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●巡る奇跡
無機質な病室、生命維持装置が稼動する音、そして女が啜り泣く音が白い空間を占めていた。
「――貴男」
呟いて、冷たい男の頬に触れた女は、藤田・あやこ(7061)だ、臥したまま動かぬ男の妻である。
重々しいノックの音、かすれた声で入室を許可したあやこは、沈痛な面持ちの主治医の切り出す、角膜移植の話に耳を傾けざる得なかった。
脳死診断を下された、あやこの夫は、別の場所で角膜の移植を待つ女の身体を構成する一つとなる。
「αブロガー?」
「彼女の読者層は政財界、軍に及ぶ。核戦争回避の希望です」
希望者の名前は、リサ・アローペクス(8480)と言う政治家の心すら揺さぶる、ブログ界の女王。
独自の取材源と確固たる論調をもち、マスメディアに比肩する影響力を持つ、ネットジャーナリズムの頂点。
彼等、彼女等を敬意を込めて、人々は言う『αブロガー』と。
「……戦争――貴男……」
理性は訴えている、早い復帰を望まれたリサに、提供するべきである、と。
だが、感情は灰色の煙が燻ぶり、素直に理性の答えに従ってはくれない――そんな女に。
――コクリ
刹那の嫉妬を、理性で押しこむとあやこは了承した、とばかりにコクリと頷く。
言葉を発してしまえば、決意が揺らぎそうで出来なかった。
医師の瞳に憐憫の色が混じったように見えた、だが、それは気のせいだろう……気のせいで無いと、掴みかかってしまいそうだ。
「では、失礼して」
医師の言葉に、夫に縋りついていたあやこは立ちあがると、強く拳を握って耐える。
カラカラとベッドは音を立て、彼女の夫を乗せたまま、病室を出て行った。
リサが目覚めた時、隣にいる筈の相手がいない事に、ふ、と寂しさを覚える。
光を失い、放置せざる得なかったブログも気になるが、今は愛する人の顔を見、その温もりに触れたかった。
「あやこ――」
唇を付いて出た言葉、行ってやらないといけない、彼女を、支えてやらないといけない――否。
自分が、そうしたかった。
休息が必要だと告げる医師へ、問いかけた言葉は『藤田・あやこ』と言う女性について、会いたいと。
暫くは難しい顔をしていた医師だったが、やがて此れは移植された事による『奇跡』と認めざる得なかった。
――ならば、特殊なケースとして『特例』を認める理由になる。
医師は頷き、そして二人は巡り合った。
まだ、霞がかった意識の中、指先を伸ばす――拭った涙はどんな宝石よりも美しく、そして温かな喜びの涙だ。
それは、夫婦として寄りそうと決めた日から、何度も見る事はなかった、気高い彼女の涙。
「あやこ――」
「ええ」
手を握り、温もりを感じる……再び結びつけられた奇跡。
「結婚しよう、あやこ、あなたとずっと、寄りそうと決めた――私は、リサだが」
「構わないから……あなたがいてくれるなら『リサ』も『貴男』も此れから共に」
目指す場所はニューヨーク、戸籍上はリサもあやこも、女性である。
――同性婚を認めない日本では、二人が戸籍上結ばれる事は無い。
リサと言う『女性』と、あやこの夫としての記憶である『男性』と、そしてあやこと言う『女性』
この奇妙な三角関係は、ニューヨークでの結婚と言う形で収束した。
二人とも、共にいる事を望んだのだ――そして、羽田空港ロビー。
あやこはブティックモスカジ、そして『かもめ水産』の仕事が、リサはαブロガーとしての仕事が。
やっと会えた二人はどちらからともなく駆け足になり、左薬指に誓いのリングを煌かせて抱きしめ合う。
好奇の視線で人々は見るが、そんなものは気にならない。
「会いたかった――」
だが、あやこの義理の娘、彼女の育児の問題が二人を悩ませる……大切だからこそ、受け入れてほしい。
そんな思いを胸に、空港外れの格納庫へと足を向ける。
半裸の天使は、軍艦を見上げる――強大な翼をもつ姿を天使と呼ばずして、何と形容しようか。
「彼女……殺気立ってます。余り刺激なさらな……」
「うっさいわね!」
整備士に怒鳴り散らし、ジト目で見つめるその少女は幼く見えた――それすら微笑ましいと、あやこは微笑み、チラリ。
リサの方へ視線を向ける。
「ダ〜リンあの子を叱って」
「判った……めっ!」
リサが叱った途端、ポロリと零れ落ちたのは、喜びの涙か……長い耳を引きずり、娘を引き摺り立ち去るリサ。
その背に、小さく手を振って……あやこは離れてしまったぬくもりに、寂しさを抱くのだった。
少女服売り場――あられもない姿の娘に、制服を着せるリサ。
「まじパパなの?」
