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<東京怪談ノベル(シングル)>


不”凍”不屈の絶対零度

 常夏の異界・熱帯楽園。その最高級リゾートホテル最上階、エンパイアスイートのサンルームで水着姿の少女が文字通り羽を伸ばし、翼を広げてくつろいでいた。IO2戦略創造軍情報将校・三島玲奈は、カウチに寝そべって捜査資料に目を通しながらひとりごちる。

「これが単なる休暇なら、最っ高なんだけどな」

 残念ながら、ここへはIO2の任務で来ている。宿泊客の相次ぐミイラ化。いくつかの目撃者証言により、部屋が白煙に包まれたことが分かっているが、それ以外は不明の怪事件。
 おかげで、ミイラ化の起こったリゾートの周辺経済には大打撃だ。だからこそ、経費で賄える程度の値段でこのVIPルームを拠点に出来るわけだが。とはいえ任務を完了しなければこのちょっとした贅沢の言い訳が立たない。
 玲奈は頭の中を整理しようと、紫と黒のオッド・アイを閉じた。
 そう、勿論これは渋谷でのファフロッキー現象とも関係がある。

 怪雨、魚の雨、ファフロツキーズ。呼び名は数あれど、その現象は古来から変わらない。即ち「降るはずのないものが空から降ってくる」事件だ。魚、蛙、血の雨の例は多いが、渋谷のそれはいっぷう変わっていた。
  降ってきたのは無数の仏像だったのだ。石仏、木造仏、金銅仏。素材も大きさもさまざまな仏像が渋谷の街に降り注いだ。それはビル壁を壊し、道行く人々を 打ち倒し、車の屋根をぶち抜いたが、仏像自身には傷ひとつなかった。
 地蔵菩薩像が割ったビル窓の破片はオフィスの人間に突き刺さり、その光景に目を奪われたタクシーはスクランブル交差点に突き立った仁王像に正面衝突、運転手は即死。パニックに陥った群衆が逃げ惑う中、三十三間堂もかくやの大量の千手観音像が降り注ぎ、その腕は観光客、警官、女子高生、渋谷の人々の腹を突き抜いて引き裂いた。
 衆生を救うべき仏が雨霰と降ってすべてを傷つける、阿鼻叫喚の地獄絵図。
 そのまっただ中で、男が一人「願いを言え!」「仏に願いをかけろ!」と哄笑していたという話もあるが、あまりの混乱のために真偽は杳として知れない。

 と、いうことになっている。IO2の見解は別だった。
 先日のIO2本部での任務説明。ブリーフィングルームのスクリーンと、玲奈のタブレットには、ある映像が映し出されていた。
 地球から50光年の先。光は全て星であるはずの空間に、架空実在を問わず古今東西の”宇宙船”をコラージュしたような奇妙な艦隊が紡錘陣形をとっている。

「これは過去半世紀までに地球から放送された特撮映像の電波が実体化したものだと思われる。コードネームは、”大虚構艦隊”」
 渋面のIO2司令官とは逆に、玲奈は白けたような表情を浮かべる。
「大虚構艦隊ね、かっこいいネーミングだわ。どうせならトレッキアン艦隊とか既知との遭遇艦隊とか名付けちゃえばいいのに」
 頬杖をついて画面を眺める玲奈に向かって、司令官は顔をしかめてみせる。
「くだらんジョークを言っている場合ではないぞ、三島玲奈。周知の通り、ヒッグス粒子は虚構に質量を与え実体化させる」
「この大虚構艦隊はヒッグス粒子の安定供給に成功したと?」
「まだだ、今のところはな。だがその最悪な事態も想定せねばならん。原子核研究機構から暗黒物質が盗まれた」
 パッ、と新たにウィンドウが立ち上がった。映像の中で、研究所の厳重なセキュリティに守られているはずの保管ケースが光り、一瞬にして消え去る。
「大虚構艦隊の尖兵が活動を開始したのね」
「我々もそう考えている。渋谷の事件も、物理則を操作できるという意思表示だろう」
「それだけのためにあんな惨事を? おまけに現実の改竄だなんて……気に入らないわね」
 刹那、改造された自分の身体を思い、玲奈は顔をしかめた。
 別人のように鋭い表情を見せた少女情報将校に、IO2司令官は厳しい顔で向き直った。
「我々は、この怪異を終息させねばならん。局所的な物理法則の書き換えが行われていると思われる。今ならまだ大虚構艦隊の先手を取れる。尖兵を叩き潰せ。類似事件が発生しているのは熱帯楽園だ。」
「了解。熱帯楽園へ向かいます」
 お手本のような敬礼を見せた玲奈の左目は、アメジストのごとく炯々と光っていた。


