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The Call And The Doll
「もしもし、わたしメリーさん。今駅前の喫茶店にいるの。」
下校途中であった海原(うなばら)みなもにそう言って電話をかけてきた声は、しかしメリーなどというかわいらしい女性名を名乗るには不釣合いなほど野太く冴えない中年男のものである。
みなもは反射的に、というよりは彼女の中のもう一人の”みなも”――意識や思考、時には肉体も共有し共存している付喪神(つくもがみ)――が、意図的にその場で電話を切ろうとした。それをかろうじて肉体の主導権を握っているみなも自身がはばみ、電話に応じる。
「オカルト探偵から都市伝説に転職ですか、雨達(うだつ)さん。」
「……冗談が通じないな、嬢ちゃん。それとも、その切り返しも冗談かい?」
「そんなつもりでは……。」
「まあいいや、とりあえずお前さんがメリーさんの都市伝説を知っているなら話は早い。」
みなものいかにも困ったような生真面目な応答に電話の向こうの雨達は笑みをこぼしながら、意味ありげにそんなことを言った。
対するみなもは携帯電話を片手に首をかしげ、記憶をさぐりながら呟く。
「メリーさんって、捨てたはずのお人形が、近づいてくるたびに電話をかけてくるっていう、あれですか?」
「バージョンはいろいろあるみたいだが、基本はそうだな。お前さん、もう学校は終わったんだよな? このあとバイトがないなら、お茶をおごるからちょっと意見を聞かせてくれないか?」
雨達のそんな言葉に、みなもは首をかしげたまま大きな青色の目をしばたいた。
現在、「わたしメリーさん、今どこそこにいるの」という電話の文句で有名な都市伝説のメール版がインターネット上でひそかに流布しており、メールを受け取った者の前にはカメラを提げたメリーさんを名乗る少女の人形が現れるのだという。そしてそれに驚いたり怯えたり、気を取られたために交通事故や不慮の事故にあうというのが一連の流れだ。それが単なる都市伝説ではなく付喪神のしわざであるように思えるので、携帯電話の付喪神と同化しているみなもの見解を聞きたい、というのが雨達の用件であった。
幸いまだ死者は出ていないが実際にそういった事故で入院した者や医者の世話になった者が全国にいて、彼らがインターネット上でその体験談を語っている。マスメディアではただの事故として扱われているそれらの事故を体験した者たちの数人に雨達は直接会い、彼らの見た人形の容姿が一致していることを確認していた。送られてきたメールはいつの間にか消えていると言われるが、人々の記憶に焼き付いている文面も話で聞く限り非常に似ていると雨達は判断している。
それを付喪神のしわざではないかと彼が考えた最大の理由は実のところ勘でしかないのだが、「電話をした相手の下にメリーさんがたどりついたあと何が起きるのか」という「結末」が語られないのが定番であるメリーさんの話が電子メールに移植されただけで具体的な結末たる事故が起こるのはいささか奇妙であるし、そもそもメリーさんというのは捨てられた人形であり、付喪神も捨てられた器物がたたって復讐に来るという話があることから、両者には近いものがあるのではないか、という発想だった。
インターネットは情報の共有が現実世界よりもはるかに手軽だ。右から左へ、ごく簡単な操作で情報を拡散できるため、噂話や怪談として情報化されたメリーさんが人々とかかわる機会は非常に多い。長年使われた古い道具に付喪神が憑くと言われるが、「時間」のかわりに膨大な数の「人々」が短時間とはいえその「情報」にかかわったなら、それは結果的に何十年と年を経たことで得るのと同じ数だけの人々の思いを受け止めたことになるのかもしれない。
それが雨達の出した推論であった。論拠はないのだが、彼が勘と呼ぶ推測は不思議と当たることが多い。
話を聞いたみたもも、もう一人の”みなも”と共にその見解を「あり得なくはない」と肯定した。
「それではメールを送ってくるのがメリーさんという都市伝説に憑(つ)いた付喪神として、どうすればメールを送られた人を助けられると思う? 実はメールを受け取った人から助けてくれと依頼を受けているんだが。」
この問いにみなもはティーカップをそっと置いてうーん、と首をひねる。
