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<東京怪談ノベル(シングル)>


羽ばたく気持ち

■□■

 毎朝目が覚めた瞬間、三島玲奈は身動きが取れない事に気付き絶望する。可愛らしい少女の肉体への主観変更は可能だが、玲奈の脳髄は不気味な巨躯の戦艦にあった。重々しい雰囲気とそれに見合った成績を残す戦艦は、羽田空港の巨大な格納庫に大切に収められていた。
「やっぱりここでしか起きられないんだ」
 寝起き直後では主観変更はままならず、毎度玲奈が目覚めるのは暗い格納庫の中だ。就寝時にいくら肉体に意識を縛り付けていても、寝ている間に本来あるべき場所へ意識は戻ってしまうのだ。
 空調設備の行き届いた格納庫内は光も入らない。大切に保管されているのかもしれないが玲奈にとってその暗闇は苦痛でしかなかった。
 朝目覚めたらカーテンの隙間からこぼれる太陽の光を感じ、それに目を細め猫のように大きく伸びをして、朝食の匂いが漂う中準備を開始するというのが一般的な朝のイメージなのではないかと玲奈は思う。
 玲奈は改造される前から男勝りな性格であったし、乙女の朝というものを特別視しているわけではない。ただ一般的な朝の風景をしばらく見ていないから、余計に恋しくなっているのだった。それに同い年の友人たちの朝と比べたら天地の差があるのは明らかだ。
 玲奈は、目覚めたらまず始めに暗闇を感じ、身動きできないことに気づき、今日も同じ場所で目覚めた事にがっかりして溜息を吐くのだ。
「信じらんない。一度で良いから一般的な朝を迎えてみたいのに」
 誰も居ない暗闇はひどく冷たくて恐ろしいものだと玲奈は思う。
 気分はどんどん落ち込み口から零れるのは愚痴だけだ。
「悪夢なら覚めて欲しいんだけど。目が覚めたらあたしは眩しい光に包まれてたいし、暗いところで目覚めるなんてもうイヤ」
 鋭角の翼を持つ巨大な甲殻類のような巨躯はまるで怪物のようで。
 うじうじしていても仕方ないと前向きに考えるようにはなったが、その姿は本意ではないし所謂「普通」の女の子にふとした瞬間に戻りたいとも思う。可愛らしい少女の姿と言っても、とがった耳や天使の翼、鮫の鰓を持った姿なのだ。元の自分の姿とはかけ離れている。それでもこの戦艦の姿よりはマシなのだが。
 玲奈は布団の中で目覚める朝を思い浮かべ、もう一度深い溜息を吐く。
 狭い格納庫に閉じ込められていると、まるでその怪物のような姿を世間から隠されているような気さえしてくるのだ。
「あたしのこの姿なんて……」
 沈んだ心のまま玲奈の意識は闇の中へと落ちていく。玲奈は起きるのも面倒くさくなり、そのまま二度寝を決行する事にしたのだった。

「あーあ、やっぱり暗いなあ……」
 眠りの世界から浮上した玲奈の視界に映るのは、見慣れた暗闇だった。
 何度願っても暗闇の中で目覚める日々。
 それならばこのまま暗闇の中で過ごすのも有りだろうと玲奈は思ってしまう。なまじ外の世界に目を向けてしまうからここにいる事が苦痛になってしまうのだろうと。
 もうこのままここに閉じこもっていようかな、と玲奈が思った瞬間、格納庫の扉が開かれ外から眩しい光が差し込んだ。
 

■□■
 
「ほらほらー、さっさと行くよ」
 神聖都学園の生徒が賑やかな声を上げながら羽田空港の見学者コースを掃除用具を持って進んでいく。その先頭を行くのはムードメーカーでもある瀬名雫だ。
 今日は楽しみにしていた戦艦の大掃除の日なのだ。生徒達の目の前には「JAXA・防衛省・戦略創造軍所属特等戦艦れな」のプレートがある。それに目を輝かせているのは戦艦などに興味がありそうな少年だけではない。実際に今も戦果をあげ続ける戦艦の大掃除だ。性別を抜きにしてその戦艦に対しての憧れがあるからか足取りも軽い。
 案内された道筋を辿り、辿り着いた格納庫の前で大きな扉を見上げる面々。その扉の向こう側には憧れの戦艦が収められているのだ。皆は高鳴る鼓動を押さえ、閉ざされた扉が開いていくのを固唾を飲んで見守っていた。


