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<東京怪談ノベル(シングル)>


彼女は望む、皆の幸せを
 とっぷりと日は落ち、周囲は闇に包まれた。
 少女を連れ森林地帯を抜け出し、ようやく海原・みなも(うなばら・みなも)は市街地へとたどり着いた。
 先にメールを入れていたこともあり、仁科・雪久が車で迎えに来てくれたのは僥倖と言わずに居られない。
 都心近くにある古書肆淡雪へと戻ってきた彼女達は古書店の住居区部分へと通された
「それで『森』では何があったんだい?」
 食べながらで良いから答えてくれないか? という雪久に、みなもは少々遅めの夕食を摘む箸を止めた。ありもので悪いけれど、と彼が出してきたのは肉じゃがにアスパラガスの白和え、そしてご飯と味噌汁だ。
「それなんですが」
 味噌汁のよそわれた器をテーブルの上へとトンとおいてみなもは『森』で起こった出来事を語る。
 傍には森から連れてきた少女の姿もある。彼女はみなもの横にちょこんと腰掛け出された緑茶を飲んでいる所だ。
 一通り状況を報告された雪久の表情は次第に険しくなる。恐らく少女のやった事、そして研究所で行われていたと思しき出来事の非道さに思う所があったのだろう。
 しかし雪久はみなもへと問いかける。
「……君はどうしたいんだい?」
 みなもが少女を連れ帰ってきたという事は、何か目的があっての事だろうと察したのだろう。
「……あたしは、他のブラックドッグ達も探したいと思います」
 膝に手を乗せ、みなもはきりっとした表情で力を込め、ブラックドッグ達を探し出し、人間とブラックドッグに分離させたい、と懸命に主張する。
「しかし、そのままだとブラックドッグは存在し続ける事は出来ないんじゃないかな」
 雪久の問いにみなもは思い出す。そういえば少女は最初期の頃作り出したブラックドッグはそのまま消滅してしまったと語った。それを回避する為の手段として、人間を宿主にするようにした、と。
 だがそれならば、先ほどみなもと分離したブラックドッグも放置しておけば消滅してしまうのではないだろうか?
 突如不安に襲われみなもは少女の方を向く。
「うふふ、大丈夫よ。少なくともみなもお姉さんのブラックドッグはね」
「どういう事ですか?」
 みなもの食いつくような勢いの問いにも少女は涼しい顔だ。
「お姉さんのブラックドッグは、お姉さんのもつ力をある程度受け継いでいるの。お姉さんの霊的な力は普通の人より強いでしょ? それをモトにあのブラックドッグは具現化したのよ」
「つまり……ブラックドッグが存在し続けるに足る強い霊的な力があれば、消滅する事はない、と思って良いのかな?」
 雪久がはじめて少女へと向き合う。若干厳しめの視線ではあったが、少女はやはりそれを軽く受け流した。
「それともう一つ、問題があるよね?」
 雪久は更に続けた言葉にみなもも頷く。
「……あたしのブラックドッグは、あたし自身が対峙する事で分離する事が出来ました。つまり、今ブラックドッグになっている人達にも、それぞれ対峙して貰わなければならない……という事ですよね」
 みなもの答えに古書店内に沈黙が満ちる。
 彼らは一度ブラックドッグに負けた。その為今は宿主となっているのだ。
 例え再度対峙する機会を与えても、このままでは同じ事態を繰り返すのは目にみえている。
 何とかしてもとに戻す契機がなければ、彼らはブラックドッグのままだ。
「まあ、みなもお姉さんが力を貸してあげればなんとかなるかも知れないわよ?」
「え……?」
 みなもと雪久の2人の視線が、少女に向けられる。
「こないだお姉さんが使ったプログラムは、そもそもがブラックドッグを誰かに宿らせるっていうプログラムだったのね。それを逆転させる事で、お姉さんからブラックドッグを分離するきっかけにしたんだけれど……それだけだと、普通の人では無理なのは解るわよね?」