 回想から意識を戻した玲奈は、ふっと顔を上げる。もう一度自分の推論を確認して、頷いた。
「うん、やっぱりトリックはこれしかないかな」
 結論が出た以上、豪奢なスイートに居心地の良いサンルームともお別れだ。玲奈は名残惜しそうなため息をつくと、翼を服に押し込み、現地捜査当局へ向かった。
 

「一部が粉末化した、ミイラ状の死体。そして白い煙。この事件、凶器は液体窒素よ」
 三島玲奈の”推理”に、現地の刑事は驚きよりも不快に近い戸惑いを見せた。
「液体窒素? 窒素は凍らない。永久気体だ。窒素での瞬間冷凍など非科学的に過ぎる」
「その通り。刑事さん、これは非科学的な事件なの。犯人は、窒素が凍り得ないこの世界の法則を書き換えることができる人物だわ」
「馬鹿馬鹿しい。仮にそれが本当だとして、そんな無茶が出来る人間をどうやって探せっていうんだ?」
 刑事はもはや玲奈への不信感を隠そうともしない。
「そうね、私もそれが一番の難題だと思ってたんだけど」

 三島玲奈は自信たっぷりに微笑んだ。

「ねえ、刑事さん。窒素が永久気体だってわかってるのに、どうして私が言いもしなかった”瞬間冷凍”なんてことを思いついたの?」
 瞬間、周囲の空気が文字通りに冷え込んだ。玲奈は咄嗟に物理則を修復し、自らへの攻撃を阻止する。刑事の仮面を脱ぎ捨てた男は、愕然として叫んだ。
「貴様、戦闘純文学者か!」
「ご明察」

 自己複製能力を持つナノ・アセンブラ工場、それがコルヌコピア・マシンだ。ましてや男の力の源ともいえる暗黒物質型コルヌコピアは、高次元のダークマター崩壊を原エネルギーとして、局所的に物理法則すら書き換える。優位なのは男のはずだった。だが、書き換わったはずの物理法則はあっという間に修正された。こんな干渉をしてくるのは、IO2戦略創造軍の戦闘純文学者をおいて他にない。
 だが正体を看破された玲奈は余裕綽々、男に向かって小首を傾げてみせた。

「暗黒物質型コルヌコピアマシン……熱帯楽園に寒波をもたらして、穀物王にでも成る気?」
 あっさりと手口を見抜いたあげく、揶揄して笑う玲奈。男は憎々しげに顔を歪めた。
「幼稚な邪推だ」
 苛々した様子で男が手を振ると、大量の氷柱が玲奈に向かって射出された。だが玲奈も負けるはずがない。紫の左目が光ったかと思うと、念動力により氷柱が軌道を変え、他の氷柱を巻き込んで四散する。きらめく氷の破片の向こう側から、玲奈へ氷柱の第二陣、ほとんど間を置かずに第三陣!
 玲奈の念動力だけでは間に合わず、左目からの光線で迎撃を試みる。壮絶な撃ち合いとなった。コルヌコピアマシンの力を利用して出現する氷柱は、圧倒的な質量によりほとんど重火器じみてきたが、玲奈への決定打とはならない。同様に、砕けた氷が一種の緩衝帯となって、玲奈のレーザーも男に致命傷を与えられないでいた。

 事態が膠着するかと思われた、その瞬間。
 突如、空間に渦が発生した。

 玲奈は反射的に翼を広げて距離をとり、耐霊障フィールドを発生させる。対照的に、男は驚いたような顔のまま、一瞬にして渦に呑まれ、消えた。あとには氷柱の痕跡すら残っていない。

「……暗黒物質が生んだ余剰次元の狭間に呑まれたのね」
 愚かな男、とそっと玲奈は呟いた。

 玲奈の心は絶対零度だ。けれど、そう、永久気体は凍らない。