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なんて殊勝な心掛け。
――――――苦手克服の為に必要なモノは。
飴と鞭。
…両方だろうか?
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シリューナ・リュクテイアは一人、思案する。己の同族にして『可愛い妹』でもあるファルス・ティレイラの魔法の練度について。殊、魔法を教えると言う段になればシリューナはティレイラの師。いつものようにティレイラの事を可愛がるのや呪術を掛けて遊ぶのはあくまで己の趣味、余暇や余興やお楽しみの時の事で。
当然、師匠として、魔法を教える場合は可愛いティレイラにも心を鬼にしてきちんと厳しく教えている。
…ティレイラは火の系統の魔法が得意である。
と言うか、他の系統は満足に扱えない、と言った方が正しいか。他、空間操作もそれなりに使えるレベルにはあるが、それを行うのは師であるシリューナであっても消耗が激しい――扱うと「どうあってもそうなる」モノである以上は伸ばすとか伸ばさないとかそういう問題でもない。これは、使えると言う事実があれば事足りる話。
勿論、ティレイラならば得手であるその『火系の魔法』を伸ばすのも良いだろう。
が。
それが封じられたら手も足も出なくなってひとたまりもない、のも確かで。
だからこそ、他の系統の魔法も初歩の初歩、最低ラインくらいは使えるようになってほしい、と言う師としての願いがある。
…今日は、その為に魔力が安定しそうな場所を見繕っておいた。
で。
その場所で、ティレイラが比較的苦手としている水や氷の系統の初歩的な魔法を習得させてみよう…とは思うのだが。
ただそう言っても、ティレイラは多分やる気を出さない――出せない。
勿論、ティレイラはシリューナの言う事は聞く。不満を隠し切れないながらも色々頑張って苦手の魔法を試みようとはするだろう。が、魔法は心と言うか精神面の状態も結構物を言う。やる気無しな不満たらたらの状態で習得を試みてはただの時間の無駄、出来るものも出来ないだろうと簡単に予想が付く。
だからこそ、シリューナはティレイラにやる気を出させる方法を思案する。
飴。
…成功したら何か美味しいおやつでも用意してあげようか。
鞭。
…失敗したら当然お仕置き。私のお楽しみのモノにして遊んでしまおう。
どちらにしてもシリューナに損は無い。
そしてティレイラもこれなら充分発奮する飴と鞭になるだろう。
いつもの事と言えばいつもの事だけれど。
後は、話の持って行き方か。
…よし。
■
脚は肩幅に開いて自然体、それから深呼吸。
ぐっと腕を伸ばして――魔法の発動をする形に確り構えて。
あまり慣れない呪文の詠唱、力が集束するのを感じてから。
集束したその『力』を放つ為、えぇいっ!! と可愛らしい声で裂帛の気合いが入った直後。
…ぷしゅう、と気が抜けたような煙と言うか水蒸気のようなものが湧く。
そのまま、暫し時間が止まる。
ティレイラは構えていた手――集束した力がなんか抜けたっぽい手をがくんと下ろすと、続けて肩までががっくりと落ちる。
失敗。
「うう…今のなら行けると思ったのに…」
「そうねぇ。惜しかったわね」
水系の魔法。
呪文詠唱も悪くなかったし、実際力の集束までは行えた。
…肝心の発動具合が微妙過ぎたのだが。…まぁ、大負けにオマケをすれば、僅かな水蒸気を湧かせた時点で一応ながら成功とも言える。勿論、それでは何の意味も無い上に失笑ものな出来ではあるのだが。
私の弟子ならもう少しきちんと形にしなさいな、とシリューナは思う訳で。
…勿論、ティレイラもその辺は弁えている。
シリューナの求める『初歩的な水や氷系魔法の習得』。そのレベルには今のではまだ全然届いていない。
せめて、簡単な実用に耐えるレベルにはならないと。
「っ、えっと、今日中には何とかしますっ」
「頑張りなさいな」
心無し、シリューナの顔には微笑みが浮かんでいる。ティレイラの頑張りを見守る師の顔――まぁ、単にティレイラの様子を見て楽しんでいる、と言う面もあるのかもしれないが。
シリューナの『お仕置き』を恐れて焦る姿もまた良し。…けれどプレッシャーを掛け過ぎてもまた魔法の習得には悪影響があるから適度に息抜きさせないと。
二人が今居るのは雪深い山奥の湖畔。湛えられた豊かな水には薄氷が張り、自然の力が満ちた所――今居るここなら水や氷の系統魔法を安定させるには最適だと思うのだが。
ティレイラでは、簡単にそうもいかない。
白い息を吐きつつ、ティレイラは、むー、と考え込んでいる。今の自分の魔法。何が悪かったか――何処が悪かったか。…魔力の配分、調整や巡らせ方が上手く行ってないのだと思う。思うが――それはもう誰に教わるとかではなく感覚の問題なので自分で何とかするしかない。火の魔法なら感覚的にも全然問題無いのだが――。
ん?
