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【夢紡樹】 ユメウタツムギ
貘はコロン、と転がった夢の卵を前に珍しく渋い顔をしている。
「ちょっと今月は夢の卵が多いですねぇ」
悪夢はちょこちょこと貘のおやつとして消化されているのだが、幸せな夢など心温まるものは貘の口に合わないらしく、そこら中にあるバスケットの中に溢れかえっていた。
「どなたか欲しい方に夢をお見せして貰って頂きましょうか」
ぽん、と手を叩いた貘はバスケットの中に夢を種類別に分け始める。
「さぁ、皆さん、どんな夢をご所望なのか。お好きな夢をお見せ致しましょう」
くすり、と微笑んで貘はそれを持ち喫茶店【夢紡樹】へと足を向けたのだった。
たった一人で眺める世界。
それはほんの少し寂しいけれど、眩しくも感じられる。
空から見下ろした世界はまるで大きな宝箱のように小瑠璃には思えた。笑顔で会話している人々や、小さな親切から笑顔が他人に伝染していく様や楽しい笑い声。そんな中、悲しみに暮れる人や怒り狂う人も居る。何種類もの感情と、何種類もの表情。一人一人の違う生き生きとした表情に小瑠璃は目を奪われた。
笑顔の人々を見ていると、小瑠璃も嬉しくなって囀り声をあげる。一人悲しみに暮れている人に声をかけたい衝動に駆られたりもするが、自分が貧乏神という存在のため拒絶されるかもしれないという恐怖からなんとなく声をかけれず、ただ空の上から眺めているだけだ。だが悲しみのどん底にいる人が見えた時、拒絶される恐怖を忘れ声をかけた事が今まで何度もあるが、その度に拒絶され傷ついた。それでも何度も同じ事をしてしまうのは、人への興味と好意が強いからだろう。
何度あの中に混ざって話したいと思った事か。宝箱のような世界に混ざりたいと。
しかし自分が貧乏神である限り、それは難しいと小瑠璃は思っていたが、小瑠璃には目標があった。どこで聞いた噂話だったか覚えてはいないが、福の神となった貧乏神がいるらしい。それを聞いて以来、小瑠璃の目標は自分も福の神となる事だった。そうすれば、小瑠璃の元から去って行く人々も減るのではないか、仲良くしてくれる人が現れるのではないか、と考えたのだ。ただ皆と仲良くなりたい、それは小瑠璃の小さな願いだった。
美しい青色の翼を羽ばたかせていた小瑠璃だったが、長時間飛んで疲れた翼を休めるべく近くにあった巨木の枝に留まる。今日はいつもより遠くへと飛んできたようで、辺りを見渡してみたが見覚えのない景色が広がっていた。
小瑠璃は人型になると、太い枝に腰を下ろし、両足をぷらぷらとさせ下を覗き込む。白い肌を流れる両脇の少しだけ長い真白い髪が日の光に煌めき、背中には瞳と同じ深い青色、名を示す瑠璃色の翼があった。服は狩衣に似ているが、肩の部分は肌が露出しており、それに葛袴を履いている。
落ちるのではないかと思われるほど体を折り曲げて覗き込んだ先には、静かな湖面が広がっていた。その脇には人工的に作られた道があり、それを視線で辿れば小瑠璃の座っている巨木に辿り着く。そしてその巨木の幹の空洞部分に面白い光景を見つけ、小瑠璃は目を輝かせた。
道の先には喫茶店があった。カウンターの向こう側で微笑みを讃えながら珈琲を入れている人や、ホールを笑顔で動き回る人、窓際で本を読む人など様々だ。それが切り取られた映画のワンシーンのようにも思え、誘われるようにその入口へと降り立った。
小瑠璃はそっと中を窺う。しかし中に入る勇気はない。何度か窓と入口をこそこそと覗いていたのだが、そのうちに中の人物に気付かれてしまい微笑まれ手招きをされてしまう。その人物は目隠しをしているのに、何故外にいる小瑠璃の存在に気付いたのだろう。小瑠璃は不思議に思ったが、気付かれたのは事実なのだし、と扉に近づいた。促され何度か入口の扉に手をかけようとする小瑠璃だったが、なかなかその一歩を踏み出す事が出来ない。そのためらう仕草に何を思ったのか、微笑んだその店のマスターである貘が入口へとやってきて扉を開けると、佇む小瑠璃の手を取った。瞬間、小瑠璃の体が硬直する。
