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<東京怪談・PCゲームノベル>


――懺悔に教会――




 僕は透明な殻に覆われている。
 とても丈夫で、とても透明なその殻は、時々自分自身ですら忘れてしまいそうになるくらいに僕に馴染んで、だから、誰も気づかない。
 けれど、それは確かにそこに存在し、笑顔も会話も、とても上手に出来るけれど、僕の全ては、フィルター越しだ。
 そうして僕は、誰にも触れられることのないよう、僕は僕の作った透明な殻の中に、閉じこもる。
 これはそんな僕の、ある日の、話。



×× ある接触 ××



「風邪を引かれたそうですね」
 戸口に現われた、葛井に向かい、久世・優詩は、言った。
 寝起きなのか、頬まである長さの髪が、ところどころ、寝ぐせのようにはねている。
「ああ、まあね」
 と、彼は、気だるげに答えて、部屋のチェーンを外した。
「それで? どうしたんだい?」
 寒そうに、肩から引っかけた薄手の毛布を寄せている。
「マスターが様子を見て来て欲しいと。ついでに具合が良さそうなら、何か軽いお食事と飲み物でも、と思ったんですが」
 と、喫茶店「宿り木」から持って来た紙袋を軽く、掲げる。
「ああ、そう」
 掠れた声が、頷いた。「それは、どうも。じゃあ、どうぞ」
「ああ、いえ、風邪が酷いようですので私はこれで」
 と、否定を口にしている間に彼は、もうさっさと室内に引き返して行く。
 戸口に突っ立って話をしているのは、寒かったのかも知れない。
 鍵を閉めて貰う為には、彼をまたその寒い戸口に呼び返さなければならず、そのまま不用心な戸口を放りだすのも、彼を呼び戻すのも、どちらも何となく面倒な気がして、優詩は結局、彼の後に続き、部屋の中に入った。
 葛井は、マスターの古い友人の息子で、宿り木の常連客だ。
 確か、何処かの大学の助教授だとか、学者だとか、そういう職業らしいと聞いた気もするけれど、詳しくは、知らない。
 自分の事をやたら語りたがるお客さんというのも居るけれど、その逆に、自分の事を全く語らない、どころか、気付けば気配が消えているようなお客さん、というのも居て、葛井は、どちらかと言えば、後者の方だった。
 いつも、カウンターの端の辺りを選び腰掛けて、何らかの本を片手に珈琲を飲み、頬にかかるくらいの髪を時折かきあげながら、時折、静かにページを繰っている。
 だからといって、別に人を寄せ付けないわけでもなくて、話しかけられればそつなく洒脱な返答を返していたりもする。
 そんな得体の知れない所のある彼の部屋は、得体の知れない書籍に、大半のスペースを占領されていた。
 壁にある書棚にはもちろん、床にも大量の本が積まれ、書類の束などがはみ出してもいる。
 彼は、その中に埋もれるようにして置かれたロッキングチェアの上に、大量の毛布と共に、もっそりと、座っていた。
「マスターも、心配しておられましたよ。具合はどうですか」
「まあ、別にね。残念ながら生きている、と伝えておいて。それにしても自分で見に来ればいいのに、面倒臭い人だね。わざわざ優秀なバールマンにこんな用事を言いつけるなんて」
 その何処か皮肉とも嫌味とも取れる口調はいつも通りだったけれど、いつもはすっきりとした切れ長の目が、今日は少し、腫れぼったくなっていた。瞳が、赤く充血してもいる。風邪が酷いのかも知れない。辛そうだった。
 あいつは風邪でくたばるくらいの事はやってのけそうな男だ、とマスターが言っていたのを思い出した。
 それを聞いた時は、そんなバカな、と思ったし、実際、「風邪で、ですか。まさか」と口にも出して言ったのだけれど、すると「あいつならあり得るな。自分の事には無頓着な所があるんだよ。生活に対する気迫が、希薄だ」と、返された。
 そして、「お前と一緒だよ」と、マスターは最後にポツンと付け加えた。
 何がどう一緒なのか、一体彼が何を表現したかったのか、まるで分からず、途方に暮れた。それで、「私は違いますよ」と、とりあえずその時は答えておいたのだけれど、今、葛井のこの現状を見ても、何がどう一緒なのかやっぱり全く、分からない。
 それどころか、全然違うじゃないか、と、ちょっと怒りたいくらいだった。
 生活に対する気迫が希薄。と、マスターに評された彼のよれよれのワイシャツの襟が、毛布からはみ出しているのが、見える。
 あちらこちらに、埃のかたまりが、見えた。
 こんな部屋に居たら、僕なら、一日で発狂している。どちらかといえば、綺麗好きな方だと思うし、身なりもきちんとしている方が好きだ。
 だいたいこの部屋は、風邪を治すのに適した環境には、見えない。どころか、ここに居ては治るものも治らないのではないか、という予感がする。
「それにしても、少し、掃除なさった方がいいんじゃないですかね」