 勿論、とばかりにみなもも、そして話を聞いていた雪久も頷く。
「みなもお姉さんが、ブラックドッグと、今ブラックドッグ化している人の間に介入できるチャンスを作れるようにシステムを改良すれば、お姉さん次第でなんとかなるかもしれないわ」
「じゃあ、出来るんですね!」
 みなもの表情がぱっと明るくなる。
「あたしがなんとか出来るなら、頑張ります」
 しかし、手を握り闘志を露わにするみなもに対し、少女は俯く。
「……でもね、その為には新たなプログラムを書かなければならないの。正直私1人じゃちょっと厳しいわ……」
 みなもも流石にプログラムは厳しいと思ったか、肩を落とす。
 だが意外な所から助け船は出された。
「それなら、私が手伝おう」
「仁科……さん?」
 みなもが驚きに口を開く。危うく手に持っていた箸を落としそうになったのは内緒だ。
「これでも以前はシステムを組んだりした事があるから、多少は手伝えると思うよ。基礎は出来ているから、大体基本は他の言語と一緒だろう?」
 雪久がにこりと、しかしどこか不敵に笑む。
「なら、決まりね」
 少女も持ってきたノートパソコンを開き、カタカタとキーを叩きはじめる。雪久もそれを真剣な表情で見つめている。
「今のブラックドッグ達の居場所は、大体私達で探せるわ。あとは……」
「ま、待って!」
 みなもが声を張り上げる。
「……どうしたの? お姉さん」
「あたしも、何かやりたい。見ているだけは嫌なんです……!」
 真摯な様子でそう告げるみなもに、雪久が微笑み、肩にトンと手を置いた。
「……安心して。これから君にもやってもらわなければならない事は山程ある。だけれど、その前に休んでいてくれるかな?」
「でも……」
 真剣な様子の雪久と少女を見ていると、ここまできて自分1人が置いていかれるようで寂しい。
 みなもはそんな思いを零しそうになりつつ懸命に飲み込む。
「みなもお姉さんには『森』でブラックドッグ達と対峙してもらわなきゃならないわ」
「君が鍵になるんだから、休む時はきちんと休んでいて。それも大事な仕事だよ。大体君は今日『森』まで行ってきてかなり疲れているんじゃないか?」
 食べ終わったら毛布があるから休んでいるといい。
 そう言い切られみなもは渋々頷く。
 だが実際疲れてもいたのだろう。食後、すぐに微睡みは襲ってきた。

 数日後。
 森林地帯の奥へとみなもは再び降り立っていた。
 今回は1人ではない。雪久や少女も一緒だ。
「みなもお姉さん、仁科おじさん、準備はいい?」
 少女の言葉に2人が頷く。
 みなもはこれから、この場にやってくる多数のブラックドッグ達と対峙せねばならない。
 それも、みなも自身は戦う気は無いが、ブラックドッグ達は恐らくみなもに容赦する気は無いだろう。
 この日の為に、雪久と少女はブラックドッグ達の居場所を探し、そしてこの場に呼び寄せる為の布告を行った。
 じきに、この場にブラックドッグ達は現れる。
「……来た」
 遠くから聞えるうなり声にみなもが呟く。そして木々の合間から姿を現わした黒犬の姿は……10を越える。
 ぐるる、と唸りつつみなもへと距離を詰めるブラックドッグ達。
 後ろに控える雪久は肉体的には若干丈夫とはいえ普通の人間だ。恐らくこの数のブラックドッグ達の襲撃を受ければただでは済まない。少女の方もはっきりとは解らないが、このメンバーの中で最も強靱なのはみなもだ。
 2人に怪我をさせず、そして目的を――ブラックドッグ達と人間を分離する事を果たす為にも。
「この先には、通しません」
 ざ、と一歩踏み出しみなもはポケットから取り出した聖水を撒く。ぱしゃん、と小さく音をたて聖水は彼女の白い肌を叩いた。
