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<東京怪談ノベル(シングル)>


明日へと続く今を
 海原・みなも(うなばら・みなも)は森林地帯を駆けていた。
 彼女の肉体は今は少女の姿はしていない。真っ黒な、美しい毛並みを持つ1匹の犬の姿だ。
 木々を避け、下生えを掻き分け、彼女は進み続ける。
 そして、ある建物を見つけた時点で、ぴたりと足を止めた。
「……もういいよ」
 小さく呟くと黒犬は次第に少女の姿を取り戻していく。
 目前に佇む建物は、うち捨てられたかのようだった。
 天井は部分的に崩れている様子な上、植物にかなり侵食されている。あちこちに木々の根が張り、草木が芽吹いている。
 ここに来るために、彼女はブラックドッグの協力を借りざるを得なかった。
 というのも、本来あったはずの道はほぼ消え、なんとか解る部分も獣道となっていたからだ。
 いくらみなもでもこの道を普通に歩くのは時間がかかる。
 そこでブラックドッグへと変異して進む事にしたのだ。
 山道も慣れて居たのだろう。想像以上の速さでこの場につく事ができた。
 心の中でブラックドッグに礼を言いつつ、みなもは少しだけ考える。
 ブラックドッグについては少々不安な点が存在していた。
 彼女のうちにいるブラックドッグは、協力してくれる為、今は共存する事が出来ている。
 それは、あくまで「今は」という話である事。
 実体を持たないブラックドッグは、もともと少々危うい存在だ。霊的な力の濃い場所や、他者に寄生しなければ存在を保てない程に。
 今はみなもの深層に一時的に住まわせてはいるものの……ヘタをすればみなも自身の意志には反して、彼女の深層意識はブラックドッグを消化してしまうだろう。
(「なんとか、なんとかしなきゃ……」)
 ブラックドッグを上手く操らなければという強迫観念じみた思いもある。
 ここに来るまでに、変身できる事はわかった。そして、周囲の気配もある程度分かる。
 他に一体何が出来るのか――。
 そこまで考え込んだ所で、ポケットの中で何かがかさりと動いた。
 疑問に思いつつ手を入れると、そこには小さく折りたたまれた一筆箋が。
『何か困ったら連絡を』
 妙に丁寧な文字は仁科のものだろう。彼のものと思しき携帯番号も書かれている。
『あまり気負いすぎず、答えを確かめたら帰っておいで』
 少しだけ落ち着きを取り戻したみなもは一筆箋を再びポケットへとしまう。
 真実を手にし、そして問題を解決する為にもみなもは決意を決めると、古びた建物へと近づいて行く――。

 そっと建物に近づくも、どうも人の気配が感じられない。というより、建物はかなり老朽化しており、人が存在できる状況ではない。
「……ここが『森』であっているハズなんだけれど……」
 みなもが首を傾げると、彼女の中のブラックドッグも少し困ったようにきゅぅん、と鳴く。
 彼女の記憶によれば、この場所こそがブラックドッグ達の作り出された「森」だった。
 彼女だけではない。彼女の内なるブラックドッグもこの場所だと懸命に主張している。
 建物は、扉も半ば開きかけたまま放置されていた。
 入り口付近にすら植物が蔓延り、大人であれば入りこむのも大変な状況だ。
 しかしみなもは小柄さを活かし、蔓を避け、芽を踏まないようにしながら室内へと入り込む。
 彼女の侵入により薄暗い室内に、僅かながら外の日が入り、内部の光景を写し出す。
 長い事放置されているのか、置き去りにされた机。散らばった沢山の紙片。そして上に乗った沢山の機械、機械、機械……。
 みなもが初めて見る恐ろしく大型の、古めかしいパソコンのようなもの、ワープロと呼ばれていたと知識でだけは知っている機械、そして年代物のタイプライターまである。
 教科書でだけ見たことがある、活版印刷の機械と思われるモノや、近代的な印刷機まで。
 どれもがかなり使い込まれた形跡があり、付喪神となっていないのが不思議なくらいだ。
 一体誰がこれらを使っていたのか?
 そして、これらを使っていた存在は一体どこへ行ったのか?
 そこまでみなもが考えを巡らせた瞬間、何かがかたりと小さな音を立てた。
 はっとしてみなもは音の方を見やる。一瞬だけ白い何かが視界に入ったが、即座にそれは視線の外へ。そのままぱたぱたと音を立て何かは駆けていく。
「待って!」
 みなもの声にも全く止まる様子もなく、ぱたぱたという音は遠ざかる。
 ならばとみなもも追いかける。壊れた椅子を乗り越え、その向こうの倒れかけた大木の下をくぐって。
 小柄なみなもでさえ狭苦しいその場所を平然と駆けていけるというのは、一体何ものなのだろうか?
