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<東京怪談ノベル(シングル)>


ロシアン・ボトル

1.浜辺

ある、12月の出来事である。
その日も、途中までは浜辺は平和だった。
熱さを紛らわせる為に、人々…と言っても電子化された人々のデータ…は、浜辺に集っていた。
この船の積荷…数十億人のデータ化された乗客達である。
彼らは彼らが望むだけの広さ。一般常識で考えると、無限と言っても差支えが無い程の広さの浜辺に居る。
電子化された空間、物理を越えた仮想的な空間だからこそ出来る手法である。
そんな無数の乗客達が集う浜辺と、少し離れた所に船の持ち主は居た。
海の中を見てみると、魚が泳いでいる。ついでに人間のような者も泳いでいた。
人間にしては、耳が尖っている。左目が紫色で、右目が黒い。真っ白な天使の翼を背中になびかせているのだから、やはり人間とは少し違う。
だが、ベースの姿は人間の少女のようだ。水着をまとって、優雅に魚に餌をあげている。
人間だが、少し人間とは違う…三島・玲奈は、亜人と呼ばれる事もある。
この、電子化された無数の乗客を乗せた船も、本来なら彼女の身体の一部である。故に、間違いなく彼女はこの船の持ち主だ。
…季節感が無いなぁ、12月なのに。
海中で魚と戯れながら、玲奈は思った。
まあ、地球でも南側は12月は夏だし良いのかな?
玲奈はあまり深く考えなかった。
ここは、データ化された空間である。
一年中夏にもなれば、冬にもなる。すべては気分しだい、乗組員次第だ。
そんな夏の海を見渡せば…
物理的な地域に関わらず様々な魚が泳いでいた。
程よく温かい海水が、静かに揺れている。
近くを漂う潜水艦では茂枝・萌が、窓をガンガンと叩いていた。
…何やってんだ? 萌?
優雅な電子空間に似合わない知人の姿に、玲奈は首を傾げた。

2.消える記憶は?

どうにも一大事の様子なので、玲奈と萌は仮想空間から出てきた。
物理的な空間。つまり現実世界に戻ってきても、玲奈の姿は仮想空間と大して変わらない。水着がセーラー服に変わった位だ。
「人が消えてます」
萌が言った。クールな娘である。
「大変! お巡りさんに言わないと!」
行方不明は大変だ。人さらいかもしれない。
「そうではありません。データが消えています。揮発です」
萌は淡々と答える。
「揮発かー…
 たまにデータ消えちゃうんだよねぇ…」
電子化されたデータも、完全では無い。アルコールが放っておけば少しづつ蒸発して空気に紛れてしまうのと同様、データも少しづつ宇宙に還ってしまう事もある。
「いえ、それが今回は、大掛かりに揮発してます。
 放っておくと、多分、数十億人全部揮発しちゃいます」
萌が言った。
「ちょ、それヤバイ! ダメ! 何とかしないと!」
「なので揮発が収まるまで、ダミーのデータを設置しようと思いまして、データを探してます」
玲奈が騒いでいる間に、すでに萌は作業を進めていた。
乗客そのものとも言える、人格や記憶のデータ。それが失われるという事は、死と同意義だ。それらの代わりに、何か消えても良いデータを用意しようというわけである。
「というわけで、これが一番大事なデータなのですが…」
すでに萌は、この船のデータで最大のデータを探し当てていた。
彼女は玲奈に茶封筒を示す。
「私の亡くなった恋人の思い出…追憶の全てです」
大事なのはデータの量では無く、データの質である。それが、そのままデータの大きさとなる。
単体のデータで、最も重い記憶は、萌の記憶だった。
「そっかー、そしたら、そのラブレターの事も忘れちゃうんだね」
玲奈は萌が示した茶封筒を眺める。
恋人との記憶の全て。
つまりは、彼に渡せなかったラブレターの事も忘れてしまう。
何故、私は彼を愛したのだろう?
何故、私は恋文を書いたのだろう?
思いが何も残っていない茶色い封筒だけが、後には残るのだ。
「まあ、仕方ないから、さくっと消しちゃおうか!」
さくっと玲奈は言ってみたが、
「嫌です」
「嫌ですか…」
さすがに、萌も消す事には抵抗があるようだ。
「ですが…何かを代わりに消さないと、数十億人分のデータが消えてしまうのですよね」
「消えちゃうよね…」
少しの沈黙。二人は、茶封筒を眺める。
「んー、じゃあ、あたしの記憶消しちゃおう!」
玲奈は言った。
「結構、忘れちゃっても良い事ばっかだし」
萌が差し示した茶封筒を、玲奈は彼女の手へと返した。
何故、私の目は色が違うのか?
何故、私には天使の翼があるのか?
忘れてしまっても、まあ良いと言えば良い。良くないけど。
少しの沈黙。
それから、萌が口を開いた。
「いえ、さすがに、そういうわけには、行かないでしょう」
静かに首を振った。
「これを…消しましょう」
萌が指し示したのは、単体のデータとしては2番目に重い記憶。
一つの遊びの記憶だった。

3.ロシアン・ボトル

浜辺には人々が集まっていた。
無数の人々…数十億の人々の手には、一様にペットボトルが握られていた。
ペットボトルはステッカーが剥がされ、中には得体の知れない黒い液体が入っている。
そう、中の液体は開けてみるまでわからないのだ。
萌の思い出の遊びである。
「それじゃあ、皆さん、ペットボトルを思いっきり振って下さい!
 もう、泡でわけわかんなくなる位、振っちゃってね!」
玲奈が言った。彼女も萌も、ペットボトルを振っている。とにかく振っている。
こんなに振ったら、中にコーラのような炭酸飲料でも入っていたら開けた時に大変な事になる。
でも、とにかくペットボトルを振った。振りまくった。
そういう遊びなのだ。
「じゃ、みんな、ペットボトルに顔を近づけて、ふたを取っちゃおう!」
玲奈が言った。
みんなに配ったペットボトルには、一つだけ、本当にコーラが入っている。他は黒ウーロン茶だ。
コーラが入っていたら、当たりというわけである。
ロシアンルーレットという拳銃を使った遊びがあるが、それのペットボトル版というわけだ。
さて、コーラを引き当てて、コーラまみれになるのは誰だろう?
夏の浜辺で、萌が恋人と遊んだ遊びである。
「では、カウントします。
 3…2…」
萌がカウントを始めた。
「1…0…!」
カウント0に合わせて、各自ペットボトルのふたが開けられた。
プシュゥ…
泡と炭酸の圧力が、ペットボトルの中で膨れ上がる。
パン!
弾ける様な音と共に、コーラが噴き出たのは…
浜辺の全てのペットボトルだった。
「あ…データの設定間違えちゃった…?」
コーラまみれになった玲奈の目が点になっている。
浜辺ではコーラにまみれた人影が数十億。
萌は何も言わずに、じーっとコーラまみれの目を玲奈に向けている。
それが、ひとつの遊びの結末だった。
…なんで、こんな事をしたのだろう?
…なんで、コーラまみれになっているのだろう?
もうすぐ、皆が、この遊びを忘れてしまう。
でも、みんな生きていた…
萌の思い出は、この地味な遊び以外は、残っている…