コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


〜終焉の宴〜

 白鳥瑞科(しらとり・みずか)は、自分が絶体絶命の危機に陥っていることをまだ理解できずにいた。
 今まで完全無敗、組織でも随一の戦果を残す彼女である。
 戦闘に自信しか持っていなかったのだから、それも当然だった。
 汚い泥と血反吐にまみれた彼女の表情からは、まだ勝ちを信じる片鱗が垣間見える。
「あ…うう…」
 喉から漏れるうめきを耳にしながらも、彼女はどこかに勝機を探し続けていた。
 敵は激しい咆哮をあげながら、瑞科の豊かな黒髪をわしづかみにし、つり上げた。
「ひっ…きゃああっ…!」
 足が宙に浮き、彼女はあまりの痛みに悲鳴をあげた。
 無論、その悲鳴を敵が容認することはない。
 彼女の感情にも台詞にも、敵は興味も関心もなく、そもそもそれらを感知できているかどうかが怪しかった。
「うぐっ!」
 一瞬にして地面にたたきつけられ、肺の中の空気がすべて外に押し出された。
 考えなしに加えられる暴力のせいで、瑞科の体力は急速に落ちている。
 思考は半分霞がかったようになり、視界も砂のせいで白濁していた。
 引き裂かれた服は既に原形をとどめず、きわどく肌を露出させ、その上、肌はひどい傷にまみれていた。
 それでも彼女の清廉な美しさは損なわれない。
 だがそのせいでよけいに、今彼女が置かれている状況と、敵の醜さが浮き彫りになるのだった。
 また身体が引き上げられ、その時初めて、瑞科は恐怖を覚えた。
「痛っ、きゃあああっ、ぐぅっ」
 またしても固い地面にたたきつけられ、背中を強打して、彼女はくぐもったうめきを吐き出した。
 すぐにまた引き上げられるのを感じ、全身がびくっと震える。
「もう、やめ…きゃああああっ! あうっ!」
 制止の声が口からほとばしり、瑞科は朦朧とする意識の中で自分の耳を疑った。
 今自分は何を言ったのだろう。
 敵に「やめて」と懇願しようとはしなかったか。
 けれども、考えをまとめようとする前に三たび身体が宙に浮く。
 気がそれていたせいで、次に地面が迫った時、彼女の本能はあり得ない言葉を口にしていた。
「いやっ、やめてっ…」
 敵は容赦しなかった。
 今度は腹部を地面に打ち付け、瑞科は濁った苦鳴をもらした。
 可憐にして妖艶な、相反する雰囲気を持つ彼女が、その瞬間、めちゃくちゃにされるなよやかさを醸し出し、おそろしいまでの色香を漂わせた。
 敵は振り上げてはたたきつける趣向に飽きたらしく、一度瑞科を放り投げた。
 ぼろ布のように地面にぐったりと崩れ落ち、体力をほとんど失った瑞科は立ち上がることすらできない。
 むきだしになった肩を上下に大きく揺らし、何度も苦しげに呼吸をくり返す。
 わずかに上げた視線の先で、何かがきらめいた。
 それが水面の光の反射だと気付いた直後、瑞科の右腕を、赤銅色のごつごつした腕がつかんだ。
「な、何を…」
 恐怖に身体がすくむ。
 こんなことは今までに一度も経験したことがなかった。
 初めて知る敵への、そして己の未来への恐れが、彼女の声を震わせた。
 身をよじって、引きずられるのを止めようとする。
「やめて…! やめてっ、くだ、さい…!!」
 ずる、ずる、と地面にひざ下がこすれ、またしても傷が増えて行く。
 敵に言葉など通じないのがわかっていても、彼女はいつもどおりのていねいな口調で訴えた。
「いっ…! ひぃっ…あ、うう…」
 意味をなさないうめきが、暗い洞窟の中に響いた。
 不意に身体が浮き、先ほどのきらめきの上へいとも簡単に放り投げられる。
 派手な水音がし、彼女の身体はさらに泥水にまみれた。
 水深はそんなに深くなかったから、彼女は顔を水から引き上げようとしたが、いきなり頭をつかまれ、水の中につっ込まれた。
「がはっ…?!」
 空気を吸い損ね、瑞科は泥水を浴びた。
 バタバタともがくが、敵の力は人外のものだ。
 まったく頭から外れる様子もなく、瑞科は苦しげにもがき、泥水から逃れようとする。
 しかし力はゆるまない。
 苦し紛れに泥水を受け入れ、何度も力なく頭を振る。
「はあっ…!」
 水から顔を引き抜かれ、瑞科は大きく息をした。
 再び、その頭が泥水の中に沈む。
「ごぼっ、ごぼごぼごぼごぼ…っ」
 吐き出された空気が、泡になって水面を波立たせる。
 瑞科の細い腕が、空気を求めて宙をさまよった。
 敵は何度も何度も、瑞科の頭を水から引き上げては戻す動作を繰り返す。
 やがて、瑞科の抵抗がやんだ。
 気を失ったのだ。
 動かなくなった瑞科に、怪訝そうな視線を投げ、敵はもう一度彼女の腕をつかみ直す。
 そしてそのまま、洞窟の奥へと引きずって行った。



 組織側に戦果を報告できぬまま、瑞科の行方はぷつりと途絶えた。
 
 〜END〜