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<東京怪談ノベル(シングル)>


満月をお供に 1

 しなやかな体躯を生かし、闇の中を音もなく駆け抜けて行くのは長い黒髪を靡かせた水嶋琴美だった。
 月が静かに闇を照らし出す。その闇に溶け込むように気配を消し、琴美は目的地である製薬会社へと向かっていた。ただし琴美に与えられたのは極秘の殲滅指令だ。向かう先がただの製薬会社であるはずがない。表向きは大規模な製薬会社として名を馳せているが、実際は非人道的な人体実験を繰り返している闇の組織だった。今までは上手くごまかしてきたようだが、今回はそうはいかない。琴美に指令がきたということは、すでに今まであった組織の後ろだてもなくなり、葬られる結末が望まれているということだ。琴美に失敗はない。確実に消されるだろう。
「ここですわね」
 目的施設の外壁の脇に立つ高い木の枝から見下ろしながら琴美は呟く。
 風が琴美の髪をさらい緩やかに空へと舞い踊らせていった。かつり、と木の枝の上で音が鳴る。膝までの編み上げのロングブーツが音を鳴らしたのだ。そのロングブーツの上にあるのはミニのプリーツスカート。しかしふわりと揺れるスカートの下からはピッタリとしたスパッツが覗いており、それが太もものしなやかさを強調しいらぬ妄想をかきたてるようだった。上半身もまた特徴的な服装で、豊満な肉体を強調するように密着した黒のインナーの上に着物の袖の部分を短くしたものを帯できっちりと締め纏っている。現代版くのいちといえばわかりやすいか。袖や裾が短くなっているのは戦闘仕様だろう。
「まあまあ、随分と緩い警備ですこと」
 隠れる必要など無かったと琴美は枝から飛び降りると、隠れることなく堂々と正門の前に立った。守衛は突然降ってきた琴美に慌てて飛び出してくるが、すぐに回り込んだ琴美に首の付け根を攻撃され昏倒した。
 呆れたようにあっさりと崩れ落ちた守衛を眺め、すぐに興味が無くなったのか琴美は歩き出す。隠れる気は毛頭無いため、ブーツのヒールを鳴らしながら進んでいくが、琴美の行く手を阻む者は居ない。外の警備は守衛と防犯カメラだけなのだろう。
 琴美が満月を背後に従えながら入口へ辿り着いた頃、ようやく異変に気付いた警備の者たちが駆けてきた。しかし琴美は走るでもなくゆっくりと進んでいく。
「あなたたちでは役不足ですわ」
「なにを……!」
 振りかぶる男の拳を受け流した琴美は振り向きざまに回し蹴りをお見舞いする。プリーツスカートが揺れスパッツが露わになるが、それを見ることなく顎に強烈な蹴りを受けた男は地に沈んだ。華麗に着地した琴美は髪をかき上げ艶やかな笑みを浮かべると群がるように琴美を取り囲んだ男たちを挑発する。
「言ったとおりでしたでしょう?」
 怒りに震えた男たちは一斉に琴美へと襲いかかるが、それを迎え撃つ琴美は余裕の表情でその場で跳躍し宙を舞う。豊満な胸が揺れるのがスローモーションのように男たちの目には映る。しかしそれに目を奪われていた愚かな男たちを襲ったのは、琴美が放ったクナイだった。中心より外にいた数名の者がその餌食となり、真紅の血で地を染めた。投げられたクナイは急所である部分にすべて命中しており、無理な体勢から投げられたというのにそれはまるで神業のようだった。
「一斉に来るだなんて、あなたたちお行儀が悪いですわ」
 くるりと一回転し一番端にいた男の頭を踏みつけ、そのまま飛び降り際に強烈な一撃を食らわせる。
「ごめんあそばせ」
 男が崩れるのと同時に琴美は地に降り立つと身をかがめ、背後で警棒を振り下ろした男に足払いをかけ転倒させる。すかさず鳩尾に肘を思い切り突き立てた。くぐもったうめき声と共に男は気絶する。
 どうやらその男は警備の要だった人物のようで、一気に群がっていた者たちの様子が慌ただしくなる。敵わないと知り逃げようとする者、がむしゃらに向かってくる者様々だ。
「見苦しいですわよ」
「くるなっ……!」
 そう言われて誰が止めるのですか、と琴美は奥へと進みながら後ずさる者たちを一人ずつ床に沈めていった。
 程なくしてホールには黒い人の山が出来る。しかしそれは下っ端中の下っ端たちの山だった。琴美が目指しているのは製薬会社に雇われた人体実験用の誘拐を行う傭兵部隊だ。警備員たちなど傭兵部隊に比べれば天と地の差がある。
 肩慣らしにもなりませんでしたわ、と残念そうに呟いた琴美は先ほどから感じていた視線を射貫くように見返す。琴美が強い視線を投げた先には目当ての傭兵たちが立っていた。体格も風格も先ほどとは比べものにならない。
「もちろん、お相手くださいますわね?」
 乱れた衣服を正しながら琴美が笑えば、隊長と思われる者が部下にくいっと顎で琴美を指すと、行ってこい、と指示を出す。頷いた者たちは、ホールを囲むようにしてあった二階のフロアから臆することなく飛び降りた。すでに琴美に倒された人々の山を踏みつけ、傭兵たちは琴美へと向かう。こちらも琴美と同様、焦りも動揺もない。
