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<東京怪談ノベル(シングル)>


その希望に魅せられて

「ここまでで構いません。どうも……」
 別荘がある森の入口で、羽月・悠斗はタクシーを降りた。車の排気音を背に聞きながら、森に入る。
 今日は、珍しく屋敷の敷地の外に出ていた。街に赴き、呪いに関する書物を買ってきたのである。生活に必要なものはだいたい両親や使用人が用意してくれるが、こういった本はやはり悠斗が自分自身で選びたかった。――それを口実に、たまには屋敷の外に出たい、という気持ちもあるかもしれない。
 悠斗は、少し気持ちがふわふわしていた。古書店で手に入れた書物に想いを馳せ、つい口元が緩む。本は別荘へと郵送する手配をしたため手元にはないが、今日の収穫はなかなか良かった。
 そんな風に浮き足立っていたからかもしれない。なんとなく気まぐれで、森に入る辺りから徒歩で帰ることにした。道なりに歩いていけば、別荘に辿り着く。これまでにも森の中を歩いたことはあるし、目新しいことはないだろうが――そう、思っていた。
 悠斗が足を止める。道の傍らに建つそれを目にして、眉をひそめた。
―――こんな家、あったかな。
 純和風の門構え。向こうの方に、屋敷の屋根が見える。木に隠れてよく見えないが、位置と見え方を考えると、なかなか大きいものだろう。
―――こんな大きな家……一度見たら、忘れそうにはないけれど。
 門に、表札はかかっていない。悠斗はしばらく背伸びして中の様子を窺っていたが、しばらくしてそっと門を押してみた。重そうな木の扉は、意外にもすんなり開く。少し拍子抜けしながら、悠斗は中を覗いていた。
 やはり和風の庭が広がる敷地は、しんと静まり返っている。庭は手入れが行き届いているようで、紅白の花々が咲き、たくさんの家畜が飼われていた。
 誰もいないなら、引き返すべきだろうか。だが、おそらくこの家には挨拶に来たこともない。同じ森に住む者として、挨拶をしておくべきのような気もする。
 言い訳めいた考えを胸に、悠斗は更に奥へと進んだ。屋敷の前まで来て、見上げる。悠斗の住む別荘もなかなか大きいが、この屋敷もだいぶ立派なものだ。だが、ここまで来て、まったく人の気配はない。扉に手をかけてみると、やはり鍵はかかっておらず、悠斗は中を覗きこんだ。
「誰か……いませんか?」
 屋敷の中の電気は点いている。だが、悠斗の呼びかけに返事はない。いよいよ不審に思う気持ちが強くなり、同時に、ひとつの単語が頭をよぎった。
『マヨイガ』
 それは、この世ならざる場所にあるとされる家。そこは、時のしがらみから切り離された空間。季節に相応しくない花々が咲き、ニワトリなどの家畜がいる。そして、ついさっきまで人が暮らしていたかのような生活感に溢れているのに、まったく誰もいないのだという。
 思えば庭に咲く花も、この季節に咲くものだっただろうか。チューリップにサルスベリ、コスモス、サルビア。花に疎い悠斗はさして気にしていなかったが、季節感も何もない。
 そう思うと、好奇心がむくむくと首をもたげる。ここは、本当にマヨイガなのだろうか。ごくりと喉を鳴らし、扉を更に開けてみる。
「すみません、お邪魔します」
 出来るだけ声を張り上げて言う。が、やはり返事はない。悠斗は、屋敷の中に入ってみた。
 辺りを見回しながら、廊下を進んでいく。まったく知らない家の中をひとりで歩くのは、やや落ち着かない。それが廃墟のように『誰もいない』ことが当然のものならまだしも、この家には生活臭がそこかしこから感じられる。
 流石に、少し不気味にも思えてくる。こんなこと、普通ではありえないから。だが、それが更に、この家が『マヨイガ』なのではないか、という想いを強くする。
 しばらくそうして屋敷の中を歩き回ってみたが、やはり無人のようだった。居間の中心で、悠斗は顎を捻る。
―――マヨイガなら、ここにあるものを持ち帰れば幸運を授かるという話がある。
 他人の家から物を持ち帰ることに対しては、勿論抵抗がある。犯罪だ。いくら誰もいない、とはいえ。
―――でも……。
 少しくらいなら、持ち帰っても構わないだろうか。そんな甘い誘惑に駆られる。
 悠斗に、金目のものに興味はない。特に生活に不自由はないし、金に特別な執着もない。
 ただ、この家が本当にマヨイガなのか、マヨイガの言い伝えは本当なのか。それを確かめてみたい気もして、悠斗の心がぐらつく。
 加えて、マヨイガのもたらす幸運。その効果で、ひとりぼっちの悠斗も人と交われるようになれはしないだろうか。そんな、微かな希望も、ちらついた。
 居間には、様々なものがある。テーブルにはあたたかなものが並んでいるし、食器棚に並ぶお皿やお椀だって、ちゃんとしたものだ。飾られている絵や、ちょっとした置物でもいいかもしれない。
 何かひとつでいい。持ち帰れば、マヨイガの伝承に触れられる。
 悠斗の手が、おそるおそる動く。食器棚に並ぶ物の中の、湯呑みのひとつへ。悠斗は目をじっと見開いて、口をぎゅっと閉じて。そっと、それに触れ――ようとした時、その手を下ろしてしまった。
―――帰ろう。
 眉を下げ、じっと手を見る。何故だか、とてもむなしい気持ちになった。否、理由はわかっている。
 悔しくなる。今、一時とはいえ、自分の都合しか考えなかった。物を持ち出すとかそれだけではなくて、この家に無断で入り込んでしまったことも、そう。不法侵入だって、普段ならもっとためらうはずなのに。マヨイガの力にあてられて、なんて言い訳にもならない。
 頭を占めていたのは、自分自身の願い、それだけだった。悠斗は、ぎゅっと目を閉じる。――そんな自分では、本当に駄目だ。
―――誰かに迷惑をかけてまで、手にいれたい訳じゃないから。
 この家が本当のマヨイガならまだしも、万が一本当にたまたま家人が席を外しているだけなら、物が盗まれたら困るだろう。呪いの能力のせいで人に疎まれるのは慣れているけれど、それ以外のことでまで迷惑をかける存在にはなりたくない。
 ちゃんと努力すれば、いつかきっと、自分の力で人と過ごせるようになれる。だから早く帰って、また知識を深めよう。今日買った本だって、おそらく明日には届く。
 悠斗は、足早に屋敷を出て――何となく入る時よりも重く感じるその扉を、閉じた。





《了》