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<東京怪談ノベル(シングル)>


0月の女神

「いやぁ、この翼。見れば見るほど美しい……猛烈な勢いでモフりたいな」
「まったくだ。激しく壮絶にモフりたいね」
 自慢の翼の前で、男達が拝むように膝を折る。
 その光景を見下ろしながら、あやこは恍惚の表情を浮かべていた。
「このモフモフは我が部にあってこそ至高の輝きを放つ」
「そうだそうだ」
「あやこ様、ぜひとも我らが鬚部の部長に!」
 男達の野太い歓声に支えられるように、あやこは天狗のように高く鼻を伸ばす。
 おだてられるがまま、まんまと部長の座につかされてしまう。
「ふっ。部長の一つや二つや三つ、この私が引き受けてあげるわっ」
 野太い歓声ふたたび。
 こうしてあやこは、ギックリ腰坂学園鬚部の部長と相成ったのだが……
 鬚部の面々は基本的にフリーダムだ。
 部員は猫のヒゲを愛でたり、自身の顎鬚をピンセットで抜いてみたり、自己を思い切り卑下したり、枝豆のヒゲを数えたり……各自思い思いの方法でヒゲに関連した活動をしている。お察しの通り、ヒゲならば必ずしも鬚に限らないグローバルな感じで。
 ゆえに倉から出てこない引きこもり部員がいるのもこれまた自然の理なのである――多分。
 だが、あやこの側としてはそうもいかない。
「部長としては、やっぱり全部員に顔出してもらわなきゃ困るのよねぇ」
 ぶつぶつ呟きながら、下僕もとい部員を引き連れたあやこは地図を片手に歩き回っている。
「ゲームにハマるのはいいけど、せめて部室でやってほしいっていうか……」
 その一心で、鬚部員の一人が引き籠っている蔵があるというここ――又倉町までやってきたのだが。
 いくら行けども周囲は蔵ばかり……だからこそのマタグラ町なのだろうが、目的の蔵が見つからない。
 にわかに苛立ち始めたあやこをいなすように、鬚部員たちはわらわらと走り回っていた。

 そんなこんなでようやく探り当てた件の場所。しかし蔵に乗り込んだ瞬間、目に飛び込んできた光景にあやこは絶句した。
「……妖怪?」
 そこにいたのはもはや人間ではない。伸びまくったヒゲがしっかりとパソコンを包み込んで離さない。
 某局の赤い雪男(子供)さえ裸足で逃げ出しそうな、毛の怪物である。
「ヒゲが、ヒゲがぁぁぁ!」
「見ろ、ヒゲでゴミのようだ!」
 ざわめく男達。部員の一人が取り出した剃刀さえも弾き飛ばす驚異の無精鬚。
 それに全身を包まれた男は、それでもなお、画面に向かいひたすら左クリックを繰り返していた。
「駄目だこいつ、早くなんとかしないと……!」
 頷き合う部員たち、ため息を点くあやこ。
 かくして鬚部の面々は、彼の中毒の原因を探るべく、ゲーム「0月」の世界へ飛び込んだ。

