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<東京怪談ノベル(シングル)>


●かぐやの姫(壱)

 墨を流したような艶の無い空に、淡い色の月が浮かんでいた。
 昼間の熱気を既に手放し、夜の風は些か膚に冷たく感じる。
 墨色の中に存在する、艶やかな黒。
 長い髪を風に遊ばせ、一人の女は道路脇に植えられている常緑樹の枝から、目的の建物を見降ろした。
 秘めたるは黒豹のような、艶やかな肉食獣……獰猛にして、優雅な狩人だ。
 顔にかかる黒髪を耳にかけ、チロリと赤い唇を可愛らしい舌で舐めた水嶋・琴美(8036)は、先刻、下った殲滅指令を思い起こす。



 大規模な製薬会社――表向きは良心的であり、確実に効能のある製品を生み出す会社として有名だ――の裏の顔。
 非人道的な、人体実験を繰り返す秘密研究所……恩恵の裏には、多数の犠牲があると言う事か。
 道理であるが、それを許しはしないのが、世情と言うものである。
 それを付きとめたのは、彼女の所属する、自衛隊『特務統合機動課』と呼ばれる機関。
 目には目を、歯には歯を、圧倒的な力には圧倒的な力を。
 暗殺、情報収集等の特別任務を目的にした特殊部隊。
 東京に蔓延る、魑魅魍魎の類の殲滅も重要な任務としており、この任務に琴美が抜擢された。
 その数は、たった彼女一人。

「お前一人で、いけるな?」
「勿論ですわ、足手まといは必要なくってよ」

 了解、と言うように頷いた上司は、直ぐに動いて欲しいと淡々と告げた。
 部下の優秀さを十分に理解しており、琴美のスタンスを理解している上司は琴美としても、話が分かる人間だ。

「(暗殺なのに、ぞろぞろと数を引き連れても無駄ですし)」

 正面からの攻撃ならまだしも、わざわざ隠密戦に数を揃える必要など無い。
 バレる可能性が上がるだけで、メリットなど存在しない。
 一瞬の『虚』を付き、一瞬で『葬る』だけの技量があれば、一人で事足りるのだ。

「(わたくしに指令が下ったと言う事は、其れなりの危険があると言う事かしら?)」

 勿論、任務達成が是か否か、其れを問われれば存在するのは『是』のみ。
 お荷物を抱えていられるほど、特務統合機動課は甘い存在ではない。

「月が隠れたら、参りましょうか」

 美しい月だ、と月に見惚れる位の余裕は存在している。
 身体を、心を包むのは心地よい緊張感、過度の緊張は無意味だが、少なすぎる緊張は詰めを甘くする。
 ――月が、雲に隠れた。
 そこには、影は存在してはいなかった。



 ――例えるのなら、夜が落ちてきた。

 2名の警備員を鳩尾の一撃で昏倒させ、寝かせておく。
 情けをかけるのは得策とは言えないが、主要な目的が『人体実験用の誘拐実行部隊』の殲滅である以上、余計な手出しは不要だろう。
 何しろ、経済的にも『裏』が無ければ必要な会社なのだ。
「(暫く、お休みなさいな)」
 鍵を奪うと、入口のドアを開ける、目に飛び込んで来たのは暗闇で鈍く光るレンズ。
 そのレンズの奥では、侵入者の、或いは警備員の動向を見ている人間がいるのだろう。
 編みあげの膝までのロングブーツのヒールで音を立て、冷めた視線を向ける。
「(この程度の監視で、敵襲に備えたなんて……平和な事ですわ)」
 機械に、どれ程の意味があろうか――監視カメラは確かに、なるべく死角が出来ないように配備されていた。
 だが、それがどうしたと言うのだ。
 機械の処理能力を上回る圧倒的な速度で移動し、システムその物を止めてしまえば問題など無い。
 無論、僅かな死角を選択し、その場所を移動するのも一つの手段であるが――どちらにするか、迷う必要はない。
「(前者の方が、宜しいわね。リスクはなるべく少ない方が宜しいもの)」
 一々死角を計算する時間が、隙にならないとも限らない。
 足に力を込めるのではなく、力を加える位置を変える事で加速し、肉食獣のような低い位置から疾走する。
 黒いミニのプリーツスカートと、黒いスパッツが急速な加速に靡く。
 白い太腿に程良く付いた筋肉が躍動し、空間を滑るように動いた――移動を行った彼女は躍動した状態のまま、次は攻撃の態勢に入る。
 無論、前方から気配を感じたからだ、そのまま、現れた不運な警備員の頸椎を叩き折る。
 グローブに守られた白魚の手に感じる衝撃で、即死した事を確認すると彼女は腕を解いた。
 ……警備員の胸ポケットからはみ出たカードキーに視線を映す。
 小物が重要なキーを持っているとは思えないが、こう言う場合は監視システムの破壊もセオリーだろう。
 キーを拾い上げると、帯に挟み、歩を進める。
 彼女が歩く度に、カツカツとヒールの高い音が付いて来た。