「そのメリーさんからのメール、あたしにも見られませんか? 情報処理が得意な”あたし”ならメリーさんの居場所もメールから割り出せるかもしれません。そうしたら何か対策を立てられるかもしれませんし……とにかくあたしにできることや判ることがあればお手伝いします。」
「助かるよ。メールはおれのところへ依頼人に転送してもらっているから、お前さんの携帯電話にも転送しよう。」
雨達はそう言って自分の携帯電話を取り出し、目的のメールをみなものアドレスあてに送信した。その数秒後、みなもの携帯電話がその手の中で受信音をつむぎ出す。
二つ折れの電話を開いてみなもがメールを読む間、雨達が説明の補足を始めた。
「電話だとすぐにメリーさん本人が来るみたいだが、メール版は三日から一週間ほど時間をかけてじわじわ近づいてくるみたいだ。これまでに届いたメールは五通、一通目が依頼人の下に来たのは三日前らしい。ご丁寧にどれも現在地の写真付きというから気味が悪いだろう? 受信拒否をしても届くらしいし、いたずらの域を超えているとは思うが、警察は動いてくれなかったそうだ。おれもどんな手を打ったものかと困っている。」
そんな雨達の言葉にうなずいてみせたみなもは、少し時間をくれというように目配せしたあと、心の内側に向け独り言でも呟くように声をかけた。
『何か判りそうですか?』
『数分もすればたぶん居場所も判るわ。』
あっさりと頼もしい返事をよこしたのはもちろん、元は携帯電話に憑いていた付喪神の”みなも”である。
『でも都市伝説なんて”情報”に憑いた付喪神をいわゆる”退治”するのは難しいわよ。都市伝説そのものを抹消しないといけないけど、一朝一夕でできることじゃないもの。人々の記憶や本やインターネット、ありとあらゆる媒体から情報を消さない限りどこかに逃げ込めるんだから。』
”彼女”はそう言ったあと、わずかに沈黙をはさんでさらに言葉を続けた。
『そのメリーさんとやらが付喪神というのは間違いなさそうね。発想が付喪神的だもの。ウイルスとしていろんなパソコンに憑いて――つまり侵入して、そこからメールを送ってる。受信拒否をしてもそれが届くのは、支配下にある別のパソコンから送信しているからよ。そこから足が付いても大元までたどられる可能性は低いわ。』
あたしにはあまり効果がないけど、と”みなも”が付けたした直後、
『お客様なんて初めて。いつもわたしが出向く側なのに。』
という幼い少女の声がみなもの脳裏に響いた。それに驚いてとっさに周囲を見回すが、目に入るのは何の変哲もない喫茶店の内装と雨達の怪訝そうな顔だけである。
「どうした? あっちの嬢ちゃんが何か見つけたのか?」
雨達にそう問われ、みなもはたった今聞いた声が自分の耳の拾った音ではなく、彼女の中の”みなも”が携帯電話を介してもぐっている電脳世界で認識したものであることに思い至った。
その瞬間、向かいの席に座った雨達のすぐそばに、まるで舞台衣装のような華やかなドレスを着込んだ人形の姿が音もなく現れる。胸元には小型のカメラをぶら下げていた。
”みなも”と意識がつながっているので、仮想イメージを幻覚として見せているのだろうとみなもが考えていると、人形が感情のうかがえない仮面のような表情で『わたしメリーさん。あなたは? 人間のようにも見えるし、そうでないものにも見えるけど。』と彼女に問いかけた。
『何であろうとあたしは海原みなもよ。』
そう答えたのは”みなも”だったのか、みなも自身だったのか、あるいは両者だったのかもしれないが、みなもには判然としなかった。視界が現実と仮想現実の映像に同時に支配され、いろんなものの境界が曖昧に感じられるのだ。
ただ、恐ろしい早さで処理が進む電脳世界に合わせた知覚においては、現実の映像は時間が止まっているかのように見えた。
『じゃあ、みなもさん。わたしに何の用?』
『あなたが事故を招いているメリーさんなら、人に危害を加えるのはやめてもらえませんか。』
”みなも”を通してみなもが思わずそう口をはさむと、少し口調の変わった彼女の様子を気にしたというよりはその言葉の内容が理解できない、といった面持ちでメリーさんが『どうして?』と尋ねた。
『わたしは”そういう存在”なの。物を捨てる人間に復讐するのが役目。だからやめないわ。邪魔しないで。』
メリーさんはそう言ってくるりときびすを返し、ドレスのすそをはためかせてどこかへ――インターネットの海の中へまぎれてしまいそうだった。
