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<東京怪談ノベル(シングル)>


摩天楼のバベル〜非道なるものに裁きを〜1


闇夜をおぼろに照らす月を仰ぎ、琴美はうっすらと口元に笑みを描く。
視界の先に移るのは天に届かんばかりにそびえ立つ冷たきコンクリートのビルはさながら神に挑み、鉄槌を下されたバベルの塔。
いや、今回下された任務を思えば、まさにバベルに等しき所業。
慈悲をかける必要はない。今日この日をもって殲滅せよという命を胸に琴美は静かに、しなやかに敵地に足を踏み入れた。

話は数時間前に遡る。

ほの暗いミーティングルームのテーブルにばらけられた無数の資料と報告書の上に上官は両の拳を叩き付け、静まり返った室内に重苦しい空気がさらに増す。
言いようのない憤怒、悲しみ、ありとあらゆる感情が混ざり合い、だれもが声をあげられなかった。
それはそうだろう、と琴美は小さく息をつきながらまき散らされた写真の一枚を手に取り―顔をゆがませる。
そこに写されていたのはとても口に出していうことができないほど残虐かつ非道な光景。
調査をしていた隊員たちが予想以上の事態にそろって殲滅を嘆願してきたもの無理はなかった。

しばらく前から多発してきた失踪事件。当初は単なる家出―蒸発程度と警察もタカをくくっていたが、それがひと月もしないうちに倍となり、さらに一部の失踪者が不審な死で発見された。
関連性があると判断した警察はひそかに自衛隊の非公式特殊部隊に捜査を要請。
そして明らかになったのは巨大製薬企業の決して許されざる所業。
―危険性が極めて高い非合法薬品を使用した人体実験。研究の発展・進歩の名のもとに無関係の人間たちを拉致・監禁し、すでに数十名に上る犠牲者がいるとのこと。
また、この実験のために誘拐を専門とした凶悪な実働部隊を確認。
A4サイズのレポート用紙に淡々と並べられた文字の羅列を追っていくごとに吐き気を覚え―最後に殴り書きされた一文に琴美は絶句した。
―犠牲者の半数が幼児から中学生に渡る未成年である。こんな連中を許すな!
「水嶋、どんな荒っぽい手段を使おうとも構わん。このふざけた輩を殲滅しろ」
滅多に声を荒げず、常に冷静を旨とする上官からの怒りに満ちた命令に琴美は無言で敬礼した。

昼ならばサラリーマンやOLでにぎわっているだろうオフィスはしんと静まり返り、人の姿は皆無。
時折、コツコツと響く足音が闇の中に響き渡る。
この時間にしては不自然な数の音に琴美は身をひそめた柱の影でくすりと笑い、両袖からクナイを滑り出す。
ゴーグルとマスクに顔を覆い、黒いスウェットスーツで身を固めた数人の男たちがハンドガンや大ぶりのナイフを手にゆるりと闇から姿を見せたと同時に琴美は冷たいリノリウムの床を軽やかに蹴り、得意の獲物であるクナイを舞い踊らせる。
「ガハッ……!!」
「お、の……!」
「あらあら、連絡する必要なんてありませんわ」
短い断末魔とうめき声をあげて倒れ伏す男たち。その中の一人がうめきながら仲間に連絡をとろうと床に転がった通信機に手を伸ばす。
だが、優雅な笑みを浮かべた琴美は男の手が届く手前で通信機を踏みつけ―力を込めて一気に粉砕する。
同時に耳障りなアラート音がビル全体を震わせ、わらわらと同じ姿をした男たちが群れを成して現れた。
「なんだ!」
「侵入者だ!!研究エリアを封鎖しろ」
「相手は一人だ。さっさと片付ける」
緊迫にかけたなめきった声に琴美はやれやれとばかりにこめかみを軽く抑え、クナイを構えなおす。
こちらの実力を測れないとは三下もいいところ。
まぁふざけた研究をしている輩に強さなんて必要はない。
「さっさと片付けさせていただきますわね」
「なめた口を!!」
いきり立った男が大ぶりのサバイバルナイフを振りかざし、琴美に向かってくる。
が、ふわりと黒のプリーツスカートがはためいたと思った瞬間、男の網膜になめらかな黒い光沢を帯びたインナーに包まれた太ももが強烈な激痛とともに焼き付けられた。

