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【純白と舞う烈火2】
踏めば新雪のように柔らかく沈む絨毯。よく磨かれた総革張りの黒いソファー。総じて洋風の誂えである室内に、とても不似合いな日本の掛け軸が壁に掛かっている。白鳥・瑞科は心底毛嫌いするように、その美麗な顔を歪めたが、その表情ですら艶かしく見えた。
瑞科が立っているのは殲滅指令を受けた組織の本部である。
この部屋へたどり着くまでにも、多くの魍魎共が瑞科に襲い掛かったが、話にならなかった。瑞科の戦闘服が宙を舞うたびに鬼の首は胴体から切り離され、四足で襲い掛かるケモノ型の魍魎には電撃で迎え撃った。そのどれもが一分とかからずに床へと崩れ落ちた。
悪魔と契約した者独特の腐臭が漂う廊下で、瑞科はつまらなそうに首を斜に構える。
「部下がこの程度ですと、幹部も同じようなものなのかしら。そうだとしたら――途中で飽きてしまうかもしれませんわね」
バチバチと電撃を全身から迸らせながら、まだ戦い足りていないのだと言わんばかりに、天井へ掌を向ける。衝撃音の後、天井から猿に酷似した奇妙な鬼がボトリと落ちてきた。隙あらばと瑞科の頭上を狙ったのだろうが、彼女にそんなものはない。
まして今は物足りない連中ばかりだったことに、少々苛立ってもいたりする。
返り血ひとつ、ましてかすり傷すらもない白絹の頬を怒りで攣らせ、硬質な足音を立てながら瑞科は階を上って行った。
そしてたどり着いたいかめしい扉。権力欲に塗れた、悪趣味な飾りが周囲を縁取っている。
瑞科は中からの返事を待たずに扉を開け、踏み込んだ。ブーツ越しでもわかる上質な絨毯の上を、長いストライドで進んでいく。
耳の先を尖らせた中年が、両手に顎を乗せた状態でニタリと笑った。自然に禿げたのか、それとも洒落っけなのか、男の頭は綺麗な禿頭である。そこには醜いタトゥーが彫り込まれていた。それが強さの階級だとでもいうようだ。
人間として生きていた頃は、さぞかし似合っていただろうブランドスーツも、埃と血と、何ものかもわからぬ肉片をこびりつかせていてはデザイナーに失礼である。
美の塊である瑞科は、薄汚い男を冷たく一瞥した。
「手応えが無さ過ぎですわ。貴方は少しくらいできるのかしら?」
戦闘で傷を負うのは嫌だが、弱い者ばかりを相手にするのはもっと嫌だった。まるで弱い者いじめに思えてくるからだ。どんな相手でも負ける気はしないが、楽しみたいとは思う。だから強い相手と戦いたい。瑞科自身が本気で戦える相手――。
「雑魚相手ニ偉ク強気ダナ」
言うなり男は椅子を後方へ飛ばした。デスクを乗り越えると、上着の下に隠し持っていたらしい匕首を逆手に持ち、いきなり斬りつけてきた。
瑞科はその手を避けつつ軽く払い落とした。
ぼとり。
あり得ないことに男の手首から先が、たったそれだけの衝撃で折れてしまったのだ。無様に転がる手首が瑞科の碧い瞳に映り込む。呆れますわね、とそんなセリフが思わず口をついて出た。
悪魔と契約した程度で身体が腐るとは、元々の資質も低いようだ。瑞科のテンションが一気に急降下した。
「もう、いいですわ」
突き放すように言い放ち、男の頭上めがけて踵を打ち下ろした。それを間一髪でよけた禿頭だが、二撃めの上段蹴りには対応できなかったようだ。横っ面を蹴り飛ばされて、血反吐を吐く。
罵詈雑言を並べながら反撃に転じた男だが、戦闘の場数が違う。瑞科はすかさず男の懐へと間合いを縮めて潜り込み、掌底を顎めがけて突き上げた。