 思わず口から出てしまって、「ああ、もちろん、具合が良くなってから、ですけど」と、付け加えた。
「これを片づけようとしたら、治った風邪がまたぶり返すに違いないね」
 葛井は、さも面倒な指摘を貰ったかのように、顔を顰めた。それから、「それに、寝室は、もう少し、きれいだから、大丈夫だ」と、まるで、玩具を片づけろと言われた子供が、必死に言い訳するように言う。
「本当ですか」
「本当だよ。隣の部屋だ。マスターへの報告の義務があるなら、是非、見てくれたまえ」
「見てしまったら、悪い結果を報告しなければならないような気がするので、やめておきます」
 困ったような優詩の返答に、葛井が小さく、笑う。
「それはどうもありがとう。助かるよ」
「暖かくして、薬をちゃんと飲んで、ゆっくり休んで下さい。今度はマスターも連れてきますので」
「やめてくれ。あの人の小言は、病状を悪化させる」
「そうですかね」
「そうですよ」
「じゃあ、これ。ここに置いておきますね」
 物を置く場所を探すのも一苦労だったけれど、何とか手短な場所を見つけ、そっと、置いた。
 得体の知れない雪崩が起こったらたまらない。
「ああ、ありがとう。わざわざ悪かったね」
「いえ。じゃあ」
 そうして踵を返そうとした時だった。
 がつん、と何かが、腰にぶつかり、ばしゃん、と落ちた。もわ、と埃が舞う。
 どうやらそれは、本の上に積み上げられていた小箱のようだった。中身が床に、散らばる。
 写真が数枚と、写真立てが、一つ。
「ああ、すいません」
 優詩は慌てて拾い上げようとした。
「いいよ、さわらないで」
 背後から声が聞こえ、ぎし、と、椅子の軋むような音が聞こえた。
「いえ、でも」
 写真立てをもー手に取ってしまっている。しかも、裏返して中身を見てしまった。
 今度は慌てて、それを裏返そうとして。
「いいんだ。触らないで」
 声が驚くほど近くに聞こえた。
 振り返ると、すぐ近くに、葛井の顔がある。
 そっと写真立てを持つ手に、彼の手が、触れた。
 熱い。
 彼は熱があるのだからそれは別に当然な熱さだったのだけれど、その時は、その熱さが妙に衝撃的で驚いてしまい、優詩は、思わずそれをガタン、と床に落としてしまっていた。
「あ、すいません」
 飛び跳ねるように、といっても何せスペースがないので、さほど移動も出来ないのだけれど、気持ち的には飛び跳ねるように、さっと優詩は、その場を移動する。
「やれやれ。君は、掃除をしろ、と言いながら、俺がせっかく掃除をして直しておいた物を、取り出して散らかした。嫌がらせなのかな」
 写真立てと写真を拾い集めた葛井が、また、小箱にそれらを戻しながら、苦笑する。
「……すいません。そんなつもりは」
「冗談だよ。分かってる。全部、マスターが悪い。いちいち常連客が風邪をひいたからって、バールマンを派遣したマスターのせいだ。そういうことにしておこうよ」
 写真立てに映っていたのは、葛井と、誰かだ。それは若い青年で、そこにあるどれもが、その若い青年の写真だった。
 その人は、もう居ないのか、あるいは、もう連絡が取れないのか。それともただ、箱の中に閉まっていただけなのか。
「彼は、大切な人だったけれど、今はもう、居ない。生物は皆死ぬ。彼もその理法に則って居なくなった」
 まるでその優詩の内心を読み取ったかのようなタイミングで、また元の場所に箱を積み上げた葛井が、素っ気ない口調で言った。
「俺がそう説明すると、だいたいの人が、悲しそうな表情で、ああ、なんて、言ったりしてね。分かりますよ、辛いですね、なんて、言ってくれたりもするんだけどね。でも、別に分かって欲しいと思ってないし、そんなに簡単に分かって貰える事だとも思ってないんだ。この事はマスターも知ってるし、何なのかって気にされるくらいなら、説明くらいは誰にでもするけど、でも別に何も求めてはないんだ。だから、君も、これに関しては、何も言わなくていいよ」
 葛井がじっと箱を眺めていたので、思わず優詩も、じっと箱を見つめる。
「ただ君は、この事を気にせず、またマスターに派遣を要請されたら、何もなかったようにこの部屋を訪ねてくれればいい」
「訪ねて、欲しいんですか」
 言葉は、不意に零れ落ちた。
 暫くして、「さあ?」と、彼が曖昧な返事を返した。
「何事もなかったかのように?」
「そうだね。何も見なかった事にして。君は、それが出来る人でしょ」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だけど」
「どういう、意味ですか」
「理性的だ、という意味だよ」
「そんな事、ないです」
「そうかな」
「カウンターの前に居る時は、何だかそんな、気分になるだけなんです」
「そんな気分?」
「暖かな冷静さに満ちた気分」
「それは、いいね」
「あれは、不思議な装置ですね」
「じゃあ、俺の家にも、是非それを置こう」