まだ、疑いの眼差しを向ける少女は、繊細な心ゆえの防衛本能だろう
「現在私はリサという女でありパパじゃない。が、想いの問題だ。君は私の愛娘だ」
「意志?」
「君は戦艦だろ」
此れで大丈夫、制服におかしな部分が無い事を確認し、リサは微笑んだ。
その笑みは力強く、女性でありながら男性的な凛々しさも見えるのだった。
一方、場所は移り変わり、かもめ水産。
紅茶の香りが鼻孔をくすぐる――今日も店は、様々な女性達が訪れていた。
「あやこさんも大変ねぇ」
ありがとう、スラリと長い脚を組んだ女性がそれで、と馴初めを問いかける。
「始めはね、嘘だと思ったんだけれど、涙を――拭ってくれて。名前を呼んでくれて」
頬を赤らめながら、その指先の、声の、優しさを語るあやこ……カラン、来訪を告げるドアのベル。
真っ直ぐに歩を進めた、長身の女性――リサ。
「全て、思い出した。触れた時、あなたを守りたいと思った。その思いは一層強くなって――あなたが不老不死なら、私は何度でも転生して寄りそい、口説いてみせる」
あやこの手を握り、微笑み、その視線が重なり合う。
「きゃ〜妬いちゃう」
「ご両人☆」
周囲からは、羨望と、そして祝いの言葉が尽きなかった。
悠々と流れる隅田川、観光船に混じり軍艦が遡上している。
それを不可思議に思う者は居らず、リサとあやこ、そして彼女達の娘。
――そして、まだまだ惚気足りないでしょう、とついて来た彼女達の友人が乗り込んでいた。
「行く春や 大和を想ふ 恋心 あにまほろばの 風の吹くらん ――あやこ」
晩春の瑞々しい香りが、3人の頬を撫でていく……遅咲きの桜が、風に散っていく。
望郷の意を込めた、あやこの唇から洩れた詩歌にリサがほう、とため息を吐く――美しい詩だ。
「冠辞に挨拶、切字、季節全部込めるか!流石妻だ」
『行く春や』は、日本史上一の美男、在原業平が好んだ季語、過ぎていく春を惜しみながら、しかし全てを愛する心が込められている。
それは、この世の全てを愛するあやこにも、通じるものがあった。
リサに続いて、口ぐちにあやこの詩歌を褒める、他のエルフ達。
「彼女の詩歌は魔訶恐ろしい」
「正に超弩級」
「彼女、気鋭の戦闘純文学者でしょう?」
「BARD職だ。詩歌で敵を殺める」
「ダ〜リンはブログで世界を動かすでしょ」
リサの腕を取って、あやこが囁いた――彼女の髪に、リサが頬を寄せる。
彼女達の娘が、目を見開いて呟いた。
「おか〜さん何気に凄い……パパも」
「お前は戦艦だ。羽田に格納庫も買ったしな。一家で世界を護るぞ」
「想う恋心か…あたし甲板にヒーター入れるね。料理冷えるし」
夜の隅田川を、滑っていく軍艦はやがてヒラリ、浮上し空へと舞い上がった。
エルフのサバト……リサは既に、話好きのエルフ達の間で広まっていた。
「あやこってば、羨ましい――!」
「正に、運命よね」
いいわぁ、と声を上げる友人達にあやこも、笑みを浮かべる。
思う恋心――いつか、そんな呟きが聞こえて、リサは娘の頭を撫でた。
「私の愛娘」
「わかってる……」
星空の下、夜景を目下に軍艦は空をゆっくりと走る。
リサと、あやこと、そして彼女達の娘は3人でこの、美しい東京と言う都市を、そしてお互いを思う心で満ち足りていた。
何時までも、変わらない――愛を。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7061 / 藤田・あやこ / 女性 / 24 / ブティックモスカジ創業者会長、女性投資家】
【8480 / リサ・アローペクス / 女性 / 22 / アルファブロガー見習い】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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藤田・あやこ様、リサ・アローペクス様。
この度は、発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。
素敵な場面を、書かせて頂きありがとうございました。
あやこ様のチャーミングな所や、リサ様の凛々しさなどが描けていればと思います。
お二人の縁が、決して途切れないよう巡り続けて、在るように。
そう、お祈りさせていただきます。
では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。
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