男の身体が勢い余って宙に浮き、そのまま後方へ頭から落下した。今度は頭が飛ぶかしら、とちらりとそんなことを思ったが、予想を反して男の頭部はついたままだった。
「もう少し楽しませてくださいませんの?」
打たれ強さは悪魔のおかげか。男の身体はゆらりと起き上がり、しつこく影のように瑞科を追い始めた。
ドス黒い体液をぶち撒けながら、瑞科の顔面、胸、腹――三段構えで蹴りを繰り出してきたが、その動きは酷く緩慢に見えた。
手首から先を失ったが、大きく踏み込んでの突きの際には肘から先を吹っ飛ばしてやった。
間髪入れずに反撃に入る瑞科。白い太ももがちらちらと覗く裾が、男の周囲を激しく蹴り上げる。どれもが早すぎて、男はすべての蹴りをまともに受けた。細くくびれた腰が鋭く捻られ、ダンスのような見た目に反した重い蹴りである。
いい加減飽きてきたところで、瑞科がトドメを刺した。
バチバチと電撃を蛇のように腕へ絡ませた状態で、男の鳩尾を打ったのだ。腐りかけていたのか、腕はずぶりと男の腹を突き抜けた。
「ふぅ……話になりませんわね」
汚れた手袋を脱ぎ捨て、
「新しいのを新調していただかなくてはなりませんわ……」
ぴくりとも動かない男を見遣り、
「任務達成ですわ。……それにしても歯応えがなさ過ぎですわね。そんなようだからすぐに腐ってしまうのですわ」
おおいやだ、と身震いする。それに呼応して、窮屈そうに戦闘服に収まっている胸もぷるんっと震えた。
ブーツの底が沈む毛足の長い絨毯の上を、踵を返した瑞科が颯爽と戻る。開けたままになっていた扉に両手をかけ、勢い良く閉じた。
珍しく瑞科の表情が曇っていた。
「任務完了ですわ」
先の組織本部襲撃後、完了報告を行う為に司令官の部屋を訪ねた。その司令官は、瑞科と違って上機嫌である。瑞科は、依頼した以上の結果を出してくれるので、上官としては当然の表情だ。これまで彼女に下した指令が失敗に終わった事は無い。
「よくやったな。いや――こんな褒め言葉も今さらな気がするな……」
司令官は満足そうに笑いながら、
「君は私の誇りだよ」
この言葉に、瑞科の肩から力が抜けた。ターゲットがどうであれ、指令は絶対成功させるものなのだから、武装審問官として今回の仕事は完璧だったと自負できる。
「楽な任務でしたわ」
だが正直な感想は言わせてもらう。
そんな彼女の全身に、司令官の視線が向けられた。彼女のシンボルの一つとも言える手袋の片方がないだけで、これからすぐにでもパーティーへ出席できるほど、瑞科のスタイルはパーフェクトだった。
惜しむらくは戦闘服であること――。深すぎるスリットは艶かし過ぎて、パーティー会場の女性陣の嫉妬を買うのだろうが。
「次の任務も頼むよ」
「完璧にこなしますわ」
瑞科は、光沢のある琥珀色の髪をかき上げ、笑顔で答えた。
「司令官」
瑞科の思いもかけない愛らしい声音の問いかけに、司令官は驚きを隠せないまま、
「ん? どうした」
「今日の戦闘で、手袋を片方をダメにしましたの。新調して頂けます?」
鼻に抜ける甘えた口調に、一瞬意識を奪われかけた司令官だが、そこをぐっと堪えた。
「君の戦闘能力は常に万全にしておくべきだからな」
遠慮はいらない、という回答に瑞科は極上の微笑を返した。烈火の如く、ターゲットを抹殺してきたばかりとは思えない、真白き天使のようなまばゆさであった。
「ご期待通りに……」
戦闘服の裾の端を軽く摘み、ダンスフロアのレディのように浅く膝を折って答えた。
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