「……やっぱり。何も見なかったことになんて出来ません、って、言った方がいいですか」
「さあ。それは、君が決める事だから」
「決めて欲しいんです。僕には決められない」
「君はずるい人だね」
「そんなこと、初めて言われました」
「だろうね」
「僕は、ずるいですか」
「ずるくないよ」
「でも今、ずるいって言いましたよね」
「君はずるくない。俺が弱くてずるいから、人の事も、そんな風に見えただけだよ」
「淋しいんですか」
「淋しくないよ」
「そうきっぱり言われると、寄り添いにくいですよ。誰も寄り添ってくれなくなります」
「そう、じゃあ、次からは、気をつけるよ」
「寄り添われる事なんて、求めてないんでしょう」
「求めてないね」
「それで、いいんですか」
「それで、とは?」
「だいたい、見なかった事にするくらいなら、ここにはもう、来てくれなくていい、と言うべきなんじゃないんですか」
「君は鋭い事を言う」
「じゃあ、そうした方がいいですか」
 不意に、頬の辺りに、葛井の視線を感じる。彼を見やれば、その唇が、音を立てず、小さく緩んだ。
「どう、答えて欲しいの」

 そう言われても困る。
 自分でも、どうしてこんな会話をしているのか、分からないのだ。
「貴方は、ずるい人ですね」
 優詩は、俯く。「決めてくれればいいのに」

「踏み込むことを恐れる前に、踏み込まなければ、いいよ」
「簡単な答えですね」
「そう、簡単な答えだよ」
「そして踏みこまれる前には、逃げますか」
「そうだね、それが一番いい」
「今度は、誰も、助けてくれなくなりますよ」
「助けて欲しい自分に、気付かないふりをすればいいよ」
「誰も壁を壊してくれなくなる」
「壊されたくないんだよ、誰にも。上手く作りあげたんだから」
「なるほど」
 優詩は、不意に、小さく、笑う。
「なるほど?」
「いえ、意味が分かりました」
「意味?」
「マスターが言ってた意味です」
 そう。確かに、僕と彼は、似ているのかも、知れない。
 だけど。

「ふうん」
 葛井が、興味があるのかないのか、分からないような返事をした。
 そして、
「さて。少し疲れた。そろそろきちんと眠るよ。今日は、ありがとう。マスターにも宜しく伝えておいて」
 と、会話を切りあげるように、言う。

「はい。お疲れのところ、すいませんでした」
 と、優詩は、今度こそぶつからないように踵を返す。

 だけど、結局、似ていると分かった所で、僕と彼の関係は、何も変わりはしない。

「また珈琲を飲みに来て下さい。マスターも、待ってますから」
 雪崩の起きない地点まで出て、それは廊下の辺りだったのだけれど、ゆっくり振り返り言うと、彼は、小さく手を上げ、微笑んだ。





    END






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 8440/ 久世・優詩 (くぜ・ゆうし) / 男性 / 27歳 / 職業:バリスタ】