みなもはとっさに、待ってと叫んでその人形の手をつかむ。
その途端、二人の間に静電気のようなものが走り、驚いたみなもは思わず手を引っ込めた。実際にメリーさんの情報に接触したのは”みなも”の方であったはずだが、みなもには自分の感覚であるように感じられたのだ。
一方メリーさんも目を丸くしてそんな彼女をふり返った。
『あなた、付喪神を”受け入れた”のね。』
唐突にそう口走った人形の言う「付喪神」というのはもちろん、みなもと同化している”みなも”のことである。メリーさんは一瞬の接触でその情報を読み取ったのだ。
『驚いた。物を自分の体の一部のように大切にしてくれる人がいるのは知っていたけど、肉体を共有している人がいるなんて。』
いたく感じ入った様子でメリーさんがそう言ったので、”みなも”は『不可抗力というやつよ。』とどこか不機嫌そうに、うめくように答えた。
『今はそれほど悪くないとも……思ってるけど……。』
ぶつぶつと、しかしまんざらでもなさそうにそう付けたす。
それを人形にしては感情豊かな、興味深そう顔で見ていたメリーさんはやがて、
『あなたが言うなら、仕返しは手加減してあげてもいいわ。物を捨てない人間はいないけど、物を大切にしない人間ばかりでもないものね。』
と言い、そうかと思うと今度はみなもが手を伸ばす間もなく眼前からかき消えてしまった。
『現実世界に出たみたい。ここから近いわ。』
”みなも”のその言葉が合図であったかのように、みなもの視界が現実世界のもので構成された映像に戻る。
その次の瞬間、みなもは腰かけていた椅子をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がり、携帯電話だけを手に喫茶店を飛び出した。
「おい、急にどうしたんだ?」
数秒遅れてあとを追ってきた雨達がそう尋ねると、彼の携帯電話が短くメールの着信を知らせた。
「メリーさんよ。接触したおかげで電波の情報がつかめたから判る……あたしにも。」
「……お前さん、どっちの嬢ちゃんだ?」
そんな雨達の問いには答えず、みなもは暮れなずむ町並みをざっと見渡して「依頼人というのは、あの人じゃない?」と、駅に向かう人々の流れの中で一人携帯電話を片手に不安そうな表情を浮かべ立ち止まっている会社員を指差した。その背後、足元近くにカメラを下げた人形の姿も見える。
しかし雨達はメリーさんには気付いていないのか、「確かに依頼人だ。」とだけ呟いてそちらへと駆け出した。
その雨達の頭に、どこから飛んできたものやらボールが直撃したのは数秒後のことである。
突如響いた滑稽な音に驚いてふり返った会社員の足元で、人形が怒っているのか面白がっているのか判然としない仮面の表情のまま舌を出し、ふいっと消えるところを見ていたのはみなもだけだった。
「これは……結果的には依頼人は無傷だったから喜ぶべきなのかしら?」
「お前さん、今絶対ツンデレの方だろう。メリーさんがいたんなら教えてくれれば良かったのに。」
頭を抱えて雨達がそう言いながら体を起こす。みなもはそれに手を貸すように、携帯電話を持っていない方の腕を伸ばして彼に触れた。
「見えてなかったんですね。」
その言葉とほぼ同時に、二人の間に静電気のようなものが走る。
雨達はその一瞬の間だけ、華やかなドレスをまといカメラを首にかけた人形の姿を見た。みなもがすぐに手を離したため瞬く間に消えてしまったが、それは彼女が見せた幻覚である。
「今のメリーさんは、あなたが調べたメリーさんと同じ人形だったかしら?」
『わたしメリーさん。今インターネットの海にいるの。
ここは情報のるつぼね。そしてテンプレートのカタログのよう。みんなが息をするようにコピーアンドペーストで情報を広めているわ。
電話は番号通知機能なんて無粋なものができたから使わなくなったの。今は電子メールがわたしの連絡手段。メールなら何気なく開けて読んでくれる人もいるでしょう? 仕返しのやり方も少し変えたから楽しみにしてて。
わたしメリーさん。今あなたはどこかしら。
きっとわたしはあなたのすぐそばにいるわ。インターネットではたぶん0か1の距離でしょうから。』
了
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