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<東京怪談・PCゲームノベル>


――懺悔に教会――




 夢の中で、雪森・雛太は、その教会を訪れた。
 けれど彼自身は、それが夢の中であることを、知らない。
 そして、ここで甦った記憶が、目覚めた後には、きれいさっぱり消えてしまっていることも、やっぱり彼はまだ、知らない。

 知らない間に記憶の蓋は開き、知らない間に溢れだし、知らない間に、また蓋は、そっと閉じられる。
 この日溢れだした彼の記憶は、ある一人の人物との初めての出会いについてだった。
 彼自身がその人物「久坂洋輔」と初めて会ったと認識しているのは、大学の二年生も五年目になろうかというある日の、草間興信所でのことだったけれど、ここで掘り起こされるのは、それより以前のある日の事だ。
 彼自身ですら忘れてしまっているような、脳の奥に眠る褪せたその日の記憶が。
 今この瞬間にだけ、酷く鮮やかに、甦る。



×× ある遭遇 ××



「ごめんなさい、雪森くんの事は好きだけど、私達、やっぱり、合わないと思うの」

 雛太は、そんな事を言っていた彼女のことを思い出している。
 言われたのは、ついさっきだ。

「ごめんなさい。雪森くんの事は好きだけど、私達、やっぱり、合わないと思うの」

 それならそれで、それは別に、もーいー。
 雛太は、グレーのダッフルコートのポケットに、両手を更に強く押し込む。

 だいたい、こっちだって始めから、合うなんてこれっぽっちも思っていなかった。というより、合うかどうかを見極める程に、彼女はきっと、俺のことを何も知らない。内面も、好みも、何も知らない。俺だって彼女の事を知らない。
 あの子は多分、俺の内側ではなく、外側にあるものを見ていた。
 顔やスタイルや、あるいは、それなりに優秀な成績とか、そつなくこなせる運動の能力とか、そんな、目に見えるものを。
 そういう人は何故かわりと居て、雛太の性格も知らずに告白してくる女子もわりと居て、そして結果的には、だいたい、こうなる。
「ごめんなさい」と。
 でも、ごめんなさい、の後に続くのは、「雪森くんの事は好きだけど、私達、やっぱり、合わないと思うの」ではなくて、勝手に勘違いして突っ走ったことを詫びる内容であるとか、結局外見しか見てなかった自らの浅はかさ、であるとか、そういう事であるべきだ、と思う。
 最初から最後まで、彼女には嘘とか虚勢とか、自分にとっても耳触りの良い言葉とか、手慣れた相槌しかなく、心の内側が見えるような、彼女自身が透けて見えるようなそんな部分を、正直に見せてはくれなかった。
 もっと素直に、何でも語ってくれたら良かったのに。
 そしたらもっと、君に興味が持てたかも知れないのに。
 なんて。
 ほんの微かに思い付いた仮定は、結局見なかった事にして、飲み込んだ。
 何より実際にあったのは、面倒臭いと思う程度にしか、彼女の事を見ていなかったという事実だけなのだし。
 けれど。と、こんな事がある度、雛太は、思う。
 この先俺は、面倒臭くないと思える人に、出会えるんだろうか。と。
 出会ったとして、それを俺は喜べるんだろうか。と。
 するとすぐに、そんな日は来ないんじゃないかな、という予感が胸をじんわりと冷たくし、仄暗くする。

 雛太は息を吐きだした。
 白い息が、ふわーと漂い、消えて行く。

 人は皆、いつかは死んでしまう。どうせ、分かりあったって、楽しくったって、全部、忘れて、なくなってしまう。
 そんな諦観と無気力が、この頃いつも、思考を支配している。
「雛太は俺に似て、理屈屋だからな」
 そういう時、決まって思い出すのは、柔らかく微笑む祖父の顔だ。
 けれど、他愛もない事を熱心に語り合えるあの人は、もうこの世には、いない。
 あの人がいなくなる前の自分がどんな風だったのか、どんな風に笑い、人と繋がっていたのか、懸命に思い出してみようとするのだけれど、上手く、思い出せない。