 やがて辿り付く『警備室』と書かれた部屋、カードキーを通し、太腿に挟んだクナイを確認する。
 少し逡巡してから、一つ手に取ると、煽情的な膨らみを持ち、少しの動きで乱れてくる胸元の合わせ目を直した。
 ピッタリと身体にフィットしたインナーの黒と、対象的な膚の艶やかさが印象的だ。
 ロックが解除され、ゆっくりとドアを引いた彼女はクナイを投擲すると、一瞬で内部に侵入する。
「クナイ……?」
 不信そうな表情でマジマジと眺める警備員の側頭部を蹴り飛ばし、その内太ももに釘付けになった警備員の頸動脈を掻き切る。
 動く事で血飛沫を避けた琴美は、続いて異常を告げようとした警備員の頭蓋へ攻撃を加えた。
 異常な出来事に、一般人上がりの警備員は、美しい狩人の牙にかかる他ない。
「ごきげんよう、そして、永遠にさようなら」
 唇が紡いだのは、優しくも冷酷な調べ、黒い髪が靡き、豊満な胸が揺れる。
 その合間に除いた、黒いインナーと白い膚。
 しなやかに伸びた四肢は、まるで計算された美術品、黒い戦闘服では抑えきれない色香に、クラリ、警備員は月に住まうかぐやの姫を思い起こした。
 瞬く間に制圧された警備室の、監視カメラを確かめ、内部の状態を把握する……勿論、メモを取るような無駄な真似はしない。
 書くと言う『隙』は、琴美には必要が無いのだ。
「地下に、余分な空間がありますわね」
 赤い唇に、グローブの指先を当てて少し首を傾げ、思考を巡らす。
 慎重過ぎるのはただの、臆病であるが、積極的過ぎるのはただの、猪突だ。
 監視システムの電源をオフにする、暫く電子音が響いていたが、やがて沈黙した。
 物言わぬ屍となった警備員、その手に握られたクナイを回収し、この部屋での役目を終えた事を知覚する。
 得物を無駄にしない、此れも数多の戦いで琴美が身に付けた『知識』であり、活用する『知能』が存在していた。

 カツ、カツ……黒い髪を靡かせ制圧した警備室を後にする。
 警備室で得た内部の情報は、制圧するべき武器庫と、誘拐実働部隊の詰め所――余分な空白は明かす事の出来ない『キナ臭い』出来事に使われているのだ
ろう。
「(研究室も破壊しておきましょうか……いえ、実働部隊を粛清すればいいのですし)」
 詰め所が先ね、と一人呟き階段を下りていく――その唇に微笑みを湛えたまま。
 彼女の通った後には、標的に当たる事の無かった銃弾が、転がっている。

「これまでの悪行に、指導者には死んで貰いますわ」

 女は、まるで近所を散歩するような気軽さで、中へと踏み込むのだった。



(壱〜終了〜)