「あぁ、失礼しました。不快に思われたら申し訳ありません」
すぐに手を離した貘は小瑠璃に詫びた。それに対し小瑠璃は慌てて両手を目の前で振る。
「えっ、あの、その違うんです。僕、貧乏神なので触れた方が不快に思われるかもしれないと思って……こちらを経営されてる方ですよね?」
小瑠璃の慌てぶりとその心根の優しさに貘は嬉しそうな表情を浮かべた。自分が何者かを名乗らなければ、拒絶される事などほとんど無いだろう。それなのに小瑠璃はためらうことなく貧乏神である事を伝えたのだ。それは小瑠璃の優しさだろう。
「心配してくださったのですね。ありがとうございます。でも心配は無用ですよ」
さあどうぞ、と貘は小瑠璃を促し、店内へと招き入れる。自分の素性を明かしても態度の変わらなかった貘に嬉しさを覚えながら、小瑠璃は店内へとようやく足を踏み入れた。一歩踏み出した途端、小瑠璃を包み込むのは喫茶店の持つ独特な雰囲気。心地よい音楽とコーヒーの香ばしい香りや甘いケーキなどの香り。それぞれが気ままに過ごす空間。小瑠璃は目新しいのか店内をきょろきょろと見渡した。
「ふふっ、さあこちらへどうぞ」
貘は小瑠璃をカウンターへと案内する。カウンターの隅はほの暗いが、キャンドルが辺りを照らす柔らかな空間になっていた。少し足の高い椅子に座ると小瑠璃は差し出されたメニューを眺める。そしてメニューの中に見たことのない文字を見つけた。
「……夢の卵?」
まったく想像が出来ず小瑠璃は首を傾げながら小さく呟く。それを聞き逃さなかった貘がそのメニューについての説明を始めた。
「ああ、夢の卵は当店にしかないメニューですよ。お望みの夢をお見せしますという。夢渡りをするのが私の主たるものでして、喫茶店は副業なのです。よければこちらにお越しいただいた記念に、夢の卵をプレゼントいたしますよ」
こちらです、といつの間に手にしていたのかバスケットの中から普通の卵と見分けのつかない卵を小瑠璃へと差し出した。
「でも……」
「いいんですよ。今日は大量にございますから。夢は新鮮さが大事なんです」
ためらう仕草を見せていた小瑠璃だったが、貘の押しに負け夢の卵を手にする。
「……ほんとに、どんな夢でも見られるんですか?」
「ええ、もちろんです」
大きく頷いた貘を見て、小瑠璃ははにかんだ笑みを見せた。不安そうに揺れていた瞳が喜びに染まる。
「だったら……えっと、あの……いろんな人と仲良くする夢が、見たいです。何のしがらみもなく話したり、遊んだり、笑ったり、そんな風にできたらいいなって」
「とても楽しそうな夢ですね」
貘の言葉に頷きながら小瑠璃はぽつぽつと語り始める。
「はい。僕、さっきも言いましたけど、貧乏神だからなかなか皆と仲良くなれなくて。言わなければ僕が貧乏神なんて分からないと思うんです。でも持っている力のせいでその人に迷惑がかかったらと思うと、黙っていられなくて」
「あなたは優しい方ですね」
「えっ、そんなこと……」
「見ず知らずの方にそう思えるのは優しいからですよ」
ふわり、と貘は小瑠璃の頭を撫でる。指の間をするすると真白な髪が流れていく。小瑠璃の頬が朱に染まった。
「寂しくなったらまたここへ来てください。夢の卵での幸せな夢ももちろんですが、うちの店員は皆様の職業がなんであれ気にしない者達ばかりですから」
きっと楽しいですよ、と貘は最後にそう付け足して小瑠璃の頭を撫でるのをやめた。離れていく手をぼんやりと眺め、小瑠璃は大きく頷く。
「すごく、嬉しいです」
「ええ、また遊びに来てくださいね。って、まだ来たばかりなのに、これではさよならするみたいですね。今飲み物でもお持ちしますから、先に夢の卵をお使いください」