 祖父が亡くなって暫くした時、忽然と生活の中から消えた祖父の姿に、雛太は酷く戸惑ったものだった。
 余りに唐突に訪れた「爺ちゃんが居なくなった」という現実は、茫然とするほど簡単に「ついこの間まで居た」という過去より、いつでもすぐ傍にあり、その余りの呆気なさに、もう居ないという現実を認識出来ず、途方に暮れた。
 物心がつく前に、両親と死別して、それからずっと自分と共に居てくれた祖父が、いつかはいなくなってしまうなんて、そんな事、考えてもいなかった。
 いや、いつかは、とは思っていた。思っていたけれど、その「いつか」は、漠然とした「いつか」で、曖昧模糊とした蜃気楼とほぼ、一緒だった。
 それなのに爺ちゃんは、まるで眠るような様子ではあったけれど、本当に、死んだ。
 人は、死ぬのだ。
 それ以来雛太はわりと、何か行動を起こそうとすると、「面倒臭いな」とすぐに考え、やめてしまう事が多くなってしまった。
 何か言葉を発しようとしても、「でも、やっぱりな」とすぐに考え、諦めてしまうようになった。
 何がどう転んでそうなってしまったのか、この足枷は何なのか、そして以前はどうだったのか、もっと違ったはずなのに、思いだそうとしても、やっぱり、上手く思い出せない。

 祖父が居なくなってしまってからというもの、いろんな人が、そんな雛太を慰め、手を差し伸べようとし、励ましてくれた。
 それに気付かずにいるくらい鈍感になりたくはなかったし、感謝なんて少しも感じない、なんて、そんなわざとらしい捻くれを披露したくもなかったけれど、本当は、煩わしさの方が、大きかった。
 放っておいて欲しい、と切実に思った。
 励まされる度、お爺ちゃんはもういないんだからね、と言い聞かされているようで、その大きな現実を眼前に突き付けられ、心に無理矢理鎖を付けて引っ張られるようで、居た堪れなかった。
 分かっているから今は、もう少しこの生温かい殻の中に居させて欲しい。そう、切実に、願った。
 わざとらしく、あるいは、意図して差し出される慰めや励ましは、無理矢理差し出される食事に似ている。
 空腹なのは間違いないのに、さあ食べろ! と差し出されると、それを食するのにどうしても、躊躇ってしまう。
 やっぱり空腹だったんでしょ、と、相手に勝ち誇った顔をされたりすると嫌だし、そこに無邪気に飛びついてしまった後、その余りに美味な味を、忘れられなかったらどうしよう、と、そんな危惧だって、あるし。
 とか、そんな事をいろいろ考えてしまうのは、性格が歪んでいるからかも知れない、とも、自分で、思う。
「雛太は俺に似て、繊細だからな」
 また、自分に良く似た、歳を取っても、何処か物憂げな青年みたいな、そんな祖父の顔を思い出した。

 雛太はまた、白い息を吐き出す。
 ふわ、と空に舞った途端、それは、すぐに薄闇の中に溶けて。
 不意に、美味しそうな匂いが鼻を吐き、雛太は今、自分が駅からの帰り路を歩いていることを、遅れて、夕食を買って帰らなければならないことを、思い出した。
 時間になったら飯を食い、夜になったら眠り、朝になったら目覚めて、ただ、漫然と、生きている。
 死にたいとも、生きたいとも思わず、目についた弁当屋に入り、目に付いた唐揚げ弁当を注文した。
 店の隅に置かれた椅子に腰掛ける。