 相手の正体を想像しつつ薄暗い通路を抜けると、途端に視界が開けた。
 燦々と温かな日の光が降り注ぎ、目前にはエメラルドグリーンと薄紫の2色がゆらゆらと揺れる。
 そして、漂うフローラルで優しい香り。
 ――ラベンダーの咲く庭。
 みなもがあの時変異させた自意識の水底と良く似た光景が広がっていたのだ。
 今思えばきっとあれは、ラベンダーの香りから想起されたブラックドッグの『森』の記憶を現出させたものだったのだろう。
 さく、と一歩踏み出しみなもは奇妙な事に気づく。
 先ほどの建物の中は荒れ果てていたにも関わらず、このラベンダー園は妙に手入れがされている。
 放置されていたなら雑草が蔓延っていてもおかしくない。にもかかわらず、雑草はほぼ見あたらず、ラベンダー達は整えられ、薄紫の花をゆらゆらと揺らし、その芳香を漂わせているのだ。
(「ここには、少なくとも誰かがいる……」)
 みなもはラベンダーの咲く庭を見渡す。
 一面のラベンダー色の中、ぽつんと白のテーブルがあり、その上にはこの光景には似つかわぬ新しいノートパソコンもある。
 一体誰がと思った瞬間、みなもの心中のブラックドッグも警戒を促すように唸りだした。
 ふと、気配を感じみなもははじかれたように後方をみやる。
 そこには1人の少女が居た。
 みなもより恐らく歳は下。ラベンダー色の髪を、同色の目をした、ロリータ服の少女だ。
「あら、みつかっちゃったわね。脅かそうと思ったのに」
 ぱちくりと目を見開き少女が告げる。
 何ものだろうと思う合間にも少女はずいとみなもに近寄った。
「な、何ですか……?」
「おねえさん、不思議なニオイがするのね」
「……え?」
 言われてみなもは少し慌てた。年頃の少女らしく「汗でもかいたかな」などと自分の腕のあたりを嗅いでみる。そんなみなもに少女は「そういうんじゃないわ」と笑う。
「水妖なのに、獣のニオイがする」
「……あなたは……!」
 少女の言葉にみなもの表情に緊張が走る。
 何故なら、みなもはここに来てからは人の姿しかとっていない。見た目だけなら彼女はただの人間と相違ないからだ。
 にもかかわらず、少女はみなもを人とは異なる存在だと気づいたわけだ。
 彼女の言う獣のニオイとは、恐らく、ブラックドッグの事だろう。
「獣だけじゃない。他の色んなイキモノも混ざったニオイね」
 わたし、そういうのはちょっとだけ鋭いのよ、と少女は笑う。
 そして彼女はみなもにとって衝撃的な事実をあかしはじめた。
「だから、こういう事が出来たわけなの」
 彼女はノートパソコンの電源を入れる。
 モニタの中、立ち上げられた文章管理ソフトには長い長い文章が綴られていた。
 じっと読み込むことなくとも、みなもには解る。
 それが、ブラックドッグに関わる物語だと。
「わたしは昔は沢山の人に囲まれて、ここで文章を書いていたわ。でも長いときが経って、みんな居なくなってしまったの」
 少女は1人語り続ける。
「ひとりっきりは寂しくて、わたしはみんなが戻ってくるように、ってみんながやっていた事をマネするようになったわ」
「それって、もしかして……?」
 みなもの口から言葉が零れる。少女はそれにこくりと頷いて見せた。
「そう、ブラックドッグのお話を書いて、本にして、価値ある希少本に見せかけて古書店や好事家にまわるようにしたの」
 お姉さんには解らないかも知れないけれど、この場所にあった機材を使うと、本当に古いモノそっくりに作れるのよ、と彼女は笑う。
「……でも、そうだとしたらなんであの機械は今は埃を被っているの……?」
 疑問に対しての答えは簡単なモノだった。
「だって今はコレがあるじゃない?」
 彼女はニコリと笑いノートパソコンを指す。
「態々冊子にしなくても、お話を書いて、インターネット上に公開すれば、それだけで黒犬たちは増えていくわ。とはいえ『その人専用』に書き下ろさないといけないのが大変だけれど……」
 少女の話が本当であれば、誰かがどこかでブラックドッグに書き換えられている事になる。そして自身のものではない飢餓感に苛まれ、誰かを襲っているのかもしれない。
 みなもはきゅっと拳を握りしめる。
「……一人っきりが寂しいのは解るけれど、でもそんなのって間違ってます!」
 他者を犠牲にし寂しさを埋めるというのは、正しい行為とは思えない。
 少女はそんなみなもへと背を向け唐突に語りはじめた。
「……ねえ、おねえさん。何十年も、何百年も1人でこの場に居続ける気持ちって、わかる?」