 素粒子レベルで水を操る彼女の能力により、聖水は彼女の身を守る盾と化す。
 それを合図としたかのように、ブラックドッグ達は一斉にみなもへと襲いかかる。
 このままではいくらみなもとはいえ、ただでは済まない。
 だが――。
「仁科おじさん、起動するわよ!」
「大丈夫。こっちはきちんと動作している!」
 少女の声に雪久が応え、みなもの居た場所とブラックドッグ達を包むように、足元から光条が立ち上る。
「あとはみなもお姉さん次第よ。頑張って」
 少女の声と共にみなもの意識が落ちる――。

 ――気づけば、揺らめく水域にみなもは居た。
 以前もやってきた事がある深層領域に。
 少女と雪久は無理矢理ながらもブラックドッグ達をまとめてみなもの深層へと送り込んだ。これによりみなもの介入する場を作ったわけだ。これによりある程度は力の供給も出来る。
 あとはみなもが彼らを分離「させる」のだ。
 とはいえみなも自身も強制するつもりは無い。望んでブラックドッグとなった者に無理強いをするつもりは無い。
 何が幸せかは本人が決める事だ。
 だが、望まずしてブラックドッグにされたものは。
 揺らめく水域にやってきたブラックドッグ達はみなもへと相変わらず牙を剥く。
 それに対しみなもは恐れる事なく微笑む。
「帰りましょう。人間として暮らしていた場所に」
 すっと腕を伸ばすと、ブラックドッグ達がぶるりと震えた。帰りたいと望む者もいる。それはみなもにとっても支えとなる。
 ……しかし。
(「もう嫌なんだ。勉強しかない生き方は!」)
 1人の少年が叫ぶ。
(「家には、私の居場所なんてない……」)
 1人の少女が涙を流す。
(「これ以上もう何も考えたくないんだ」)
 1人の老人が呻く。
(「明日なんてこなければいい……!」)
 1人の女性が嘆く。
 戻る事を拒む者達。
 恐らく、余程辛い思いをしたのだろうという事が水域を伝わってくる。
 具体的には解らない。それでも「辛い」という事だけは解る。
 苦しみ、悲しみ、痛み……そういった負の感情を寄せ集めたモノが蒼く透明な水域に濁りを生じさせる。
 呑まれたら、終わりだ。
「皆さんは……会いたい人とかはいないんですか?」
 みなもの凜とした声が水域に響く。濁りはみなもを包み込もうとその黒の触手を伸ばしている。
「もう一度みたい風景とか、もう一度食べたいものとか……そういうものは無いんですか?」
 水域に生じた澱みが揺れる。
「あたしには、会いたい人も、見たい風景も、食べたいものもあります。あたしは生きていたいです。辛い事も、手が届かない事も、中々越えられない事も沢山あるけれど、それでもあたしは……足掻いて生きていきたい! それに、あたしの帰りを待ってくれている人が居る。あたしだけじゃない。絶対、あなたたちだって待ってくれてる人が、心配してくれている人がいます!」
 黒い濁りは気圧されたように次第に小さくなっていく。
「だから、帰りましょう。一緒に」
 そう言い切った時には澱みは消えていた。
 負の感情は断ち切った。あとは、彼らを連れて現実へと戻るだけ。
 ……とはいえブラックドッグ達は納得していないだろう。このまま放置しておけば、自身の消滅に繋がるのだから。
 現に残されたブラックドッグ達は懸命に水を掻き死にものぐるいで新たな宿主を――みなもを求めて食らいつこうとしているのだから。
 どんな攻撃も避けようと思えば余裕で避けられる。それどころか、彼らを完膚無きまでに叩きのめす事だって可能だ。何故ならこの場はみなもの領域なのだから。
 完全にブラックドッグ達の存在を消してしまう事だって出来る。
 それだけの力を持ちつつも、それを望まないのはみなもだからかも知れない。
 みなもは目を閉じそっと願う。この水域があの時のようなラベンダー畑になるようにと。