初速で十分に反動を加えた膝蹴りに男が大きくのけぞって吹っ飛ばすと、そのまま身をひるがえし、琴美は背後に迫っていた男二人にクナイを食らわせる。
短い悲鳴をあげて男たちがひるんだ一瞬を見逃さず、右ひじを手前にいた男のみぞおちに打ち込んで倒し、そのまま踏みつけて奥の男の側頭部を蹴り飛ばす。
予想外の速さに防御が間に合わず、まともに食らった男は数回リノリウムの床をバウンドした後、太いコンクリートの柱に全身を打ちつけて沈む。
「う……わぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっ!!」
正体不明の―女の侵入者による隙のない見事な連続攻撃を目の当たりにし、男たちは形容しがたい恐怖が背を滑り落ち、狂ったようにハンドガンのトリガーを引いた。
激しい銃撃に猛烈な爆煙が巻き起こり、フロアを包む。
あっという間に視界ゼロとなる中を琴美を正確かつ軽やかな動きで無軌道な銃撃をかわし、ハンドガンを撃ち続ける男の腹に拳を食い込ませた。
乾いた音を立ててハンドガンがリノリウムの床を回転しながら滑り、それに気づいた別の男がトリガーに指をかける。
だが背後から繰り出された琴美の優雅な繊手の一撃が首筋に落ち、あっけなく気絶した。
絶え間なく起こる悲鳴とうめき声。
やがて徐々に煙が晴れていくとともに、元の静けさを取り戻す。
吹き抜けの天窓から青白い月明かりが鮮明に闇を切り裂くと、冷たいリノリウムに累々と横たわるスウェットスーツの男たちとそれを優雅に見下ろす琴美の姿が現れた。
「全く……策もなく、こんな狭い空間で銃撃をするなんて愚かの極みですわね。誘拐を生業とする輩としては無能極まりない」
小さく笑みをたたえながら、零れ落ちた言葉は辛辣なもの。
この程度の戦闘で冷静さを失うなど兵士―戦場を駆け回る傭兵にあるまじき失態。
だからこそ琴美は正確に敵の意図を見抜いていた。
「いい加減姿をお見せになってはいかがかしら?」
腰に左手を当て、琴美は右手で髪をかきあげながら吹き抜けの一階フロアから、不自然なガラス張りとなっている上階に向かって声を張り上げる。
「最下級の兵をぶつけて実力を探ろうなど愚の骨頂もいいところではなくて」
凛と響き渡る琴美の声に傍観を決め込んでいた者はぎりと歯を鳴らした。

―使えないやつらだ!
胸の内で床に這いつくばった部下たちを汚くののしりながら、傍観者―誘拐実行部隊を率いる部隊長は一瞥した。
たかが一人。しかも女ごときにビル周辺の部隊が殲滅された挙句、内部まで侵入を許し―そしてたった今、階下の部隊は完全殲滅。
笑い事では済まされない。
部隊長は背後に控えていた直属の部下たちに振り替えると、怒りに染まった目でにらみつけた。
「これ以上、好きにさせるな!!どんな手を使っても構わん。あのふざけた小娘を消してこい!!」
「はっ!!」
隊長の言葉に楽しげに目を輝かせ、部下たちが指令室から飛び出そうとドアに殺到する。
その瞬間、派手な爆音と火花が舞い散り、鋼鉄製の分厚いドアがぐしゃりと変形しながら倒れ、部下たちを押しつぶす。
「あらあら、ずいぶんとせっかちな方たちですわね。そんなに急がなくてもこちらからうかがわせていただきましたわ」
階下にいたはずの声が響き、白煙がゆっくりと晴れていく。
細い腕とすらりと伸びた足を覆う漆黒のひざ丈まで編み上げられたロングブーツとグローブ。
上半身を包むのは袖丈を短くした着物を腰のあたりで帯で締め上げ、動きやすさを追求されたミニプリーツスカートから覗く太ももはその美を強調するようにスパッツに包まれている。
思わず舌擦りしたくなるほどの極上の―だが、危険極まりない女がそこにいた。
「はじめまして、部隊長様」
にこりと女―琴美は笑うと優雅な足取りで一歩前に出る。
「これまでの悪行を悔いて、死んで貰いますわ」
凍りつくような声音で優しく部隊長告げながら、手にしていたクナイを突き付けた。