 それはあまりに唐突すぎる語りだった。
「わたしは、最初はただのペンだったの。長い間、ここで文章を書いていた『人』に使われ続けて、大事に大事にされて……それで今の姿を得たのよ」
 あっけに取られるみなもを余所に彼女はさらに続ける。
「その『人』はある日動かなくなって……ここに居た人達は、いろいろともめたみたいね。その後はひとり減り、ふたり減り……最後にはわたし1人になってしまったの」
 退屈した彼女は研究所にあった様々な資料を読みふけり……結果としてブラックドッグを作り出す技術を身につけた。
 最初は仲間ほしさにブラックドッグ達を「書いてみた」だけだったわ、と彼女は語る。
 作り出されたブラックドッグは一時的には彼女の寂しさを埋めた。
 ――だが、あくまで一時的には、でしかなかったのだ。
「暫くして、ブラックドッグ達は苦しんで、姿が薄れて、そのまま消えてしまったの」
 平然と語られる内容はあまりにも壮絶だった。己のうちにブラックドッグを住まわせているみなもにしてみれば、耳を塞ぎたくなる程に辛い話だ。
 それでも、みなもは堪えて話を聞き続ける。少女の身に何が起こっていたのかを。

 たくさんたくさん作り出したブラックドッグは全て消滅してしまった。
 どうしたらブラックドッグ達を残せるか、彼女は更に資料を読み、調べ、そして知った。
 ――本を、文章を通じてブラックドッグを他者の深層へと送り込み、ブラックドッグに実体を持たせるという手段を。
 最初のうちこそは、様々な機械を使い本を作り、ブラックドッグを作る技術を応用し作り出した人造人間へと持たせ、売りに出していたが、最近ではそれすら必要なくなった。
 そして彼女は出来上がったブラックドッグがこの場に帰ってくるのを待ち続けたのだろう。
「……でも、それって目的と手段が入れ替わっていませんか?」
 みなもは冷静に指摘する。
 孤独を埋める為にブラックドッグを作り出していたはずが、話を聞く限りでは途中から「完全なブラックドッグ」を作る事に腐心している印象がある。
「そうかしら? だって完全なブラックドッグが出来て、わたしの所に戻ってきてくれたら、もうわたしは1人じゃないのよ」
 長い長い孤独に比べたら、まだ待てる、という事か。
 そして、みなもはもう一つの点に気がついた。
「私の本を――私の所にやってきたブラックドッグの本を書いたのは、あなたではありませんね?」
 みなもの言葉に少女が一瞬固まった。
「おねえさんがブラックドッグの本を……?」
 意外なモノを見た、というような反応に確信を持ち、みなもは更に続ける。
「あたしが持った本はすごく古い本でした。多分、あなたを使っていた『人』が書いたんだと思います」
「それが――どうしたの?」
「あの本も、確かにあたしをここに来させるべく書かれていました。だけれど、極力あたしを『導こう』としていました」
 意味が解らない、というように少女はただみなもを見上げる。
「本の主は、あたしにここに来て欲しかったんだと思います。恐らく1人になってしまっているあなたと会わせる為に」
 それは、みなもでなければ解らなかったかもしれない。
 みなもの内では、本の記憶はブラックドッグの存在とともにある。
 ブラックドッグと協力出来る今なら、本の持っていた意味が全て分かる。
 最後まで読み通せばみなもにブラックドッグを吸収させてでも、この場に来させようとした事が解る。
 とはいえみなもはその予想の上を行き、ブラックドッグとの協力体制を作る事に成功したわけだが。
 恐らく、これを書いた人物は少女が一人きりになってしまう事を予測していたのだろう。
 その為なんらかの理由で自身の存在が消える前に、この本を書いてみなもに救いを求めた、というわけだ。
 竜に囚われた姫君がそうであったように、表面上はブラックドッグ化の術式のみを織り込んだように見せかけていたのだ。
 偶然必要とされた資質を持った人間がみなもと類似していただけなのか、それともみなもでなければ不可能だと思っていたのか。そこまでは解らない。
 それでも本の主は求めていた――少女を1人にしないで欲しい、と。
「どういう……事?」
 少女は動揺を隠しきれない。そこにみなもが一歩近づく。
 怯えたように後退する彼女を余所に、みなもは少女が書いていた文章へと目を走らせる。(「ああ……やっぱり」)
 少女の書いた文は極力技巧を凝らしてに書いてはいるものの、みなもが読んだ本には敵わない。
