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<東京怪談ノベル(シングル)>


ねがいごと

 ひとり、椅子に腰かけて。入口を除く三方を本に囲まれたこの書斎で過ごすのが、羽月・悠斗(はづき・ゆうと)の常だった。
 かびのような独特の匂いにも、とうに慣れた。耳を震わせるのは、時計の針が刻む音と、ページを捲る音だけ。そんな静かな時間が、悠斗にとってもっとも落ち着くものだった。
 悠斗の住む屋敷は、それなりに大きい。加えて、庭というには広い敷地も備えている。悠斗はここに、基本的にひとりで暮らしている。
 ただ、弱冠十六歳の悠斗には、身の回りの世話をひとりではこなしきれない。だから両親から定期的に仕送りが来るし、週に二度は使用人が来る。だが、悠斗が彼らと話すことは、ほとんどない。
『お坊ちゃまは今日も書斎ですか?』
『薄気味が悪いわ。貴女の前に勤めていた人も、呪われると言って辞めていったのよ。――こんなこと聞かれて私も呪われたらたまらないわ、仕事しましょう』
 そんな風に話しているところを、陰で偶然聞いてしまったこともある。聞く前から、自身が煙たがられていることはわかっていた。使用人たちにだけではなく、両親からもそう。
―――だけどそれは、僕のせいだ。
 悠斗は、己の言葉を『呪い』として発現させる力を持つ。ただしそれは必ずしも彼の意志を伴うことを必要とせず、時に意に反した効果をもたらすこともある。また、軽い気持ちで言った悪口すら、呪いとなってしまうのだ。幼い頃、些細な喧嘩で兄に『嫌いだ』と言ったら、兄は病で寝込んでしまった。
 悠斗は、自ずとあまり喋らなくなった。周りも、悠斗を腫れ物のように扱うようになった。――そのどちらが先だったかはわからない。ただ、気付いた時には、悠斗と周囲との溝はあまりにも深くなっていた。
 そして、悠斗はひとりで暮らすようになった。悠斗自身も誰かを傷つける不安に駆られることはないし、その方が周りも安心なのだろうと思っている。
―――僕にはもう、『家族』なんていないに違いない。
 充分な仕送りは、悠斗の身を案じてのことではない。悠斗に不満を感じさせたら、呪われてしまう――そんな恐怖からにすぎないのだろう。実際、仕送り以外で両親から連絡が来ることはない。
 更に、数少ない身の回りの人間を避けるかのごとく、この書斎にこもっている。本を読むのは、自身の呪言を抑える方法を探すためだ。暴走しかねないこの力を律するためには、正しい理解が不可欠だから。
 ここにいれば、使用人たちの畏怖するような眼差しも視界に入らない。嫌な言葉も耳に入らない。自分が誰かを傷つけてしまうことも、ない。得られるのは呪いに関する知識と、傷つかない時間――実益と逃避を兼ねる、最高の空間だった。





 目を休めるため、悠斗は書斎を出て敷地内の森に来た。
 逢魔時、大禍時。この時間を選ぶのは、理由がある。
―――もしかしたら、人ならざる存在が僕を見つけてくれるかもしれない。
 悠斗が呪いについて調べるのは、自分について知るためだ。けれど、それだけではない。今は独りで過ごす日々だが、いつかは、誰かと普通に話せるようになるかもしれない。
 そのためには、呪言を完璧に制することが必要だ。今はまだ、足りない。だが――。
 と、不意に強く風が吹き付けた。思わず、手で顔を覆う。風が止み、顔を上げると、悠斗はその目を瞬いた。
 そこにいたのは、異形の存在。小さな子供のような瞳がくりくりと光る。餓鬼だ。
 それは悠斗が待ち望んでいた、人ならざるもの。初めて叶ったその逢瀬に、はやる心を抑えながら、口を開いた。
「僕と、一緒に遊びませんか?」
 ひとりで過ごす書斎は、最高の空間だ。その気持ちに偽りはない。
 だけどどうしても、寂しくないとは言いきれない。ひとりの時間は経過とともに孤独に浸され、やがて心が死んでいく。感情が、麻痺していく。
 それでも、誰かにすがることは出来ない。もう、皆から畏れられているから。仮に誰かが同情から手を差しのべてくれたとしても、その怯えを感じながら過ごすのは悠斗自身も耐え難い。
 けれど、この人ならざる存在なら。呪いを振り払い、悠斗を忌むこともなく接してくれはしないだろうか。
「――いいよ?」
 その餓鬼は、あっさりと頷いた。





