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<東京怪談ノベル(シングル)>


メイドごっこ

 大丈夫。いつも通りだ。いつも通り。
 草間興信所の扉の前で、黒冥月(ヘイ・ミンユェ)大きく息を吸った。
 そして大きく息を吐くとノブに手を掛けて回そうとした。
 …しかし、ノブが回されることはなく、冥月の体はそのまま硬直していた。
 平常心だ。平常心。平常心…。
 何度心に念じても、それはどうやっても得られない。
 冥月は何度も深呼吸を繰り返す。
「? どうした?」
 突然、ドアが開いたと思ったら草間武彦が目の前に現れた。
 冥月は一瞬にしてボッと顔を真っ赤にすると、反射的にドアを閉めようとした。
「待て待て待て待て! 何故閉める!」
 閉められかけたドアをぐっと閉じさせまいと草間も力を入れる。
「いや、だって、なんか、アレだし…」
「いいから入れ!」
 ガッと扉は開け放たれ、冥月はヨロヨロと倒れこむように興信所の中に入った。
「で? なにがアレなんだ?」
 よろめいた冥月の腕を掴むと、草間はそう尋ねた。
「…だ、だって…」
 顔を背けるように冥月は口ごもる。
 脳裏に浮かぶのは『好きだ』といった草間の顔と、あの日のキス。
 それだけで顔が赤くなってしまう。
「ん? 聞こえないなぁ? ちゃんと言わないとわかんねぇぞ」
 意地悪っぽくニヤニヤと笑った草間は、冥月をスッと引き寄せてあごに手を添えた。
「きゃっ!?」
「例えば俺にこんなことされたいとか、朝まで…あんなこととか?」
 冥月の腰に手を掛け、顔を近づけてきた草間に冥月はパニックに陥った。
「ぐはっ!」

 気が付いたら草間は、冥月の綺麗な払い腰により地面を這っていた。


「ごめん! 本当にごめんなさい…」
 ベッドの上で全身包帯男となった草間に対し、冥月は平謝りだった。
 あまりに俊敏な技を繰り出した為、草間は受身をとる間もなく全身を捻挫した。
「気にするな。たかだか全治2週間だ」
 草間は、ははっと笑ったがすぐに真顔に戻った。
「困ったなー。俺の世話してくれる奴いないかなぁー」
 棒読みな台詞で草間はそうのたまった。
「そ、そんな言い方しなくても、私がやってあげるわよ」
「そうだなー。どうせなら可愛いメイドさんにやって欲しいなー」
「…メイド?」
 首を傾げた冥月に草間は無言でクローゼットを視線を移した。
「?」
 冥月が不思議に思って開けてみると…なぜかコスプレ衣装が大量に掛けられていた。
「…な、何でこんな物が!?」
「探偵たるもの、どのような場所にも溶け込んで影の様になることができなきゃいけないからな」
 苦しい。苦しすぎるいいわけだ。 
「これを…着ろと?」
「折角看病してくれるなら、可愛いメイドの冥月にされたいなぁ」
 こちらに非がある。
 とはいえ、何故にこんな理不尽な要求を受けねばならないのか?
 しかし、それすらも受け止めてしまうのが愛なのである。
「着替えてくる」
 そう言って冥月は適当な1着取り出すと、別の部屋へと消えていった。

「…これ、胸がきついんだけど…」
 着替え終わった冥月が草間の前に現れると、草間のポーカーフェイスは大きく崩れた。
 はちきれそうな胸を押さえながら、肩丸出しのシャーリング使いのブラウスにウェストが絞られたロングスカートのメイド服を着込んだ冥月は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「いや、いい。ばっちり似合ってる」
「…鼻の下伸びてるぞ」
 本当に言いなりになってよかったのか?
 冥月は今更ながらに疑問に思ったが、今更どうにもならない。
「で、なにをすればいい?」
「ご主人様」
「…は?」
「メイドは『ご主人様』って呼ばなきゃいけないんだぜ?」
「…」
 勝ち誇ったようにいう草間の顔に、冥月は必死に笑顔を作った。
「ご主人様、何をすればいいですか?」
「そうだな、まずは新聞が読みたい」
「わかった」
「『わかりました、ご主人様』だ」
「…わかりました、ご主人様」
 事務机の上に放置された新聞を持ってきて、ふんぞり返った(ように見える)草間の目の前で広げてやる。
「どのページがみたいの?」
「社会欄だ」
 ページをめくると、草間は少し首を上げて読み始めた。
 真剣な顔…は長くは続かなかった。
 こてんっと首を下ろすと「首痛くなるな」と呟いた。
 寝たきりというのは、やはり大変なものなのだ。
「新聞はもういいや。次! 飲み物を持ってきてくれ」
 わがままなご主人様は偉そうにそう言った。
 こいつ…私が下手に出てることを逆手にとって…。
 ふつふつとそんな殺意さえ覚えそうだったが、甲斐甲斐しく冥月は言われたとおりにした。
「はい、おまたせ」
「『おまたせ致しました』だろ?」
「うっ。お、おまたせ致しました」
 冥月の引きつった笑いに気が付いているのかいないのか、草間は満足そうだ。
「飲ませてくれ」
「はいはい」
 ストローを挿して口の前まで持っていった冥月だが、また草間のダメだしを食らう。
「く・ち・う・つ・し」
「!?」
 まさかのマウストゥマウス要求。
「口? く、口!?」
「メイドさーん、早くしてくださーい」
 オロオロする冥月に草間は容赦ない要求をする。
 待機姿勢の草間に、冥月は覚悟を決めて口に飲み物を含んで口を近づけた。
「…んっ…」
 目を瞑って恥ずかしさを押し隠そうとしても、近くに感じるぬくもりが心の中をかき乱す。
 あぁ、私、やっぱり…好き。
「はぁ…」
 口を離すと、知らずに吐息が出た。
「うまかった」
 草間がぺろりと唇を舐めた。
「…もう!」
 冥月が困った顔をすると、草間はにやりと笑う。
 その顔はいたずらしている子供のように生き生きとしている。
「お前のそういう顔もいいな」
「…バカ…」
 上気した顔を草間の胸元にうずめる。
 こんなに幸せな気分でいいんだろうか?

 ビーーーーーー!!!!!!

 突如、甘い空間を裂くようにけたたましい興信所のベルの音がなる。
 パッと冥月は草間から体を離して立ち上がった。
「お、お客!?」
「いいよ、ほっとけ。どうせ俺こんな状態だから仕事できないしな」
「で、でも…」
 制止する草間は、慌てる冥月に言った。
「ご主人様の言うことは絶対だ。いいからここ来て座ってろ」
 強い口調で言われて、冥月はおとなしくそれに従った。

 ビーーーーーーー!!!!!

 再びけたたましい音が響く。
「…しつこいヤツだなぁ…」
「やっぱり出た方が…」
「…冥月」
 立ち上がろうとした冥月を捻挫したはずの草間の手が捉えた。
 そして、あっという間にその胸の中へと引きずり込んだ。
「いてて…そんなに気になるなら、俺の心臓の音でも聞いてろ」
 コホッと咳をして、草間は冥月を抱きしめた。
 とくん。とくん。
 心臓の音が心地よく聞こえる。

 ビーーー………

 いつの間にかベルの音は草間の心臓の音にかき消されていた。
「ねぇ、武彦。1つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「このメイドごっこ、いつまで続けるの?」

「治るまで」

 治ったら…覚えてなさいよ、武彦…。