 それだけではない。彼女の文章には「訴えかけるモノ」が無いのだ。
 更に一歩、みなもは少女に近寄る。
「な、なによ……」
 怯える少女へとみなもはすっと手を差し出した。
「……一緒にここから出ませんか?」
「……え?」
「ここから出て人里に出てみれば、少しは寂しさも紛らわせると思います」
 少女はこの場で何も食べる事なく生存していた。ならば、少なくとも食べるには困らないだろう。他の部分も仁科と相談しつつなんとかする事が出来れば、クリアできるハズだ。
「私では友達になれるか解りませんが、それでも、仁科さんとかもいますし……」
 みなもがおずおずと告げた事で少女にも理解が訪れたのだろう。
「もう、ここに居続けなくていいの?」
「大丈夫です。だって、あなたを使ってくれていた人は、あなたがここに縛られ続ける事は、望んでいませんから」
 もう一度みなもが「一緒に出ましょう」と言うと、少女はみなもの手を握り替えしこくりと頷いて見せた。その目には僅かだが涙が浮かんでいるようにみえた。

 少女が落ち着くのを待ち、みなもはブラックドッグの事を思い出す。
「ところで、外に行く前に一つ聞きたい事があるんです……ブラックドッグを上手く分離させる方法ってありませんか?」
 事情を説明すると少女も暫し悩んだ様子。
「それなら、これを使って書けばいいわ」
「これは……?」
 指されたノートパソコンに立ち上げられたソフトは一見普通のテキストエディタだ。
 少女曰く「ブラックドッグを作る為に使っていた術式を、簡単にかきあげ、文章に編み込むことができるソフト」なのだそうだ。
「これをつかえば、ブラックドッグをおねえさんの領域から出す事が出来るわ。ただし、おねえさんが書かなきゃ意味がないけれど……」
 少女に言われ、みなもはノートパソコンへと向かい合う。
 キーボードを前に、彼女は躊躇いつつも文字を打ち込みはじめる。
 そして――。

 ――暫くして。
 みなもの前には1匹の黒い犬の姿があった。
 深層から引き上げられたブラックドッグはみなもを見上げじっと様子を見守っている。
「あたしとこの子はこのまま帰るけれど……あなたはどうするの?」
 みなもの問いかけにブラックドッグは小さくきゅうん、と鳴き、鼻をぴすぴすと鳴らす。
 少し寂しそうな様子にどうしたものかと悩んだものの、言いたい事は解った。
 このラベンダーの咲く庭を守りたい、とブラックドッグは主張しているのだ。
 まかりなりにもこの場所は彼らの生まれ故郷だった、という事だろう。
 周囲は森。人目につく事なくゆっくりと暮らせるはず。
 それでも、ブラックドッグも寂しいと思ったのだ。
「大丈夫です。必ず他のみんなも、ヒトと、ブラックドッグときちんとわけて返すから。それに――」
 みなもはブラックドッグの頭を撫でる。
「――かならず、また会いにくるから」
 みなもの手を、ブラッグドッグが尻尾を振りつつぺろぺろと舐める。いつでも遊びに来て欲しい、とでも言いたげに。
 だがそれだけではなかった。
「きゅぅん……」
 小さくブラックドッグが鳴いた瞬間、みなもの頭の中に声が響いた。
『こまったら、よんで。いつでもたすけにいくから』と。
 みなもが深層にブラックドッグを住まわせている間その力を借りられたように、ブラックドッグもまた、みなもから言葉を学んだのだろう。
 名残惜しい気持ちになりつつも、日が落ちる前には発たなければならない。
 ブラックドッグと別れを告げたみなもは少女の手を握る。
「じゃあ、行きましょう」
「ええ」
 少女も答え、歩みをはじめる。
 ここから森林地帯を抜けるまではかなりの距離だ。ブラックドッグの力を借りられない以上、踏破は厳しい。
 それでも、ここを乗り切れば、今までよりは少し明るい未来が待っているはずだ。
 少女にとっても、みなもにとっても。
 ふと、みなもは一つ訊ねていなかった事を思い出す。
「そういえば、あなたの名前、きいてませんでしたよね?」
 みなもの言葉に少女は目をぱちくり。
「そういえばそうだったわね。おねえさんの名前は?」
「あたしは海原みなもといいます」
「みなもおねえさん……良い名前ね」
「それで、あなたは?」
「私の名前はね――」
 話題は尽きることなく続いていく。
 ゆっくりと傾いていく太陽に照らされつつ、みなもはちょっとだけ思う。
 きっとこのちょっとした「今」の時間が、明日という物語を紡いでいくのだろう、と。