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カミオロシ
――とある森の奥深く。
うち捨てられたような神社があった。
長い事誰も入っていないのだろう。そこは限りなく自然へと帰ろうとしていた。
鳥居はかけおち、場所によっては腐りかけている。本来存在していたであろう参道は、石畳の間から植物が芽吹き、歩くのも困難な程だ。
まだ日が高いにも関わらず、木々に遮られ常に薄暗い。
にもかかわらず、そこには1人の青年が入り込んでいた。
少々厳しい目つきをしてはいるものの、真面目そうな雰囲気は好感が持てる。
彼は目前にあるモノをじっと見つめている。
深緑の苔に侵食された、大きな岩だ。
「今俺の目の前にある苔生す巨岩は確かに神籬と思うが……」
物部・真言(ものべ・まこと)が呟き、注意深く岩を睨め付ける。
彼の背丈ほどもある巨岩には注連縄が締められ、更にその周囲は生け垣であったと思しき木々が生えている。
昔の日本では自然のものに神が宿ると信じられ、巨木等を注連縄で囲って神聖な地とし、それを神籬と呼んでいた。今となっては少々形は異なってしまっているが、それでも神が宿る、神を迎えるためのものには変わりはない。
真言の目前に黙して佇む巨岩も、その外観から見ても神を招くよりしろとなると言われる神籬と考えて間違いは無かろう。
神事の後には神はその場から去る。何ものかが神事を執り行わなければ、この場に神はいないのだ。
その上これほどまでに荒れ果てた場所である以上、長い事この場は管理されていない――逆を言えば誰も神事を行うような者は居らず、考えようによっては忘れ去られているとも言えよう。
ところが、昨今ではこの近辺で失踪事件が相次いでいると言う。
あくまで近辺。この場所が失踪事件のその場だというわけではない。
だが、事件の起こった場所を拾い集めると、その中心近くにこの神社は位置している。
単なる事件が偶然続いただけとも考えられる。寧ろ、世間ではそのような扱いになっているようだ。犯行の手口は不明。動機も不明。勿論犯人の正体も不明。失踪事件に巻き込まれた者は女性は若く、男性は物心つくかも怪しい子供ばかりだ。
しかし逆にそれは、真言には引っかかるものに思えた。
(「まさかとは思うが、神への供物として人を捧げる輩がいないとも限らないし、異界に通じる道が生じて迷い込んだとも限らない……」)
よくよく調べて見ると巻き込まれた者達の性別や年齢は、そういった出来事に出会いやすいものが多い。
もしもこの巨岩が関係しているのなら――?
真言はそんな可能性に気づきこの場へとやってきたのだ。
まずは気配を探ってみようと意識を集中しつつ真言は巨岩へと手を伸ばす。
既にこの場にやってきた時点で、彼はこの地が未だ死んでいないという事に気づいていた。荒れ果てているにも関わらず、どこか霊的な存在が居着きやすい雰囲気は残っている。
元々神を呼び寄せる為の舞台装置である為、神以外の、それこそ異界の存在なども居着きやすい場所なのだ。
少なくとも、ここには何かがいる。
「さて……鬼が出るか蛇が出るか……」
ひとりごちると真言は巨岩へとそっと触れた。本来ならば、指先には表面の苔の柔らかな感触が伝わってくるはずだった。
「……っ!?」
一瞬だが彼の脳裏に閃いたのは1人の女性のイメージ。
素早く真言は巨岩から距離を取る。
何かを訴えかけようとするように、こちらへと手を伸ばしていた。彼女の身には黒く粘つく何かが絡みつき、取り込もうとしているかのようだ。強いて言い表すならば、悪心のようなイメージだ。
そして触れた指先に残るじっとりと粘つく感触。
どす黒い、しかし赤寄りの液体。
正体を確かめるまでもなく、それが血液だと理解できる。
それも、今さっき流されたばかりであるというかのように、生暖かい。
(「これは、誰かがここで人を供物として捧げた、という事か……?」)
先ほどの血液が現実に存在するものなのか、再び確かめるべく巨岩に触れるも、返ってくるのは冷たく柔らかな苔の感触のみ。先ほどの女性のイメージも視えない。
(「だとしたら、あれは犠牲者のイメージ……?」)
真言の疑問に答えられるものはいない。だが、可能性は高い。
そう判断するにもきちんと理由はある。
先ほどの女性のイメージはあの一瞬の間に何かを語ろうと唇を動かした。
その唇の動きは……。
「カミオロシ……」
真言の口からその言葉が零れる。
その意味だけならば、勿論真言には理解できる。
祭場に神霊を招き迎えることや、巫女がその身に神霊を乗り移らせる事に他ならない。
この場で考えるならば、神籬に神を招き入れる事がカミオロシに相当すると考えられるだろう。
だが神籬に今は神は「いない」。それだけははっきりと解る。
では、おろされた神は一体どこに行ったのか? それとも、そもそもが失敗したのだろうか?
それ以上に、一体誰が? 何の為に?
考えれば考える程に解らない事が増えていく。
大きく息をつき、加熱した脳へと酸素を送り込んだ所で、ふと思い立ったように彼は神籬の後方へと回り込んだ。枯れ葉が大量に積もったその場所に、何かがきらりと輝く。
「……これは?」
そっと手を伸ばしそれに触れる。拾い上げるとしゃら、と軽い金属音がした。
――懐中時計、だった。
持ち主は、犯人か。それとも被害者か。探ってみなければ解らない。
時計はまだ動いていた。そして時刻は夕方を示し始めている。
鬱蒼と茂った木々の為、常に暗く時刻は解りづらかったものの、日は次第に落ち始めているらしい。
荒れ果てた神社の類には、魑魅魍魎が集まりやすい。
黄昏時ともなれば、尚更だ。
たとえ真言といえあまりに沢山のモノに集われてはただでは済むまい。
その前にこの地を離れなければならない……というタイムリミットがあったのだ。
仕方無しに小さく舌打ちしつつ、彼はポケットへと懐中時計を仕舞い、神社から外を目指す。
生け垣を越え、傾き駆けた太陽のオレンジ色をした光がみえたところで、彼は一旦後ろをふり返った。
荒れ果てた神社の中、ただ黙し鎮座する巨岩。
まるで真言がどのような答えを出すか、待ち続けているかのように。
――カミオロシ。
果たしてその答えは、何なのだろうか。
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