 それから、その餓鬼とともに過ごすようになった。出会ったのと同じ森で会い、話したり、遊んだりする。それは本当に久し振りで、忘れかけた『楽しい』という感情をほんのりと思い出せるような気がした。
 勿論、書斎で過ごす時間もなくしてはいない。呪いの知識を深めることは、とても大事なことだ。いつかまた誰かと一緒にいられるように、努力は惜しまない。
「あの……恐れ入りますが、悠斗様」
 ある日、使用人がおずおずとそう切り出した。屋敷の外へ頻繁に出かけるようになった悠斗を怪訝に思っているのは、薄々気付いている。
「食事の量が足りないようでしたら、食材を多めにして頂くよう、旦那様にご提言させて頂きますが……」
「いえ……今まで通りで、構いません」
 甘えるのは、悠斗の本意に沿わない。それに両親も、それを子が親に甘えるものとしては認識しないだろう。ただ恐怖から、貢ぐようなものだ。
 その場は、それで終わった。だが悠斗の言葉とは裏腹に、両親から来る仕送りの量が増えるようになった。悠斗はああ言ったが、使用人の方が気を回した――つもりなのだろう。悠斗の奇行を恐れた両親が、彼の機嫌を損ねないようにと、食材を多く送るようになったのだ。
 これはまずい、と、悠斗は餓鬼に尋ねることにした。餓鬼が盗み食いしているのではないか、と。
「うん。おいらが食べた」
 いいでしょ? と、あっけらかんと餓鬼はそう答えた。悠斗は、思わず頭を抱えた。だが食べるのが生きがいの餓鬼にきちんと注意しておかなかったのは自分の失敗かもしれない、と思い、改めて言うことにした。
「次からは、僕と一緒に食べましょう。朝、昼、晩の一日三回。お手伝いさんは下がらせますから」
 悠斗の言葉に、餓鬼はあからさまに不服そうな顔をする。だが、渋々ながら頷いた。悠斗は、ほっと胸を撫で下ろす。
 翌日から、確かに餓鬼は勝手にものを食べなくなった。だが、定刻に食べる量が生半可ではなく、結局は多めの仕送りが丁度なくなる按配だ。
「ねえ、ねえ、もっとちょうだい」
「だめです。これ以上はもう、明日からの分がなくなってしまいますから」
 しかし、餓鬼の欲求は止まらない。それどころか、胸を張って続けた。
「一緒にいるんだから、対価は当然だろ? ねえ、ちょうだい」
 悠斗が目を見開く。――対価?
 それは、つまり。餓鬼は、食べ物が欲しくて悠斗の傍にいたということか。ただ、それだけだったのか。
「ちょうだい、ちょうだい。何もないなら――」
 キミジシンヲ、チョウダイ。
 餓鬼は無垢な眼差しで、悠斗にねだる。悠斗は、もう見ていられなかった。
 餓鬼が見ていたのは、悠斗自身ではなかった。求めていたのは食べ物だった。更に手に入らなければ、悠斗をも食べるという。食べ物も悠斗も、餓鬼にとってはさして変わらないということだ。
 『楽しい』なんて、こんな一方通行な想いで――成り立つ訳がない。なのに、そんな浅はかな感情を抱いていただなんて。
「――消えろ!」
 激情のままに、叫んだ。怨嗟の声は餓鬼へと向かい、呪いとなって蝕んだ。餓鬼の身体を黒い霧が包み、覆い隠していく。その霧が消えると、そこにはもう何も無かった。跡形もなく、消滅してしまった。
「うぅっ……う……」
 嗚咽が漏れる。口元を押さえても、堪えきれない。
 独りだ。結局は、独りだ。一緒にいて、寂しさが紛れただけ。勝手に嬉しくなっていただけで、利害関係しかなかったのだ。
 悠斗の願いは、呪いも何も関係なく、普通に話して過ごすこと。確かに、それは叶った。だけど、これは、やはり――違う。
「うう……うわあぁぁ……」
 もう長いこと、涙を流すことも、感情を声に乗せることもなかったのに。
 悠斗はしばらくその場に立ち尽くし、声を上げて泣いた。





 今日もまた、変わらない一日。
 ひとりで朝食を済ませ、書斎にこもり、日がな一日、本を読む。
 きっとそれは、変わらない。

 ――ただ、変わることを願って、読み続ける。





《了》