 意志に従うように揺らめく水は青空へ。そしてどこまでも深くみえなかった水底はしっかりとした大地に。緑と藤色のコントラストが目前に現れ、揺れる。
 足がかりを得たブラックドッグ達は力強く地を蹴り躍りかかる。みなもの柔らかな肉を食いちぎろうと。
 それでもみなもは動かない。ブラックドッグの牙が彼女の腕へと齧り付く。流れた紅が痛々しいが、彼女は気丈に笑む。
 ぽたり、と温かな血が流れるのを感じつつも、じっと。
 本来ならばブラックドッグ達は立ち尽くすみなもを喰らい、引き裂くハズだった。
 しかし目前の彼らはみなもの前で怯えたように耳を伏せ、尻尾も丸めている。
 まるで、気圧されたかのように。
「大丈夫。怖くない」
 ブラックドッグ達に言い聞かせるようにみなもが告げる。
「大丈夫……あなたたちを消滅させるような事は絶対しない」
 言葉が伝わったかのようにブラックドッグ達はみなもの傍に近づき、傷を舐める。
 申し訳無いことをしてしまった、とでも言うかのように。
「大丈夫だよ」
 みなもはにっこりと笑って見せた。

「上手くやったようだね。お帰り」
 瞼を開いた途端目に入ってきたのは安堵の表情を浮かべた雪久と少女の姿。
 疲労感があるものの、みなもは懸命に身を起こす。
「分離できたみたいだよ。ほら」
 雪久が腕を広げた先には倒れた人達の姿がある。命に別状は無いらしく、とりあえず然るべき場所への連絡は済ませたと彼は告げた。
 人々の無事が解ったならば、もう一つ気になる事がある。
「ブラックドッグ達はどうなりましたか?」
 みなもが問いかけると少女が笑顔でトコトコと近づいて来た。
「大丈夫よ。ほら」
 少女が抱えていたのは真っ黒な子犬たち。
「……これは?」
「流石にあの人達では霊的な力が足りなかったみたい。だから、子犬の姿ね。それでもみなもお姉さんの力を分けて貰って存在し続ける事は出来るようになったのよ」
 少女の言葉にみなもは力が抜けたように笑う。
「良かった……あたし、あの子達と約束したんです。消滅させるような事はしないって」
 約束を守れた事が嬉しさと、大役を果たした事への安堵が胸の中へと溢れてくる。
 座り込んだままの彼女の頬を、温かい何かが触れる。
「きゅぅん……」
 温かなソレは真っ黒な成犬。小さく鳴いて尻尾を振る様子には見覚えがある。
 以前みなもに宿っていたブラックドッグだ。
『やくそくどおり、てつだいにきたよ』
 子犬たちの世話は任せて欲しい、とブラックドッグは主張する。
 この森で子犬たちと一緒に暮らしていければ、きっとブラックドッグも寂しくなくなるはず。
「本当にお疲れ様」
 雪久がみなもへと手を差し伸べる。手を伸ばしかえすと力強く握られた。
「……そして、本当に、無事で良かった……」
 安堵の吐息を吐き、雪久は眼鏡を外し目元を拭う。その行動が意味する所は一つしかない。
 今までは「危険だから」とみなもの行動を止める事もあった雪久だが、今回は彼女の行うところを止めようとはしなかった。
 恐らく彼なりに、みなもへと期待をかけていたのだろう。そして同時に、心配もしていたのだろう。
「これも君自身が全て行動し、成した事だよ。よく頑張ったね」
 彼の握手はみなもが一人前だと認めた印かも知れない。
「……はい!」
 力強く、みなもは笑顔で答える。
 ブラックドッグ達は存在し続ける事が叶い、人々もまた自分達の生きる場所へと戻っていく。みなもや、雪久、そして少女もそうだ。
 何もかも完全に幸せな結末とは言い切れないかもしれないが、みなもは出来る事はやり通した。
 あとは、ブラックドッグや人々がそれぞれ自身の幸せを掴みに行くしかない。
 雪久に手を引かれ、少女も一緒に帰路につくなか、それでもみなもは願わずに居られない。
 ――せめて、みんな幸せな気持ちで居られますように、と。