 そこに、一人の男が、入店してきた。
「ちが、だからさ。例えばさ。向こう側から、人が歩いてくるとするだろー」
 とか何か、手に持った携帯電話に向け、喋りながら入って来た。
 雛太は、その声に誘発されて、ちら、と顔を上げた。
 だらしのないジャージ姿の男は、自分と同年代のようにも、見えた。ライオンのように広がった金髪に、ヘアバンドをつけている。
 とか別に、知り合いでも何でもなかったので、すぐに顔を伏せ、また、ぼんやりとした。
「いやだから、最後まで聞いて。ね? で、道幅は、大人二人がぎりぎりすれ違える程度なわけ。ね。ほんで、叔父さんは、真っ直ぐ進んでる。そしたら、相手も真っ直ぐ進んでくる。どーするよ」
 どーするも何も。
 と、男の声が余りに大きく遠慮がなかったため、思わず雛太は、心の中で反応をしていた。
 避けるのだ。
「いやー。分かってないなあ。避けちゃだめ。避けとくとか、もー、一番、駄目」
 まるでこちらの思考を聞き取ってるかのようなタイミングで、男が答えた。
 通話の相手も同じ意見を答えたのか、と思うと、何だか気恥しく、雛太は、益々、俯いた。
「だって、相手だって避けてくるかも知んねーでしょー。そしたらそこでまたがっちゃんだよ。避けた意味全然ないよ。だったら避けずに居た方がいいんだよ。ね、分かるでしょ。俺は俺でとりあえず真っ直ぐ行きゃーいーのよ。最初からいちいち譲らなくていい。あ、店員さん、俺あのこれ、唐揚げ弁当ね。いやいやうん、こっちの話」
 バカな。と雛太は思う。
 それで相手も避けなかった場合こそ、面倒臭いのだ。ならば最初から面倒は回避しておいた方がいい。
 最悪の事態を考えておいた方がいい。
「あのね。そんなの、そん時考えた方が、絶対いいんだって」
 また、男がこちらの思考を聞き取っているかのようなタイミングで言った。「だいたい、前から歩いてくる人を避けることに成功したからって、歩いた先に水溜りとかあったらどうするわけ。ほんで、うわ、とか思ってる間に、ちょーどまた前から歩いてくる人とがっちゃんしたりして。先に避けとかなきゃ、もうちょっと先ですれ違えたかもしれないのに。ほら? どう? 先の事を考えとく、なんて無駄でしょ」
 それは、屁理屈だ、と雛太は思った。
 そしたら凄いシンとした店内に、電話の向こうから微かに聞こえる声が「それはお前の、屁理屈だ!」と、喚いたのが聞こえ。
 思わず、雛太は、顔を上げた。
 店員さんも何かちょっと気まずげなくらいだったけれど、男は平然とレジで金を払っていて、しかも「そう、屁理屈だけどね」と、自ら、認めている。
「まあ、叔父さんの言ってる事の方が正しいとかさ、そっちが常識だとかさ、良くあるパターンだとか、大多数の人間はそうする、とかさ、それはそれで何でもいいんだけどさ、俺は俺のやりたいようにしかやらないし、俺の優秀な頭はさ、やりたいよーにやった後、困った事が起こった時に、使うからさ」
 また何事か、向こう側から相手が怒鳴っているらしい声が聞こえる。
 確かに、男の言っている事は滅茶苦茶で、話を最初から知らなくても、全く共感出来る部分がない、と思った。
「んーいや、心配してくれてんのは分かってるけどー。だから、俺は俺の楽しいように生きてるから、別に他は、もーいいんだって。後で困ってもさー。今楽しかった事のツケなんだなって思って、諦めるからさ。だってさ、別にどんな未来が来るかで、今この瞬間の楽しさが変わったりはしないんだしさ。要するに、気の持ちようでしょ」

「唐揚げ弁当のお客様」
 そこで徐に上がった店員の声に、雛太は少し、ハッとする。

 それは先に注文した雛太に向けられた言葉のはずだったので、受け取るべく立ち上がろうとし。
 たら、既にもー電話の男が、「あ、俺、俺」と、さっさと受け取り、店を出て行ってしまった。
 店内がちょっと、シーンとする。
 え、何? いいの? みたいに、店員が凄い呆気に取られた顔をした。
 その顔が余りに間の抜けた顔だったので、雛太は顔を伏せ、思わずちょっと、笑ってしまった。
 そして内心で、久しぶりに笑ってる自分の頬に、戸惑っていた。



 ×× ×× 



 この時の二人はやがて、数年後、草間興信所という、胡散臭い匂いのする小さな興信所を接点に再会する事になる。
 草間興信所でアルバイトをする青年久坂洋輔と、草間興信所に何となーく出入りしながら、依頼の調査を手伝っていた青年雪森雛太として。
 けれどもちろん、二人はこの時のことをまるで覚えてはおらず、不意に感じるデジャヴュを、親近感と勘違いしながら、いずれは親友と認識し合う二人になって行く。

 それでも。今も彼らの脳の彼方に埋もれた、この遭遇を。
 神様だけは、知っている。





    END






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 2254/ 雪森・雛太 (ゆきもり・ひなた) / 男性 / 23歳 / 職業:大学生】