手渡された夢の卵をかざしてみたりしてみるが、小瑠璃には鳥の卵と同じにしか見えない。使い方も分からず困惑していると、貘が説明を始める。
「こちらの夢の卵は寝ているときに側にあれば効果があるんですよ」
「そうなんですか……」
そう言っている間に、小瑠璃の瞼がゆっくりと落ちてくる。夢の卵には眠りを促す効果でもあるのだろうか。
「良い夢を」
耳に心地よい貘のその言葉を最後に、小瑠璃は夢の中へと落ちていった。
耳をくすぐるのは歌声とお囃子。
小瑠璃はそっと目を開いて辺りを見渡した。目に飛び込んでくるのは色鮮やかな景色。見たこともない花畑に小瑠璃はいた。
「これは……」
夢の卵で見ている夢と認識することなく、小瑠璃はそれを現実のものとして受け止めている。
よく見れば、花畑の向こう側には縁日の屋台が立ち並び、たくさんの人々が行き交っており、歌声とお囃子はそちらから聞こえてくるようだ。人々が楽しそうに動き回る姿を見て、小瑠璃は誘われるままにそちらへと移動していく。
賑やかな通りは小瑠璃の存在を弾くことなく、すんなりと受け入れた。フラフラと小瑠璃が歩くと、屋台のあちこちから声がかかる。
「ほら、坊主。これはどうだ?」
「おー、こっち寄っていきな」
気さくに声をかけてくる人々に驚きを隠せない。商売をしている人たちにとって自分の存在は不利益しか生まないのではないか、と小瑠璃は思う。自分の身分を明かしてないから優しいのだと、小瑠璃は自分の素性を明かした。しかしそれでも人々の態度は変わらない。
「だからどうしたっていうの? 今日はお祭りなんだから一緒に楽しんでいきなさいな」
「貧乏神だって立派な神様だ。胸張ってりゃいいんだ」
豪快に笑った男は、小瑠璃の背をバンバンと叩き去っていく。小瑠璃はそれを呆然と見送る。
「……立派な神様」
深い意味などないのだろう。それでも小瑠璃の心にその言葉は深く染みていく。ぽろぽろと零れ落ちていく涙。頬を伝う嬉し涙は温かい。人々の言葉も温かい。
そんな時、袖を軽く引かれ小瑠璃は驚いて視線を移す。驚いたせいで涙は止まっていた。
「お兄ちゃん、どっか痛い?」
「ううん、痛くないよ」
「ほんと? じゃあ、あたしたちと遊んで」
くいっ、と小瑠璃と同じ色の髪の少女が全開の笑顔を小瑠璃に向け、手を引いた。少女の向かう先には、同じ年頃の少年少女たちが集まっている。
「おー、えらいえらい」
小瑠璃を連れてきた少女は兄と思われる少年に頭を撫でられ嬉しそうだ。その少年が小瑠璃に向かって言う。
「オマエも一緒に遊ぼうぜ。今から隠れん坊するんだ。オマエ、ここら辺詳しいか?」
小瑠璃は正直に首を振った。この土地ははじめて来た場所で何も分からない。すると少年は小瑠璃の手を取った。
「じゃあ、オマエはオレと一緒な」
「だめー! あたしと一緒に隠れるの」
反対の手を先ほど小瑠璃を誘った少女が引っ張る。両手を引かれた状態で小瑠璃は困ったように二人を交互に見つめた。こんな経験は初めてのことで、どう対処してよいのか分からなかった。すると、周りから野次が飛ぶ。
「おい、さっさとしろよな。俺たちもいるんだけど」
「そうよ、その子、私たちと隠れればいいじゃない。あんたは一人で隠れなさいよ」
「うるせえよ」
驚いた小瑠璃だったが、賑やかな言葉の応酬に、くすり、と笑う。それはまるで柔らかな日差しのように暖かで。子供たちもその笑顔につられて笑い出す。
「じゃあ、初めはオマエが一緒に隠れればいい。ちゃんとそいつ隠すんだぞ」
「うん、お兄ちゃん」
兄のほうが折れることにしたようで、小瑠璃は少女と一緒に隠れることになった。鬼となったものがすぐに数を数えだす。
少女に手を引かれるままに小瑠璃は走る。
青い空の下で、宝箱に見えた地上で、小瑠璃はさわやかに風を切った。
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