|
少女は掌で踊る
「きゃあああああっ!?」
いつものように、自身の経営する魔法薬屋で仕事をしていたシリューナの耳に、馴染み深い少女の悲鳴が飛び込んできた。
「……またあの子、何かやらかしたのかしら」
呆れとも諦めともつかない、薄い笑みを浮かべて、シリューナは手にしていた薬瓶を机に置き、席を立った。
悲鳴の主は、彼女が妹のように可愛がっている同じ種族の少女・ティレイラだ。
店の手伝いがしたいというティレイラに、シリューナは倉庫の中の整理整頓を頼んでいた。
たかが片付け、されど片付け。
好奇心旺盛な少女は、毎度毎度シリューナが目を離した隙に、何かしらの厄介事を引き寄せている。
今日は何をやらかしたのだろうと、シリューナは諦めと好奇が入り混じった気持ちで、彼女のいる倉庫へと向かった。
「ティレ? どうしたの?」
倉庫の入口から、中へ向かって声をかけるシリューナ。
向こう側から返ってきたティレイラの返事は、今にも泣き出しそうな声だった。
「お、お姉さま! 助けてください〜!」
シリューナの目には、なにやらくるくると回り続けるティレイラの姿。
まるでダンスでも嗜むような軽快なステップで、少女は倉庫の中をぐるぐると駆け回っている。
「……誰かのパーティにでも呼ばれたの? ステップの練習なら、もっと広いところでなさい」
「違います! なんだかとっても綺麗だったから、思わずこのドレスを着てみたくなっちゃって、……そしたら体が勝手に……っ!」
その言葉で、シリューナははっとする。
「ああ、なるほど……そういうことね。まったく、いつもいつもおっちょこちょいなんだから」
今、ティレイラが身に纏っているドレスは、おそらくシリューナが先日とある客に処分を依頼されたいわくつきの一品だろう。
なめらかな肌触りの絹と、美しい装飾とに魅入られて身につけたが最後、周囲に災いをもたらす踊りを舞い続ける――いわば呪いのドレス。
本来ならすぐにでも処分すべきものだったのだが、ちょうど依頼が立て込んでいた時期に受けたものだったため、後回しになってしまっていたのだ。
「お姉さまぁぁっ! お願いです、助けてくださいっ」
自分の意志では止まれなくなってしまったのだろう、踊り続けるティレイラの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
例のごとく好奇心で後先考えずに着てしまったのだろうが、シリューナの管理する倉庫に存在する時点で、多少は曰くがあることが、自ずと知れるだろうに。
本当に仕方のない子、と呆れる一方で、そんなところも可愛くて仕方ないと思う。
「もう、本当にティレは悪い子なんだから」
忍び笑いをもらして、シリューナはティレイラに近づく。
助けてもらえると思ったのだろう、ほっとした表情を浮かべた少女に向かい――しかしシリューナは、うっすらと意地悪げな笑みを浮かべた。
「かわいすぎて、このままずっと眺めていたくなるわね」
「……! お姉さまぁ……!」
「大丈夫、ティレが疲れ果てて倒れるまで、ずっと隣で見ていてあげるわ」
「なにが大丈夫なんですか……!?」
いよいよ本格的に泣き出しそうなティレイラを見つめ、シリューナは満足げに笑みをこぼした。
「冗談よ。ティレがあまりに可愛いからいじめたくなっちゃうの」
「うぅ……」
「さすがに倒れるまで踊らせるのは可哀想だけど……いつも勝手にこんなことする子には、ちょっとお仕置きが必要よね?」
その言葉に、ティレイラが引きつった笑みを浮かべる。
だがシリューナは、変わらず悪巧みをする子供のように、いたずらな笑みを浮かべていた。
「お、お姉さま……! ごめんなさい、許してくださいもうしませんからぁぁっ!」
ぽろぽろと涙を流して懇願する少女。けれど一度決めたことを、簡単にやめるシリューナではない。
踊り続けるティレイラの手を取り、一緒にくるりと一回転。
「いまさら後悔するぐらいなら、最初から着ていいか相談しに来なさい。いいわね?」
「は、はい……! もうしませ……!」
ぱあっとティレイラの表情が輝いた。
だが、その瞬間を狙いすましたかのように、シリューナは不敵な笑みを浮かべた。
にこりと微笑んだまま、少女の目の前に手をかざし、容赦なくお仕置きの魔法をかける。
シリューナにとってはもはやお得意、石化の呪術だ。
「お、お姉さまぁぁぁ〜!」
ティレイラは涙目のまま、徐々にゆっくりとした動きにかわり、やがて髪の毛からつま先に至るまですべてが石に変わってしまった。
「うふふふふ、今日もいい出来だわ」
石化したティレイラの姿を見つめ、シリューナは満足げに笑う。
「このままドレスの部分だけ砕けば、ちょうどいい感じに処分できるかしらね……?」
可愛いティレイラの身体を傷つけないように、細心の注意を払って行うその処理に、シリューナは思いを馳せくすくすと笑う。
「なんだか普通に服を脱がせるよりも、倒錯的でいけないことみたいに思えるわ」
ある種の狂気を孕んだその言葉、ティレイラ自身が聞いていればどんな悲鳴をあげて反論しただろうか。
しかしティレイラの口は石のように――いや石となり固まったままだ。
シリューナの想像の中ではおそらく、もう見事にドレスだけ砕かれてしまったのだろうが、ティレイラはシリューナのそんな妄想を止めることさえできずにいた。
「……あいかわらず、石になってもこんなに可愛いんだから不思議よね」
硬直した彼女の全身をくまなく視線で愛でた後、シリューナはゆっくりと、愛しい妹の頬に指をすべらせた。
頬はやはり滑らかで、しっとりと指の先に馴染む感覚がある。
灰色の彼女は当然のように冷たく固まっていて、それでもどこか柔らかく熱を帯びているような錯覚を覚えた。
するり、と、シリューナはそのまま彼女の首筋から鎖骨のほうへと指を伝わせる。
そして細く形のいい肩を撫で、華奢な腰を抱き込むように、石像と化した少女を腕の中に呼び込んだ。
「……石化が解けても、これだけおとなしく触らせてくれればいいのだけど」
石になってなお艷やかなティレイラの髪を撫ぜながら、独り言のようにシリューナはつぶやく。
「もちろん、いちいち騒がしいところも可愛いけれどね?」
艶を帯びた唇を、固くなった妹の耳朶に寄せ、シリューナは濡れたような声で囁く。
やはりティレイラは顔を赤くしたり、無邪気に走り回ったりしているからこそ可愛いのだということは否めない。
シリューナもそれは重々承知の上で、このような遊びをしているのが本音なのだろう。
……けれど時間はまだある。
いつもの彼女はいつでも堪能できる。
だから今は、このまま静かな彼女の美しさを見つめていよう。
そう思ったシリューナは、石化したティレイラの隣におもむろに椅子を持ってくると、そのままそこに腰を落ち着けて、しばらく彼女の姿を眺めていたのだった。
|
|
|