なら、火の魔法と同じ感覚でやってみたらどうだろう。
呪文での魔法の練り方は違うけど、力の巡らせ方って言うか、その辺を。
そう思い付き、ティレイラは改めて挑戦。先程同様、魔法を練る為の呪文を詠唱する。
そしてまた――可愛らしい裂帛の気合。
今度は。
…逆に一気に魔法が溢れ出た。
制御し切れないくらいに。
その時点で、成功失敗以前にティレイラは焦る。けれど咄嗟にどうすべきかわからずあたふた。ど、どうしようと頭の中で思いを巡らせている間にも発動した魔法は溢れ出たまま止まらない――水が荒れ狂い、その温度すら急低下する――凍り始める。それを見てティレイラは更に焦る。焦ると余計に魔法制御が自分の手から離れるのだが当然その自覚は無いと言うかこの状況でそこまで考えていられないと言う悪循環。荒れ狂う大量の水がそのまま氷柱と化す――ついでに、発動したティレイラのその手まで凍り付いた。
…どころか。
次の瞬間、ばしゃーんと凍り切らなかった水がティレイラ当人に被る――被ったそこで、パキリと固化。
見事にティレイラごと氷と化してしまった。
そこまで見届けて、思わずシリューナは目を瞬かせる。
…成功したにしろ失敗したにしろ、ティレイラの魔法でまさかこんな事になるとは思わない。
今、予期せず現れた神秘的な氷のオブジェがシリューナの前にある。
――――――まるで、シリューナに愛でてくれとでも言うように。
暫し目を奪われてから後、シリューナは思わず苦笑。
これは、先程と正反対の形だが、魔法としては同じく失敗と受け取って良い出来。
…けれど。
シリューナが手を下して『お仕置き』をする前に、自分から、なんて。
――――――なんて殊勝な心掛け。
思わず感心しながら、シリューナは氷の彫像と化したティレイラに触れ、その感触を確かめる。今は魔法の訓練中。まだまだ向上の余地があるのがわかっているのに、訓練を再開するのが――このオブジェを融かしてしまうのが勿体無いと思えてしまう。
当然、ティレイラは自らこの状況を打開出来はしない。火の魔法を使えば何とかなるが、氷に閉じ込められた状況では火の魔法は使えない。…と言うか、ティレイラはパニックで恐らくそこまで頭が回らない。
となると、シリューナが魔法を解除して助ける以外に道が無い。
…けれどやっぱり、勿体無い。
折角のこの可愛らしい姿。
シリューナは、どうしようか結構本気で迷う。…訓練を再開するか、このまま魔法失敗の『お仕置き』として楽しんでしまうか。モノが氷と言う事はその時点で様々な表情が楽しめると言う事にもなる。僅かな温度差で、この氷のオブジェは刻一刻と姿を変える。当然のように、その瞬間瞬間のティレイラの可愛らしい姿を見てみたいと言う欲求が湧く。
…さぁ、どうしましょうか。
シリューナは語り掛けるようにティレイラを見つめ、独り静かに思案に暮れる。
勿論、その間にも折角の氷のオブジェをじっくり堪能するのは、止めない。
で。
…結局、シリューナがティレイラを氷の魔法から解放するまでには当然のように結構な時間が掛かってしまい。
その日の魔法訓練はそれで終わりになってしまったのだが。
まぁ、これはこれで良し。
【了】
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