 彼が狂ったように遊んでいたのは、食虫植物が登場するステージだった。
 プレイヤーの行く手を阻むのは意志を持つ蔦。
 先端からは成人向けコミックスよろしく、装備を溶かす酸を放出していた。
「旅のお供をさせていただきます、チャビーって呼んでね!」
 このご時世にそれはねえよ、とツッコミたくなるチープな音楽とともに、どこからともなく謎の喋るちゃぶ台が登場。
 それどころか、あやこが行く先々、ついて歩く仕様になっているらしい。
 まったくこのゲームの世界はどうなっているんだ、わけがわからないよ。
「あやこ、得物は禁止だよ。素手で戦ってよ」
「え!? このゲームそんな仕様だったっけ!?」
「決まってるじゃないか、あやこ特別ルールだよ」
 プログラムのくせに生意気きわまりない。全くどういう教育をしているのだ。
 しかし憤っている暇もない。仕様ならば仕様と割り切るほかない。
 気を取り直し、あやこは丸腰のまま敵をなぎ倒していく。
「そこ!」
 強烈な蹴りが蔦の根元に撃ち込まれ、植物は怪しげな粘液を撒き散らしながらあえなく野に伏した。
「……白でござったー!」
「拙者見逃したでござる!」
「レースぞ! レースであるぞ!」
 男たちがむせび泣く声に、あやこははっとして振り返った。
「ちょっと何見てんのよ馬鹿!」
 烈火のごとく怒るあやこだったが、部員たちは素知らぬ顔できっぱりと言い切った。
「ゲームでチラ程度はもはや標準仕様でありますぞあやこ殿」
「そうだそうだ」
 しかし、鉄の女あやこに死角はなかった。
 ため息まじりに、けれど勢い良く制服を脱ぎ捨てる。
「残念でした、下にいっぱい着てるのよ!」
 現れ出たるは白のテニススコート。
 悩殺コスチュームに身を包んだあやこを再び触手……もとい蔦が襲えば、彼女は不敵に笑い、服ごと植物をはじき飛ばしてみせた。
「触手になど屈さぬ!」
 この場にいる誰よりも男らしいあやこ。私男だけど抱かれてもいい! 誰かが野太い声で叫んだ。
 そしてブルマ姿となったあやこ。軽快に蔦の包囲網をくぐり抜けて、ラスボスの待つエリアへと乗り込んだ。
 現れたのは、今時ありえないビン底眼鏡に真っ黒い髪を振り乱した、明らかにヤバイ系の女だった。
「たのもー! この世界をぶち壊しにきたわ――」
 高らかに宣言するあやこ……しかし、彼女は手前に存在する沼の存在を見落としていた。
 足を滑らせ、酸性の液体が満ちた水面に、あえなくどぼんと落下する。
「あやこ様ぁぁぁーッ!」
 部員のつんざくような悲鳴がこだまする。
 ――だが、あやこはやはりあやこだった。
 重ね着したレオタード、そしてスクール水着が溶けるわずかな時間で華麗に沼から脱出してみせると、最後に纏ったビキニだけを残した奇跡的な姿で部員の前に姿をあらわしたのだ!
「あやこ様ァァァーッ!」
 部員の歓声と同時に、あやこの翼がぶわっと広がる。まさしく天女が舞い降りたような光景だった。
 さすがの騒ぎに、ラスボスと思しき女が振り向く。
「今度こそ見切った――あんた、原作者ね!」
 そう。あやこの指摘通り、ボスの正体は自らの世界に取り込まれたゲームの原作者だったのだ。
「す、スランプなんか爆発しろ……!」
 正体を見破られ、ぼろぼろと涙をこぼす作者に、あやこは菩薩のような笑みを浮かべて歩み寄る。
「貴女も……あたしたちの仲間よ!」
 な、なんだって――。部員一同が口を揃えて唖然とする中、見つめ合う作者とあやこ。
 ビン底眼鏡を外し、作者はつぶらな目から大粒の涙をこぼしてむせび泣く。
「あやこさんマジ女神……!」
 事件前よりさらにぐぐいと伸びるあやこの鼻。
 この勢いはとどまることを知らず、そもそも彼女自身も止める気などさらさらないのであった。

「学園の平和は鬚部が守る!」
「あやこ様は俺たちみんなの嫁!」
 鬚部の面々は、今日もドヤ顔で校内を闊歩している。
 あやこの活躍によって間接的にこの界隈の平和が守られているのは確かなのだが、彼らが威張ることではないような気も……などというと全身の毛をピンセットで1本1本抜かれそうなのでやめておこう。
 肝心の鬚部長・あやこはといえば、今日も今日とて例の女作家と一緒になって暗い本を読みふけっているのであった。

 結論、あやこの懐はマリアナ海溝よりも深い。