「何しに来た」
「あら、それはそちらがご存じでしょう?」
 琴美が一歩足を踏み出せば、かつり、とヒールが鳴る。それすらも男たちを挑発する要素となる。戦うのにヒールの高いブーツなど邪魔なだけだ。しかし敢えてそれを履くのは琴美の絶大なる自信と余裕があるからだ。ブーツから出る艶めかしい肢体を見せびらかすかのように琴美は男たちへ近づいていく。
 対峙した瞬間、どちらからともなく戦闘が始まった。しかし男たちよりも琴美の俊敏さと瞬発力が上だった。力では敵わないかもしれないが、それは攻撃に当たればの話だ。琴美はすべての攻撃を柳に攻撃を加えるのと同じように優雅に躱していく。施設内の照明は付けられておらず、天窓から入る月の光が淡く琴美の体を照らし出し、なめらかな肌を暗闇に浮かび上がらせていた。
 確実に一人ずつ潰しにかかる琴美だったが、その行動には無駄がない。一人目を仕留めるとすぐに次の人物の状態を把握し先手を打つ。その早さについて行ける者はいない。次々に襲いかかる男たちの速度は琴美にとっては遅く、目を瞑っていても簡単に避けれるのではないかと感じてしまう程だ。しかし気を抜いて傷を負うのは以ての外だ。琴美はすべての気配に気を配り、最後の一人の顎を蹴り上げ、二打目で首の骨を折った。そして仰向けに飛んでいく腹を踏み台に二階のフロアへと飛び上がる。
「ほぅ……小娘やるな」
 上から高みの見物をしていた傭兵部隊長は口端をあげ琴美の全身を舐めるように眺め呟いた。琴美は怪我一つ負っていなかったが、さすがに服がはだけてしまうのはどうしようもない。帯も多少緩み、胸元が大きく開いており、そこから見えるフィットしたインナーが体のラインを殊更強調している。それが琴美を見つめる部隊長の視線に晒されていた。しかし琴美は気にせず軽く身なりを整え対峙する。
「小娘ではございませんわ。……でも名乗るほどの者でもございませんわね」
 教えてもどうせすぐに必要なくなりますし、と琴美は呟く。琴美の任務はこの傭兵部隊の殲滅だ。
「たいした自信だ。どうだうちの部隊に来ないか?」
「ご遠慮しますわ。誘拐していたぶるのなんて趣味じゃありませんから」
 月の光の中で琴美が浮かべた笑みは妖艶に輝く。それを見た部隊長は誘っても無駄だと諦め、深い溜息を吐いた。
「ならばここで排除するまでだ」
「奇遇ですこと。これまでの悪行に死んで貰いますわ」
 胸ポケットから黄緑色に光る液体を取り出した部隊長は琴美の投げたクナイを躱しそれを口に運ぶ。ごくり、と喉が鳴り部隊長が液体を飲み干すとすぐに異変が起きた。元から筋肉隆々の体躯をしていたが、その筋肉が更に硬度を増したように膨れあがった。即効性の薬品だったのだろう。しかし琴美は恐れる様子も見せず、部隊長から間合いを取った。
 攻撃に当たらなければダメージはない。これは琴美の信条でもある。
 急激な体の変化に耐えられないのか、周りに当たり散らすように腕を振るう部隊長。当たった拳は壁を粉々に粉砕し、瓦礫の山を作り出す。いくつもの破片が一階のホールへと落ちていった。
「我慢できないのでしたらお止めになればよろしいのに」
 琴美は無様にも見える部隊長の姿に嘆息し、施設を破壊し尽くしてしまう前に蹴りを付けようと地を蹴った。
 低姿勢で部隊長の正面へと駆けていく琴美。それに気付いた部隊長は、にたり、と笑みを浮かべた。大きく振りかぶり琴美を捕まえようとする。しかし琴美はそのまま床をスライディングし、部隊長の股下をくぐり抜け背後に回った瞬間、手をつき伸び上がるように体制を変える。そしてそのまま部隊長の背へクナイを深く突き刺した。その反動を利用し、琴美は部隊長から離れる。今まで琴美が居た場所を振り返った部隊長の腕が斬った。くるり、と一回転し地に降りた琴美は追撃の手を休めずにクナイを放った。こめかみ、目、額、心臓と狙って百発百中である。しかし、筋肉で覆われた体には軽く刺さる程度にしかならなかったようだ。
 部隊長は大量の血を流しながらも倒れる様子は見られない。
「こんなものでは死ねぬな」
「存じ上げておりますわ」
 琴美は一層艶やかな笑みを浮かべると跳躍した。それに併せて視線をあげる部隊長。琴美の背後には硝子張りの天窓から見える月がある。一瞬そちらに部隊長の視線が移った事に琴美は気付き、その隙を狙い突き刺さったままの額のクナイに力の限り蹴りを入れる。それは重い一撃だった。
「くはっ…」
 全身が薬の作用で筋肉に覆われたとはいえ、額にはそれほどの増強は見られなかった。琴美が狙っていたのはクナイで仕留める事ではなく、さらなる攻撃への足場だった。
 額から大量の血が噴き出すが、距離を取った琴美には一滴の血もかかってはいない。
 琴美は圧倒的な力で部隊長の命を消し去った。部隊長にとっては呆気ない終わり。琴美にとっては余裕の勝利だった。
 琴美は満足げに髪をかき上げ、長い黒髪を宙に舞わせながら踵を鳴らし、最後の仕上げをするためにその場を後にするのだった。