 一筋の光が暗闇の中へと入り込む。玲奈の暗闇の世界にもたらされた光の筋。それらは一本また一本と増えながら玲奈の巨躯を照らし始めた。
 格納庫の屋根が順に開いていき、ついには玲奈を太陽が照らし出す。
 その瞬間、その光景を見守っていた生徒達が歓声を上げた。
「うわー、やっぱでかいなあ」
「すっげー!」
 戦艦玲奈に向けられる言葉はすべて玲奈を賞賛するもので、貶したり否定をするものではなかった。玲奈を傷つける言葉は一つもない。
「よーし、皆。手分けして掃除するよ。船内組はあたしと一緒に来てね」
 雫が指示を出すとその言葉に従い皆が動き出した。
「俺さ、すっごい楽しみにしてたんだ」
「そんなの俺だって。格好良いよなあ」
 船艦の外側を掃除しながらの少年達の会話は玲奈の元へと届く。
 格好良いの、この姿が?、と玲奈は甲殻類のような自分の巨躯を思い疑問を感じる。決して格好良くはないと思ったが、なおも少年達は玲奈を褒め称えるので玲奈は恥ずかしさに逃げ出したくなった。
 その間にもどんどん玲奈の体が外と内から綺麗になっていく。
「ほら、どんどん綺麗になってくね」
 玲奈の心を納めた柱を丁寧に拭きながら雫が語りかける。
「やっぱり晴れの舞台には綺麗な姿でないと」
 皆で大掃除してきれいにしてあげる、と雫は可愛らしい笑顔を浮かべ玲奈の荒んだ心を磨くように、その柱を拭き続けた。
 玲奈の心が皆の声を聞く度に温かいもので満たされていく。あたしと正しく接してくれる、と玲奈は生徒達に感謝し喜びに震えた。声をかけられる度に、それは玲奈の心を溶かしていく。二つのタイプの異なる体を持つ自分を認めても良いような気がしてくるのだ。どんな姿をしていてもあたしはあたし、と素直に思えるかもしれない、と玲奈はだんだんと感じ始めていた。
 掃除も終盤へとさしかかり、綺麗になった玲奈を飾るように万国旗を取り付け始める。端から端へと渡される万国旗は、外から吹き付ける風に音を立ててはためいた。
 外を飾り付けるならもちろん中も同様だ。
 中にあるフロアにも万国旗が所狭しと張り巡らされ、更に正月飾りも置かれ船内は賑やかな雰囲気を醸し出していた。

 そんな中、雫は最後の仕上げとばかりに、玲奈の自室の部屋を開けた。謎の大好きな少女は玲奈の体が二つある事も把握済みだ。可愛らしい姿の玲奈が眠る部屋に入るなり雫は自己紹介をする。
「あたし雫! 玲奈ちゃんもおしゃれしなくちゃね!」
 船艦にあった玲奈の意識が瞬時にに少女の肉体へと変更される。
 きょとん、とした玲奈は起き上がると、雫と向き合い首を傾げた。長い黒髪がそれに合わせさらりと揺れる。
「おしゃれ?」
「そう、おしゃれ。だってお正月だよ、おめでたい日だよ。玲奈ちゃん、戦艦の方は格好良いし、こっちの姿は可愛いしおしゃれしないと勿体ないでしょ」
 それに、と雫は手に万国旗を持ちながら続ける。
「これを張り巡らせるのって満艦飾って言うんだって。軍艦・戦艦の晴れ姿だってさ。自分に飾り付けるってのもおかしな話だろうけど、一緒にやろう?」
 雫の提案に玲奈は大きく頷く。
 どちらの姿もあたしなんだ、とその時玲奈は初めて思えたのだ。どちらの姿も認めてもらえたことが嬉しくてたまらない。
 暗闇から明るい場所へとようやくたどり着けた気がした。
 色とりどりの旗が戦艦玲奈を飾り、新しい夜明けを告げる。

■□■

 その後、掃除をし終えた人々への労いとして、格納庫内にはお正月料理が並べられ、大掃除に参加した生徒達に振る舞われた。
 力仕事を終えた生徒たちは粋な計らいに喜びながら舌鼓を打つ。
 人々の顔に浮かぶのは笑顔だ。
 玲奈は辺りを見渡しながらそのたくさんの笑顔を眺め、そっと口元を綻ばせる。
 あたしはこの笑顔が好きなんだ、この笑顔を守りたいから戦ってるんだ、と再認識する。
 暗闇の中でふさぎ込んでいたのが嘘のように、今玲奈の心は晴れ晴れとした気持ちで一杯だった。
 夢心地でそれが覚めてしまわないか玲奈は不安に駆られる。しかしそれは夢じゃない。覚める事はない。
 ふいに玲奈は空へ舞い上がった。それを追って皆の視線が空へと向かう。
 玲奈は空中で止まると大きく一礼し、皆ありがとう、と告げた。愛らしい笑顔が自然とその顔に浮かぶ。
 そして玲奈はその感謝の気持ちを歌に乗せて皆へと届ける。

 悪夢だの正夢だの下らない
 この世はうつろう物
 それは海に注ぐ川の様だ
 ジャスミンの花が雨を欲する様に私は貴方を欲する

 あたしが皆を必要として、皆もあたしを必要としてくれる。
 そんな関係ってとっても素敵、という思いを込め玲奈は青い空の元で翼をはためかせながら歌い上げる。
 玲奈の髪を風が空へと舞わせる。
 空から響く玲奈の歌声は天使が奏でる天上の音楽のようで。
 その柔らかで温かな歌声は皆の疲れを癒すかのように、人々の心の中へと染みていったのだった。