていた玲奈の手が、ぴたりと止まった。



試食係の男は直ちに病院へと搬送されたが、容態は芳しくなかった。何せ、膨大な量の唐辛子が彼を襲ったのだ。集中治療室には男の譫言が始終響いている。全身を唐辛子に飲まれた彼は、無残な姿で横たわっていた。
行きがかり上病院まで着いてきた玲奈も、思わず言葉を失ってしまった。

「この様子じゃ、退院できたところで職場復帰はできないな」
「そんな」
「舌が使い物にならなくなってるんだ。試食係としては致命的だろう」

玲奈は彼の行く末を思い、微かに涙ぐんだ。憎むべきは唐辛子か、櫓の脆さか……。
神妙な面持ちで男を見舞う玲奈。

だが、このときの彼女はまだ気付いていなかった。彼女の預かり知らぬところで、陰謀が蠢いていたことを。




所変わって、八色唐辛子メーカー対策本部。薄暗い会議室の中、幾人もの上層部が額を突き合わせている。

「まだ生き埋めの社員が残っているようです」
「一刻も早く救助隊を編成せねば」
「しかし、相手は粉末唐辛子の海。どれだけ防護服で身を固めても、あの臭気だけで味蕾を破壊されてしまいます!」
「これ以上の二次災害は避けたいが……」

誰もが頭を悩ませていた。これ以上、自社の優秀な社員を失う訳にはいかない。かと言って、生き埋めになっている社員達を見捨てることもできない。
何とかならないものだろうか。
ああ! こんなときに、失ったところで痛くも痒くもない人材がいてあれば……。

「――そうか!」

パイプ椅子を蹴り、対策本部長が叫んだ。

「この国で一番、失っても惜しくない人材を出動させるぞ!」

陰謀が芽吹いた瞬間だった。




「……それで、よりによって何であたしに救出依頼が来るのよ!」

草間興信所では玲奈が喚き散らしている。

「ごめんなさい。先方が、どうしても玲奈さんにって言うから」
「でも、あの唐辛子の中に飛び込むだなんて」

毒々しい唐辛子の沼を思い出し、玲奈は思わず身震いをした。深く溜め息をつく。

「不況って嫌ね。選択の自由さえないんだから」
「報酬面はこちらからも、もう少し掛け合ってみます」
「よろしくお願いします……」

草間興信所の探偵見習い、草間零は片眉を下げて微笑んだ。

「でも、玲奈さんが救助隊で良かった」
「へ? どうして?」
「親友がこの事故で入院したんです。だから……」
「親友って……あ」

彼女の脳裏をふと、試食係の顔がよぎる。

「そっか。彼、雫さんの親友だったんだ……」

玲奈は僅かに肩を落とした。だが同時に、彼女の中に使命感めいたものが生まれた。

「うん。あたし、彼の為にも頑張ってきます!」

玲奈は拳を固め、にんまりと強気に笑った。




だが、現実とは得てして非情な物だ。
現場で玲奈は懸命に唐辛子の山を掻き分けた。しかし、赤い悪魔は防護服の隙間から容赦無く彼女を襲う。目の前に飛び散る火花。ぐわんぐわんと響く耳鳴り。
いつしか彼女は、どこか遠い彼方へと意識をトリップさせていた。

「玲奈姉さん」
「姉貴!」
「姉御」
「玲奈姉様」
「姉や」

「……なんなの、ここは……!」

再び意識を取り戻した玲奈が目にしたのは、辺り一面に広がる花畑と――自分を取り囲む年下の美少年達の姿。

「あたし、何でこんな場所に」
「随分と遅いお目覚めですね、姉さん?」
「え」

唐突に顎を引き寄せられた先には、賢そうな眼鏡少年が立っている。完璧に決まった流し目は、年下ながら殺人級の破壊力!

「それとも口づけの一つでも落とさないと、眠り姫は目覚めませんか?」
「あ、あの、その」
「やめろよ! 姉貴が困ってんだろ!」
「わっ!」

突然横から声がしたかと思えば、既に身体は誰かに抱きとめられている。かき抱かれた腕の主は溌剌そうなスポーツ少年だ。明るい色の前髪を上げ、大型犬のような瞳がころんと玲奈へ向けられた。

「大丈夫か? 姉貴」
「えっと……だ、誰?」
「何言ってんだよ。俺らは皆、姉貴の弟に決まってるだろ?」
「へ?」

ぽかんと口を開けた玲奈を見て、眼鏡弟がくすくすと笑い始めた。

「おやおや。やっぱり姉さんには目覚めのキスが必要かな?」
「姉貴ー、頼むよ。今日はバスケの練習に付き合ってくれるって言ってたじゃん」
「皆、あたしの、弟……?」

玲奈は改めて辺りを見回す。
陶器のように滑らかな肌を持つ病弱そうな弟は、気恥ずかしそうな様子で千代紙を差し出す。

「ねえ、玲奈姉様。ぼく、千羽鶴折って欲しいな」

そんな病弱弟を押しのけて、こんがりと陽に焼けた少年がひょっこりと顔を出す。道着の胸元からは鍛え上げられた筋肉が垣間見える。

「姉御! 久々にお相手お頼み申す!」
「駄目だよ。姉さまには僕の料理を味見して貰うんだから」

手料理の皿を両手に現れたのはエプロンをつけた弟。その後ろには、薔薇を持った弟が微笑んでいる。

「こら、玲姉。あんまりよそ見してると、俺、嫉妬しちゃうよ?」

キザ弟の姿を遮るように視界に割り込んできたのは、やたらと出来の良い美少女フィギュア。

「ね、ねね姉さん。ボ、ボク、姉さんのフィギュア作ったんです」
「うわっ、さすがにそれは引くわ」
「ガーン」
「姉貴にはお似合いじゃね? ……べっ、別に姉貴が可愛いって訳じゃないからな!」
「どうです、姉や。今の気持ちを詩にしたためては」

オタクな弟に、ツンデレな弟、和装の弟……。
全ての弟が今、玲奈を慕い、玲奈を呼んでいる!




「……うふふ、うふふふ!」


唐辛子に頭の先まで埋もれながら、玲奈は夢見心地で笑った。
玲奈は幸せだった。たとえ彼女がその後、病院で全治半年と診断されたとしても、少なからずこの時だけは。